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現役最年長Fリーガー金山友紀選手と歩んだ20年間の島根県のフットサル①

島根県サッカー協会に携わるようになり、20年目に突入しました。

ボランティアとしての関りでしたが、出会いや別れ、多くの思い出と学びを経験させていただきました。島根県サッカー協会を通じた、これまでの記録と思い出を、ここnoteに全8回に渡って綴ります。

初回となる今回は、サッカー協会に出会うまでのキッカケの話しです。

地元への帰省とフットサルチームへの加入

私が、社会人としてサッカー(フットサル)に関わり始めたのは、地元浜田市への帰省がキッカケでした。大学卒業後の進路として他県の企業へと就職しました。家業を継ぐための下積み経験のためです。ある程度、外から家業を知ることが出来たと思ったのが2000年。そこで、実家で内装業を中心とした父の会社を承継するために、島根県浜田市に帰郷しました。

帰郷したころから『せっかく生まれ故郷に戻ってきたのだから、地元で深く関わりたい』と考えていました。そのように考えていると、同級生が作って活動していたフットサルチームに誘われます。小中学校の頃にサッカーをしていたこともあり、同級生や先輩たちとプレイできるため、そのチームに参加させてもらうことにしました。これが、私の社会人サッカーの再スタート。そして、今振り返ってみると、このチームメンバーになったことがキッカケで、長き渡って島根県サッカー協会に関わることとなりました。

プレイヤーから監督へ

フットサルチームは週末の夜などを利用して、仕事終わりなどに集まれるメンバーで練習をしていました。私自身も最初のうちはプレイヤーとして参加していましたが、技術的な未熟さもあって歳月が経つとともに監督として指導する側に立つようになりました。

監督はあくまで指導者です。実際に自分がプレイヤーとして動けるわけではありません。それもあってか、チーム一番の応援者のような気持ちにもなることもありました。

とはいえ、誰もが仕事の傍ら、なんとか時間を作ってやってくる社会人のフットサルチームです。私も含めて、疲れていて当然です。そんな中で、みんなが良い表情で練習している姿を目の当たりにすると、私自身が元気をもらうことも多かったように思います。当時から感じていましたが、こうして改めて振り返ってみると、そうした環境下で、働き盛りの時代を過ごさせてもらったことに心から感謝しています。

全日本フットサル選手権 島根県大会での優勝!

地元でナイターリーグに参加していたチームは、リーグ優勝をしました。小さな田舎町のフットサルリーグで優勝した実力が、島根県内でどこまで通用するのだろうと知りたくなり、当時、唯一のフットサル大会に出場しました。

2003年、私たちのチームは『第8回全日本フットサル選手権 島根県大会』にて、見事に優勝。日々の練習の成果とナイターリーグでの成績を証明でき、実りをあげました。

私が嬉しかったのはもちろん、メンバー全員で優勝を喜び称え合いました。チームワークも良かったですし、練習を積み重ねてきた成果だと思いました。そして、次に待ち構えている中国大会でも『このメンバーなら、初戦突破できるのかもしれない』という根拠なき自信が、私の中にあったように思います。

中国大会に向けて、練習を積む日々

私たちのフットサルチームは、中国大会に向けて更なる練習を積み重ねるようになりました。次に待ち構える中国大会に向け気持ちを整えました。

日々の暮らしがある中で、目標を掲げで練習に取り組むのは容易なことではありません。一方で、社会人になると、こうした程よいプレッシャーと向き合えるチャンスは少ないので、大会までチーム全体が良い雰囲気に包まれていたように思います。

少しだけ余談をお話ししておくと、島根県は田舎地方。全国でも2番目に人口が少なく、過疎化や少子化が深刻で、メディア等でも大きく問題視されています。そんな環境化の中ではありますが、子ども達や社会人のスポーツは盛んです。スポーツの存在が、地域を活性化する大切な存在のように感じることがあります。

いざ、中国大会へ!

いよいよやってきた、中国大会当日。程よい緊張感と熱い闘志の両方が、私をはじめとしてチーム全体にあったように感じていました。

しかし、私たちの努力は実ることはなく初戦で山口県代表に大敗してしまいます。実力の差を目の当たりに体感し、頑張ったのに手が届かなかったという実体験はダイレクトにショックを痛感します。

コートの中で戦ってきた選手たちは、試合当日だけでなく、それ以前にも自分の時間を費やして練習を積み重ねてきたワケです。

私自身は監督という立ち位置だったために、プレイヤーとして汗を流したわけではありません。しかし、だからこそ、手助け出来ていないような気持ちと同時にどうにもできない選手の悔しさを目の前で見るしか出来ず歯がゆい思いもしました。もっと言うと、自分の力不足だったような気負いもしてしまい、かなり落ち込むこととなりました。

ただ、ここで終わりたくはなかったのが事実です。『この挫折を、次につなげたい』そんな気持ちが私の中で渦を巻き始めました。

次は、ここから私が何をしたのかといった、活動の話しをしていきましょう。



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