1000人以上に聖火トーチを手にしていただいた私が聖火ランナーになった理由②
2021年5月15日『東京2020オリンピック競技大会』の聖火リレーランナーとして地元島根県浜田市を走りました。
その記録を、5回に分けてお伝えしています。前回は、東京2020オリンピック聖火リレーの概要をお伝えしました。2回目となる今回は、聖火リレーの応募動機を深掘りし、審査がどのように進んで行ったのかを綴ります。
ふとした世間話が、応募の後押しに
『東京2020オリンピック』開催1年前、2019年当初。
オリンピックに向けた話題が増える中、私には『聖火リレーランナーの募集案内』が目に留まっていました。
もちろん、目に留まるのは私の心のどこかに『聖火リレーランナーとして走りたい思い』があったからでしょう。しかし、仕事や日々の暮らしに追われていると応募要項を確認する間もなく時間が過ぎます。また、私自身も日頃からランニングをしているわけでもなかったですし、応募への呼び水となるものが見つけられずにいました。
そんなとき、ふいに出会った方に『聖火ランナーに応募してみたらどうですか』と言われます。束の間の世間話でしたが、なんだか背中を押されたような気持ちになり、それが聖火リレーランナー応募への火付け役となりました。
聖火リレー、何のために走りたいのか
当時(2019年)、社会全体が明るい雰囲気とはいえませんでした。経済の低迷や悲しい事件などが立て続けに耳に入ってくるために、なんとなく重いムードが世の中に蔓延っている感覚がありました。そんな雰囲気を私一人で一層することは出来るわけはないのですが、自分の出来る範囲で何か行動を起こしたい思いがありました。『少しでもいいから周囲に明るい雰囲気をもたらす方法はないのだろうか』と、考えていました。
綺麗ごとに思う方もいらっしゃるかもしれませんが、そうした気持ちは常日頃から私の根底にあります。
私自身には壮絶な過去があり、そのときに多くの人たちに支えてもらいました。そのお陰で、今があります。今、私がこうして暮らせているのも『周囲に支えられているから』としか言いようがありません。それゆえに、今度は私が『人の役に立ちたい』と考え続けています。
自分に出来ることがあるのならば何でもしたい思いがあるため『聖火リレーランナー募集要項』が、気にかかっていたのは自然なことだったのかもしれません。周囲の喜ぶ顔こそが、私にとってのランニングゴール。そんなことを応募前からぼんやりと思い描いていました。
そして私は、パソコン前に腰掛け応募ページを開きます。
https://note.com/saitohstory/m/me81530d68447
聖火リレーランナーの審査について
聖火リレーランナーへの申込はインターネット応募で、一次審査と二次審査があったのですが思っていたより大変でした。
一次審査について
私の身勝手な憶測なのですが、聖火リレーランナーに応募したいと考えた人の中には、一次審査の応募の時点で断念した人も多いのではないかと思っています。というのも、審査に応募するには『聖火リレーランナーになりたいと考えたきっかけ』を、400字程度で書いて提出する必要があったからです。
400字に気持ちをまとめるとなると、日頃から文章を書き慣れていないと難しいです。私がそうで些か頭を抱えました。しかし、私自身は応募動機だけは明確で『自分が走ることで、周囲が元気になってくれたら嬉しい気持ち』を、文章に置き換えるだけのシンプルな作業にも思えました。
とはいえ、実際にパソコンの前に座るとやはり容易ではなかったのも事実です。やっとの思いで何とか気持ちを400字にまとめると、私の想いは届いたようで一次審査を無事通過することができました。
二次審査について
一次審査を通過した後は二次審査が待っていました。驚いたのは、二次審査でもまた400字程度の作文が必要で、一次審査とは異なる応募動機の提出を求められたことでした。
しかし、新たな応募動機を考えるのに多くの時間は要しませんでした。すぐに頭に浮かんだのは息子のことです。息子の存在は、私の生きる原動力でした。何をするでもない、存在そのものが私を励まし続けてくれました。
そんな息子に対して、どうしても今のタイミングで伝えたいことがありました。聖火リレーランナーが、その好機となるのではないかと考えていたこともあり、二次審査での応募動機は迷わず息子のことを書きました。
〜息子のこと〜
少し子どもの話をしておきます。息子は、当時では珍しいシングルファザーの元で育ちました。男手ひとつで育てた息子なので、私には言えない苦労も多かったはずです。それでも、目だって私を困らせること無く立派に育ってくれました。
聖火リレーランナーへの応募を考える頃、息子は15歳で高校一年生でした。地元から離れた遠方の高校を選択した息子は、周囲より一足早く親元を離れた生活をスタートさせたところでした。
初めての寮生活では、多くの苦悩を抱えていたことも伝わってきました。そんな息子に対して『どこに行っても、私の子どもだから大丈夫』と、このタイミングで伝えたかったです。しかし、突然に言葉にして伝えるにはハードルが高いようにも考えていましたし、私が持ち合わせている言葉だけで伝わるかどうかといった疑問があったのも事実です。
私が聖火リレーランナーとして走り行動を起こすことで、言葉以上に息子を勇気づけれると思えました。
二次審査の選考では、そんなことを考えながら『走ることで巣立つ息子を勇気づけたい』と、作文を綴りました。またも、私の想いは届いたようです。
聖火リレーランナーの審査結果が届いたのは、2019年12月。そこには『東京2020オリンピック競技大会の聖火リレーランナーに見事当選』の記載がありました。正直、とても嬉しかったです。
まとめ
聖火リレーの審査は、自分自身の気持ちを振り返るいいキッカケだったのかもしれません。審査通過できたことにも感謝しつつ、その後は『聖火リレーランナー』に向け日増しに気持ちが上向きました。
次の記事では、審査通過後の様子を中心にお伝えします。また、まさかの2020年中のオリンピック中止となったことや、オリンピック大会組織委員会側からの連絡、その当時の様子などを綴ります。