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魔法物語 タイファ1 No.25

 メイリの世界に現れた時、外の世界での時間から継続しているようでありながら、わずかな断絶が生じる。
 それを具体的に測定する方法はないが、断絶している間に意識が切り替わるわけではない。あらかじめ説明されていても納得できないほどだから、なんら了解することなく連れて来られたなら、本人にしてみれば時間が続いているように感じられるのも当然だ。
 だから、ふいに視界が切り替わったと思う。唐突に別の場所に飛ばされたように思う。
 タイファの場合には、ただし特別な状況にあったと言える。彼は竜の口の中に入ったはずだった。自ら飛び込んだと意識していた。その口が閉じられるのも感じ取れた。だから、メイリの作る世界に出現したことが、竜の口が閉じたことと自然に結びつけられた。
「ここは、竜の中か」
 周囲に人の姿があった。そのことが、より混乱を大きくした。改めて剣を握り直し、いつでも動けるように姿勢を整える。
「違います」
 一瞬で答えが返った。女性のようだった。
「さあしかし、なにをどう説明したものか」
 老人と呼ぶにはまだ早い年頃の男が、苦笑するように言った。

 タイファは、旅を続けてきた。
 それはさまざまな風景、多くの人々、多様な感情との出会いであり、別れだった。
 そうして、逃れられぬ影を伴う旅でもあった。
 消えた運命。ただ生きることに意味を与えるはずの運命と、その消滅。
「おれは世界を救うはずだった」
 ある晩、星と風に包まれてふと、ささやいた。まだ、若いと言える時期だった。それまで意識せずにいられた言葉を、たわむれに口にした時、予想外に重く響いたことが、強い驚きをもたらした。
 光の子、と言う。世界に破局をもたらすとされる敵と、戦うための運命を担う戦士である。しかしタイファが教えられた時、戦うべき相手は既にいなかった。ルクセという別の光の子によって滅ぼされたらしかった。
 運命などは関係なく、相応の冒険はしてきた。この世界に、人より強いものは数多存在し、いくつかの魔法は予想もしない出来事をもたらしてくれた。
 その時々で、タイファは自らの力量と、与えられた能力とを精一杯まで発揮し、望んだはずもないのに、大きな充実感を味わった。
 まだ若かった頃には、それで良かった。
 けれど人は衰える。
 今を生きるより想い出の方が重くなる。旅を続けることにさえ倦む。
 ただ旅であるだけの旅。
 ひとつの夜が訪れる。
 ひとりきりの荒野で焚き火をし、小便をして寝ようと立ち上がった。風が吹き、身を竦め、星空を見上げた瞬間に全身から力が抜けた。
 世界を救うための力を、今も自分は持っているのだろうか。そんな話を聞かされ、拠り所にしてきたつもりもないが、忘れることもできなかった。
 あえて言葉にして、情けなくなった。苦笑し、振り捨てるはずだった。なのに、なにもなかったはずのこの夜のことが、しばらく喉の奥にひっかかっていた。
 自分探しの旅、などと青臭いことを言って、それでまかり通る季節は過ぎていた。過ぎていると自覚もしていた。とはいえ、たとえば伴侶を見つけ、ひとつところに落ち着くというのは、あまりに想像しがたい生活だった。無骨な傭兵を仮の父とし、他に家族もなく育てられたタイファにとって、それは憧れでさえなかった。
 もし自分と同様の運命を抱く子どもに出会ったら、父として生きる道もあったのだろうか。そう思うこともないではないが、さすがにそのような出会いがあろうはずもなかった。
 浅い眠りと、やがて消える焚き火。
 その夜が明ける。当たり前に旅は続いた。
 ただ、あてのない旅から小さな目的を持つことにした。自分をこんな運命に導いた者と会おうと、改めて考えたのだ。
 ひとつだけ手がかりがあった。
 リバとルクセ。かつて出会ったこのふたりが、タイファの運命を閉ざし、世界の破滅を防いだという。本当かどうか、分かったものではないが、もう一度会ってみたいと思ったのだ。
 だが、それはたやすく叶えられる目的ではなかった。
 長い旅となった。

 ィタイファが呼吸を意識する。生きているなら息をするはずだからと。
 ここが仮の世界で、ここにいる者たちもまた、仮の存在だという。
 そんな話を簡単に受け入れられるはずはない。相応の経験をしていれば別だが。けれどタイファは、受け入れられる経験をしてきた者だった。
 目の前に仮の存在が登場し、戦うこともあった。過去の記憶のような者たちとも出会った。
 今回は、自分の方が仮の存在になったと、そういうことになるわけだ。もちろん、すぐに納得できるはずもない。どこかしらくすぐったい。
 幻は自分が幻だと思うだろうか。幻であると感じるだろうか。もし感じるとしたら、それはくすぐったい感覚なのではないだろうか。
 呼吸をする。いつものように髪が揺れる。どこまでが本当なのか、本当らしいだけなのか。
「納得してもらえたかな」
 ィセグロと名乗った老人が、目を覗くように言った。
「納得はできんが、ひとまず、尋常ならざる状態にあることは分かった」
「まあそんなもんでしょう」
 こちらはィホーサグだ。タイファと同じくらいの年齢だろうか。一目で身体を鍛えていると分かる。剣を合わせることがあるだろうか。あっても負ける気はしないが、戦いたくはない。
 巨竜が呼吸している。その息が、ぬるい風になる。その風が届いている。
 均衡状態、というわけか。ィタイファがここに現れる前から、そんな状況であったらしい。あれほどの竜であっても、いきなりわけの分からない世界に連れて来られれば混乱はするだろう。
 だが違和感があった。
 ここに来る前、タイファが対峙していた竜はなぜか二頭いた。事前に聞いていたのは大きな、ただし一頭の竜だった。それが今、大きな竜は一頭になっている。
 ……それだけではない。二頭いた竜は、この竜よりもっと巨大だったように思うのだ。今でも、たしかに見上げるほどの頭部がある。その向こうには、相応の巨体が横たわっていると分かる。だが、こんなものだったろうか。
「さてひとつ教えてもらいたい」
 ィタイファの思いなど知りもせず、ィセグロが尋ねてくる。
「あなたは、あの竜に、どんな用があった? なにをしようとしていた?」

 なにが起こっているのか、どうして起こっているのか、これから何が起こるのか、まるで分からない。
 なぜ巨竜が二頭いるのか。
 長剣、長髪の戦士は、なぜ自ら竜の口に飛び込んで行ったのか。
 飛行艇の中の誰もがひどく混乱していた。
 ただメイリだけは、その混乱の中、大切な行いを成功させていた。消えてゆこうとする長髪の戦士を、自分の世界の中に運んだのだ。そうすれば、たとえ彼が死んでも、彼の存在を残すことになる。必要とあれば、その話を聞くことも出来る。
 今、まさにその話が始まろうとしている。
 リーラとオクライは飛行艇を周回させている。ひとまずの猶予期間。だが、これからどうするべきかという見通しが立たない。
「どうすんだ。やつらと戦う方法はあるのか?」
 ロブロウが心配して声をあげる。そのくせ心のどこかで、もう戦う前提になっている。
「まともに戦えるはずはないさ」
 ホーサグが諦めたように言う。それはそうだ。たとえば大きな雷が竜に落ちたとしても、どれほどの効果があるか知れたものではない。その腹を突き破るような火山の噴火でもあれば、あるいは殺すことが出来るかもしれないが、よほどの魔法でも、そんなことが簡単に出来るとは思えなかった。
 それにそもそも、あの竜を殺す必要があるのか。
「見物か? 見物だけか?」
 戦うつもりだったロブロウが叫ぶ。
「調べている」
 呻くようにオクライが言った。
「何を?」
「因果だ。それから、食われた男がどうなっているのか、調べている」
 魔導師には魔導師なりのやり口があった。たとえ光を遮られても、その向こうを見通す魔法があった。さまざまな感覚の触手を広げて、知ろうとする方策が。
「やつはまだ、生きている」
 そうオクライは付け加えた。

 足りないのではないか。
 タイファはそう考えたのだ。
 長い旅の果てに、光の子の運命に強く関わる者リバと再会し、話を詳しく聞いているうちに、そう結論した。
 光の子と言われる四人、その運命の魔法は、世界に破滅をもたらすとされる存在、時の泥土・クローニを封じるために生み出された。
 四つの魔法。すなわち黒き風、滅びの光、闇の種、熱き星の四つである。
 その魔法を生み出すために、ロカンドという大魔導師によって作られた四人がいる。魔法をもたらす憑代として機能することを運命とした子どもたち。
 タイファもまたそのひとりだったというのだ。
 おそらく、闇の種の運命を押しつけられてこの世に生まれ、にも拘わらず、クローニとの戦いには無意味とされた者。
 タイファの力は一度発動し、実質的に意味がないようだと確認もした。
 それならそれで仕方がないと、受け入れてきた。
 だが改めてリバと会い、話を聞くうちに、その奇妙さに気づいたのだ。
 自分が使うことが出来た魔法は、本当に「闇の種」だったのだろうかと。
 光の子の魔法は、発動するまでにいくつかの段階があるようだが、自分はその段階を踏んでいないように思えたのである。であるならば、あれは、不完全な状態だったのではないか。
 もちろんそれは予想に過ぎない。
 だが無視することもできない。
 四つの魔法は、おそらく、次のような段階を経て覚醒する。
 第一段階は自覚。光の子という存在として自らの運命を受け入れること。具体的には、リバと出会い、光の子という存在を理解することだ。
 第二段階は発動。青き竜ルシフスによって見いだされ、その力を点火させること。
 このふたつの段階は、順序が逆でもかまわないのかもしれない。ともかく、これで光の子の魔法が使えるようになるのだ。実際、タイファはこの二つの段階を経て、闇の種の魔法を使ったことがある。
 だが、リバの話によれば、タイファの前に光の子の力を覚醒させたふたり、つまり黒い風のトーフェと滅びの光のルクセは、この二段階だけではない第三段階を踏んでいる。それが、タイファが「竜の大地の試練」と呼んだ経験だった。
 竜の大地に呑まれ、そこから吐き出されること。単純に言うならそれだけ。だがおそらく、この段階を経ることによって、魔法が強化されるのである。
 その段階を知らないことが、もしや自分にとって重大な欠陥ないし欠落をもたらしているのではないか。おそらく確認できることではない。だが、一度そう考えてしまったら引き返せない。
 長く逡巡した。だが、自身の体力が時間とともに確実に削られていることを感じ、後の悔いを残したくなかった。まだ出来ると信じられるうちに試してみたかった。
 つまり、そういうことだった。それだけのことだった。たとえ真の覚醒がもたらされたとしても、その必要があるとは思えない。それでも、だ。
 どのみち、なにかを成したと言える人生でもなかった。ならば……。

 大人たちがィタイファの話を聞いて沈黙が訪れる。
 その機を見てィロウチはィタイファの前に出た。大切な疑問を確認するためだった。
「教えてください。この世界で、トーフェはどうなったんですか」
 だが、求めた答えは得られない。
「知らん。おれが出会ったのは、本物じゃなかった」
 それでもさらに求める。
「偽物に出会ったんですか」
「……そういうことだ。で、おまえはトーフェのなんなんだ?」
「息子です」
 こうなると話が厄介だと分かっている。あわてて付け加える。
「別の世界の息子です」
 さらに話が面倒になりそうだと思うけれど、他に言いようがなかった。
「そうか」
 けれどィタイファはあっさり受け取ってくれた。考えたら、この世界という言い方からして不正確だった。ただ、いくつもの世界がある、ということを呑み込んでしまえば、話にならないこともない。
「つまり、別の世界のトーフェは、おまえのような息子を持つことができたんだな」
 長い髪をかき上げ、ィタイファは笑った。
 それだけで、この世界の父が、決して幸せではなかったのだろうと想像できた。

 飛行艇は降下して、巨竜の頭部を間近に見る。
 鈍い色の霧に巻かれてさまざまな魔物が右往左往している。
 そんなことに構わず、タイファを呑み込んだ方が、ゆっくりと頭を高く上げる。そこから再び降下させる。
「呑み込もうとしている」
 オクライが静かに言った。

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