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保育園年長から大学進学までの13年間の子育て奮闘記⑥

今現在、シングルファザーとして育てた『息子とのこれまで』について、全7回に渡ってお伝えしています。

今回は、高校1年生の2学期に高校を辞めてからのことを中心にお伝えします。誰かのお役に立てたら幸いです。また、息子にも何か届くものがあれば嬉しいです。

高校を辞めてからの息子のこと

前の学校を辞めて、自宅に帰ってきてからの息子は退屈そうでした。中学校時代の友達は、平日昼間は学校に通っています。放課後や休日も、それぞれに部活などがあるため、息子としては疎外感を感じたこともあったかもしれません。

暇だと無駄に考える時間も増えたことでしょう。それに、思考は放っておくと好き勝手に独り歩きを始めるものです。それもあってか、息子は『これから、どうなるんだろう』『定時制?通信制?就労?』と、悩んでいたようでした。編入に向けての情報が必要だったようですが、子どもがアクセスできる場所は限りがあるため、少ない情報の中で模索していたのが分かりました。

前学校の部活の先生からは『絶対に普通高校に行ってください』と、アドバイスされていました。後に、先生の方から具体的な2つの高校を提案してくださり、編入の見通しもつけてくださいました。それからは、息子も精神的にも落ち着いたように感じています。

再び、親子で一緒に暮らすようになって

私はと言うと、息子と一度離れて暮らした期間があったことで親として時間をかけて伝えたいことが山のようにあると改めて気付きました。10代前半では理解できなかったことを、今の息子なら理解できると感じたのです。教え込むというよりは、私がこれまで辿った大変だった経験について知っておいて欲しいと考えました。

一般的に、我が子が高校を中退して帰ってきたとなれば、親として悩むこともあるかもしれません。しかし、私は息子のこれからが楽しみで仕方ありませんでした。全く不安が無かったと言えば嘘になりますが、それ以上に息子の伸びしろを間近で見られることを嬉しいとさえ感じていました。

『高校中退』という大きな決断をし、自ら新たな人生へと舵を切り始めた息子です。我が子の伸びしろを信じ、誰よりも味方でいてやりたいと思いました。

そのように思えたのには理由があります。ちょうどこの頃、自身の事業が成長していく過渡期でした。長年の努力が実を結び始めていて、何ごとも前向きに捉えることが出来ていました。

地元の高校へ編入へ

そのご、無事に編入先の学校が決まり、待機しているあいだのことです。

受け入れ先の学校でSNSを通したいじめが、息子に対して起こっていることが発覚しました。一般的に考えても、高校編入など珍しいことです。息子に圧し掛かる精神的な負担があったり、何かしらのリスクもあるのではないかと予想していたため正直、動揺しました。

学校側も同じように感じてくださったようで、息子の心的な負担を考慮し担任予定の先生が家まで訪ねてきてくださいました。

しかし、本人はそれを聞いても大きく動揺している様子はなかったです。きっと、ここ数か月のあいだに無数の課題に一人で向き合い何かを得たのでしょう。私より、何倍も落ち着いているように見えました。その姿に、すごく成長を感じました。もしかすると、親には見せないようにしていたのかもしれませんが、いずれにしても『強くなったな』と、思ったことを覚えています。

前回の記事でもお伝えしましたが、前の高校の先生方の尽力には心から感謝しています。その尽力は、学校を辞めた後、息子の編入に対しても手厚い配慮をしてくださいました。編入に際して細かな注意事項などをアドバイスいただいたり、息子がスムーズに編入できるようにサポートしたりと力を尽くしてくださいました。お陰で、新しい学校への編入が順調だったと感じています。また、編入後も息子の様子を気にかけて声をかけてくださっていました。ここに、心よりの感謝を申し上げます。

編入後の息子の様子

編入後の息子は、順調に学校に慣れていったように思います。もちろん、中には転校生を受け入れられない子もいたようですが、牙を向けるでもなく穏やかに対処していました。もしかすると、過去数ヶ月の騒動によって『周囲の不要な雑音』に冷静に対処することを身に着けたのかもしれません。また、一段と息子が強く見えました。

ここからは、私の勝手な予想なので話し半分に聞いてください。前の高校を中退してからというもの、息子は自主的に本を読むようになりました。手に取る本も、大人顔負けのクリティカルなものやロジカルなものが多かったように思います。周囲も『そんな本を読んでいるの?』と、一目置くほどでした。本を通じて多様な考え方をインプットしつつ、挫折した自分と嫌と言うほど向き合ったのでしょう。

また、本から学んだことを自分なりに咀嚼しアウトプットしているようにも見えました。具体的には、人のために行動することが増えました。トイレ掃除・部屋の掃除はもちろんのこと、学校での部室の掃除なども誰にも気づかれないようにやっていたようです。他にも、道端に落ちているゴミ拾い『運を拾った』と言っていました。

運がたくさん落ちていると言いながら、コンビニエンスストアの前で親子でゴミ拾いを競ったことも今でいい思い出です。そんな、親子の他愛無い時間の中で、息子の言った言葉が印象的でした。

一生懸命することが、かっこ悪いと言うやつもいるけど、自分は一生懸命することがカッコいいと思う。

人として息子を誇らしく思いました。人生の徳を積んでいるようにも見えました。

変わりゆく親子関係

ここからの息子の成長は、目を見張るものがありました。親子の会話も、もはや『育児』と呼ぶに値せず『大人同士の会話』にも近かったように思います。

10代の若者にとって『人と違う道に進む』と決めることは容易なことではありません。そもそも、生き方には正解がないはずです。しかし、私たちの目の前には往々にして『正しい生き方の道』が準備されているように感じます。目の前に敷かれた一直線の道に疑問を抱いたときに『我慢して進むべきか否か』を、10代の息子が決断に至るには無数の葛藤があったことでしょう。

自分で決断をすると、その行動に責任を持つ必要があります。若さを理由にし、決断を親任せにするという選択もあったはずです。しかし、自ら責任を背負って決断し息子はここまで這い上がってきました。そんな息子のことを、私は誇りに思っています。

高校を辞めることを悲観的に捉え『挫折』と呼ぶ人もいるかもしれません。しかし、息子を見ていると『挫折』から学んだことの方が幾分多いのではないかと感じています。

おかげで、息子が大学へ進学する頃の私の胸中は『今の息子なら、何があっても大丈夫』といった安心感がありました。次は、そんな話しです。

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