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魔法物語 ロブロウ No.21

 風が出てきた。
 強い風だ。日暮れ前の凪が終わったようだ。もうじき夜になる。
 道に突っ立っていたロブロウの髭が揺れる。髪は揺れない。もうほとんど残っていないから。頭に夕陽が跳ねている。
 かつて船長と呼ばれていた男は、今では陸に上がり、静かに余生を送っている。ただし、若い頃に思い描いていたのと違って、一人暮らしだ。
 さびしいと思ったこともあったが、もう慣れた。
 船を売って金に換え、そいつで山間の小さな家に住んで畑でもやろうと考えたが、新しい生活はそんなに簡単ではなかった。
 今は港のある小さな町に暮らして、蓄えで生きている。近くに住む昔なじみと酒を飲むのが楽しみ、などという、若い時分にはむしろ嫌がりそうだった生活だ。
 近所の子どもたちの大半には遠ざけられている。本当は、自慢話のひとつもしたいところなのだが、子どもというものを持ったことがないロブロウには、話しかけるきっかけがつかめない。
 おそらく、いつも機嫌の悪いハゲおやじ、くらいに思われているのだろう。もっとも、どういうわけかひとりだけなついている子がいる。
「どう、おじさん」
 おいぼれた自分に似合わぬ、身なりのきちんとした娘だ。スティナという、たしか十三になったばかり。
「どうもないな」
 すげない返事をしても微笑みが返ってくる。髪を結い上げて、動きやすそうな、それでいて女性らしい服装で、夜になる少し前に様子を見に来るのだ。
「ほらこれ、あたしが作った」
 そうして、木の実を乗せた焼き菓子を取り出した。
「甘いのはいらねえ」
「甘くないよ。おじさん用」
 押しつけてくるからひとつつまみ上げ、しげしげと見てから口に入れる。なるほど、ほのかにしょっぱい。木の実も香ばしい。ただ、
「うめえような気がするよ」
「気がするってなによ」
「歯がぬちゃつきやがるんだ」
 スティナがなついているのは、もう死んだ祖父の代わりだと分かっている。実はその人は、ロブロウが駆け出しだった頃の船長だった。
 その葬儀で出会ったのがスティナだった。
「歯、足りないの?」
「馬鹿いえ、あるからぬちゃつくんだ」
 軽口を叩いてくるが、この娘も近所の子どもとうまくいっていないようだ。じいちゃん子だったのだろう。きっと、そこで他人と違う憧れを植え付けられたのだ。
 根本的な価値観にずれがあると、人間関係というのはうまくゆかないものだ。それと承知でつき合えるのは、かなり大人といえる。当のロブロウにしても、この年齢でもうまく出来ているとは言い難い。せいぜいが相手の大切な領域に踏み込まぬように気をつける、くらい。それさえも時々間違える。
「大事な歯が抜けたら困るもんね」
「ああ、まあそうだ」
 こんな言葉でも、少し心がひりついたりする。我慢のきかない年頃になれば荒れることだってあるだろう。
 それでも、数少ない若い友人には鷹揚でいる。
「ねえ、お菓子のお礼に、なにかおもしろい話、聞かせて。おじいちゃんが出るやつ」
 スティナがねだる。作り話でもかまわないのだろうが、出来ればなるべく(多少は嘘でも)本当のところを話しておきたいと思ってしまう。
 けれど記憶は、ところどころ頼りない。明瞭な場面もあるがおぼろげな事情もある。そんなあれやこれやを繋ぎ合わせて、スティナを喜ばせるようなお話を紡ぐ。
「とりあえず、あそこの長椅子に座らせてもらおう。長く立ってるとしんどいんだ」

 船ってのはな、人と物を運ぶためのもんだ。
 大きければ大きいだけ、たくさんの人や物を運べる。だが、大きければいいってもんでもねえ。いろんな兼ね合いがあって、ほどほどの大きさってもんが決まる。
 そうして、船の大きさに応じて乗員の数も決まってくるってわけだ。
 その頃、おれらが乗ってた船の乗員は三十人ほど。立派なもんさ。それだけの船で、いろんな荷物を運んで商売をしていた。その土地によって育つ作物も違う。作っている品も違う。すると、物の価値ってのが、土地によって変わるわけだ。ひとつの品物が、土地によって珍しかったりありふれたもんだったりする。そこで、品物を運んで利益にする、って話になる。
 ただし、運ぶには危険も伴う。天候が問題だったり、竜やら魔獣やらに襲われもする。敵が人間ってことも少なくはねえし。
 そうさなあ、何人も仲間を亡くしたもんだ。
 ああ、いや、そうだ。不思議な話がある。そいつを聞くか?

 話は揺らぎながら紡がれる。きちんと構想して、分かりやすく、面白く、感動させられるように組み立てて、それなりの体裁を整える。同じ話を何度もすれば、そういうことだって起こるだろう。けれど最初は、浮き上がった断片を並べてゆくだけだ。
 だからロブロウが語り出したのは、実はスティナの祖父がらみの話ではなく、ロブロウ自身が船長になって、そろそろ引退しようかという時期のことだ。ほんの数年前の出来事だ。
 語り慣れてなどいないその話を、思いつきで適当に登場人物を変えて話すことにする。
「不思議な話?」
 そう目を輝かす少女の期待に、どうにかして応えてしまいたくなる。
「そうだ。不思議な話さ」
 ぐい、と髭をしごいた。

 寒い時期の航海だった。予定外に激しくなった嵐をどうにか回避して、それでも荒れた海だった。
 俺たちは疲れてた。
 そのせいで大きな危険を見逃しちまった。海の魔獣さ。気づいた時、そいつは海面から跳ね上がり、船に襲いかかってきた。自ら甲板に落ちて、一瞬で獲物をくわえ、次の瞬間には海に戻る。
 残されたのは、魔獣の体液でぬらついた床板だけだ。
 なにが起こったのか、俺たちは最初分かっていなかった。が、すぐに気づいた。
「デイタがいねえ」
 誰が海に連れ込まれたのか、分かった時にはもう、魔獣の姿は見えなくなってた。どう嘆いても悔やんでも、もう諦めるしかなかった。
 その次の朝さ。不思議ってのは。
 一面に霧が出てた。雲はあんまりなくて頭上はうっすらだが空に抜けてた。
 朝の陽射しは、深い霧を越えてにじみながら届くんだ。同じ色のようだが、濃さが違う。炎を乳で溶いたような色が広がってる。
 その中に、影があった。いつからあったか分からねえ。だが、そいつはたちまち大きくなる。船の影だった。
 接触したらまずい、そう思った時に、その船が俺たちの船とそっくりだと分かる。
 そんなこと、そうあるもんじゃねえ。なんとか互いに舵を切って、併走する形になった。
 だが、それだけじゃねえんだ。相手の船の甲板に、見つけちまった。
「デイタ!」
 昨日いなくなったばかりの、仲間の姿だった。もうそれだけで、相手が幽霊船だと決定だ。船乗りは、そういう迷信じみた話にけっこう弱い。みんな震え上がった。
 ところがそれで終わらねえ。
「いる。みんないるぞ」
 どこかで誰かが叫ぶ。いや、ひょっとしたらあっちの船だったかもしれねえ。いや、同じ言葉が同時に相互に上がったのかもしれん。
 そうだ。デイタだけじゃなかった。そのほかの船員たちも、見る限りみんないたんだ。こっちの船にも、あっちの船にもひとりずつ。つまり、どうやら、デイタの他は全部ふたりになっちまった。
「偽物だ!」
 誰かが叫んだ。何人も叫んでいた。

 スティナが目を輝かす。
「それでどうなるの? 戦いになるの?」
「まあ、そうだなあ。戦って生き残った方が本物ってことにしちまいそうだ。だが、考えてみてくれ、俺たちより相手の方が有利なことがある」
 ロブロウは嬉しそうに尋ねた。するとすぐに少女は答えにたどり着く。
「そうか、相手の方が多い」
「その通り」
 自分同士で戦えば消耗戦だ。総員で戦闘ということになれば、それじゃうまくない。できれば、自分より弱い相手と戦いたい。そういう条件で考えると、ひとり多いという状況は圧倒的に有利なのだ。
「じゃ、やられちゃうじゃない」
「いや、だが、それだけじゃない。だいたいだな、戦いが始まって混戦となればどうなる」
「え?」
 スティナには想像が及ばなかったようだ。
「どれが味方でどれが敵か分からなくなる」
「そっか、全員顔見知りだけど同じ人がふたりいたら」
「そういうことさ」
 スティナの目がさらに輝く。
「どうすんの? あ、分かった、弓だ」
 なるほど賢い。船を移乗しなければ敵味方が混ざってしまうことはないだろう。だが、そうなったら運任せ、問答無用の消耗戦に突入だ。
 だから、ここは少女の期待には応えられない。
「残念、はずれだ」
「えぇ?」
 ここで、少しばかり嘘を含ませておくことにする。
「賢いやつは、気づくことができる。問題が、どこにあるのかをな」
「問題?」
 言葉にするなら生理的嫌悪感というところ。だが、これは少女に説明するのは面倒だ。
「ああ、そいつに気づいた賢いデラハス船長が叫んだんだ。『あわてるな、相手が敵とは限らねえ』とな。すると驚くことに、同じ言葉が相手の船からも聞こえてきたんだ」
 嘘、というのはここだ。そもそもこの話には、スティナのおじいちゃん、デラハスはいない。ロブロウが船長だった、まだ比較的新しい時期の話だ。もっとも、叫んだのは船長だったロブロウじゃない。船員の中にいた便利屋、イロウパだった。
 だが、ここはスティナのお望みにより、今はなきじいちゃんに花を持たせておくことにした。
「どういうこと?」
「あわてて戦うな、ってことさ。気持ち悪いからって考えなしで戦ってたら、えらいことになる」

 風がやんであたりが静かになる。
 ロブロウは髭をしごく。
 胸のすくような活劇をご期待のむきには納得もゆかぬだろうが、戦わぬという選択肢を着地させるのは、愚かに戦うことよりはるかに難しい。
 それをやってのけたイロウパのことを、ロブロウは懐かしく思い出していた。

 光をまとった朝霧の中に、なぜだかよく通るイロウパの声が響いた。
「なにかが俺たちをだましてるのかもしれねえ。だとしたら、その目的はなんだ」
 船員たちの動きが止まる。
「同士討ちだ。間違いない」
 だれかが答えて、それが既成事実となる。こうなれば一気に戦意は衰える。
 おぼろげな視界の中で急速に合意形成が進む。つまり、なにが起こっているかを明確にしなければならない、という目的意識が芽生えたのだ。だが、それだけでは足りないと、イロウパは承知していた。
「ロブロウ! この件、おれに預けてくれ」
 ひとまず船長に許可を求める。
「任せる!」
 すかさずロブロウが応じる。判断の速さが求められる状況である。そうして、もし頼るならイロウパだと決めていた。
 イロウパが寝間着で姿を現し、甲板を走る。もっとも隣の船に近い位置を探す。
 すると向かいの船のイロウパもまた現れる。同じように急いで出てきた寝間着姿だ。当たり前のように、ふたりのイロウパが向かい合う。と、寝間着の上衣をはだけた。肩を剥き出しにしたのだ。
 風が吹いて霧を流す。
 ふたりのイロウパの挙動に、皆が息を呑む。
 かすかに、かすかに声が響いた。
 キィ
 穏やかな、小動物の鳴き声。途端に、緊張がほぐれる。全員が、その声の意味を知っているからだ。イロウパの肩に棲む小さな魔法獣ナユ。ひどく敏感なそいつが、警戒を解いた声だった。
 かくてひとまず、もうひとりの自分が騙そうとしている可能性を解除できたのだ。

 人は意図を求める、目的を見いだそうとする生き物だ。そこを足場にして物事を考えようとする。人生の意味、などという問いに答えを得ようとするのも、この厄介な性質による。
 まして自分がふたりになる、などという滅多にない経験をすれば、そこになんらかの意味や、なんらかの計略のようなものを考えずにはいられない。
 だが、意図や目的などは、ほとんどの場合には存在しないのだ。雨に大地を潤そうという意図などなく、風に木々を揺らそうという目的などないように。
 それでも人は、ただおのれを納得させるためだけに理屈をこしらえてしまったりもする。勝手に描き上げた理屈を信じて、それで安心したりもするのだ。

「これ、おじいちゃんの話?」
 薄闇が近づく中、スティナが疑う声を上げる。
「そう、じゃあ、なかったかもしれんな」
 ロブロウは正直に答えた。
「だと思った。おじいちゃんにしては賢すぎる」
「おいおい」
 確かにデラハスは知恵が回るというより、皆に好かれることで難事を切り抜ける人だった。だれであれかまわずどうにかしてもらってから、しっかり感謝するのがうまかった。
「まあいいや。それからどうなったの?」
 ふと、不穏な空気を感じてロブロウはあたりを確認する。と、見慣れぬ人影に気づいた。男のようだ。ゆっくりと近づいてくる。
 気配を察したのか、スティナも黙り込んだ。
「こんばんは」
 男は言った。明らかにロブロウに向かって。
「なんだい、あんた」
 屈強そうな男だった。暗くなりかけて顔つきまでは見えない。ただ、どこかで会ったことがあるような気もする。もっとも、そういう相手ならロブロウにはいくらでもいるのだ。
「ホーサグです。昔、会ったことがありますが、それは覚えていないでしょう」
「ああ、覚えてない」
 速攻で返事する。
「少し大切な用事があるんですが、申し訳ありませんが、今の話の続きを聞かせてください」
 ロブロウは反射的にスティナを見た。少女は大きく瞬きして小さく頷いた。
「立ち聞きしてたのかよ」
 ロブロウは吐き捨てるように言った。

 どういう段取りだったか覚えてないんだが、その後、言うなれば自分改め、ということになった。
 結局、どいつもこいつも、自分そっくりのもうひとり、って相手に興味があった。自分が自分であるのは間違いないが、ならば自分そっくりの相手は誰だろう、ってわけだ。
 で、もし確認しようってことになったら自分でやらなくちゃならねえ。他の誰にも出来ることじゃねえんだ。他の誰かに「おまえが偽物だ」、なんて言われたら困るだけじゃねえか。
 というわけで、ほとんど全員が、もうひとりの自分と向かい合って、お互いのことを確かめることになる。あっちの船こっちの船、いろんな場所でそれぞれに始まっちまったんだ。
 もちろん、例外だってあったわけだが。
 確かめかたもいろいろだ。力比べや、組み合いをして互いの強さを確かめる者もあった。自分しか知らないはずのことを質問し合って確認する者もあった。食べ比べで決めようとする者もあったが、それは食料が無駄になる、と止められた。
 歌ってみたり踊ってみたりと、特技の披露合戦になったところもあった。
 だが、決められなかった。どのふたりをとってみても、ほぼ同じ、という結論になるだけだった。ただ唯一、違うところがある。それは、デイタが死んでから後の記憶だ。そしてもちろん、デイタその人だ。
 ロブロウとイロウパがふたりずつ、ひとりしかいないデイタを囲んだ。要するに、慰めるためだった。半分が、なぜデイタがいないかを知っていた。けれどその事情を、話すべきかどうか悩んだ。半分は、状況をほぼ察して、生きていることが幸運だったというところへ話を落ち着けようとしていた。
 当のデイタは、海の魔獣に食われかけたことを思い出して、その恐怖の意味を確認していた。
 だが、そこで予定外のことが起こった。操舵士たちが持ち場を離れていたせいだ。ふたつの船が近づきすぎていたのだ。
 まだ霧は晴れなかった。海はどこまで広がっているか分からなかった。いつしか、船は互いの存在だけしか感知できないような、奇妙な状態にあった。
 鈍い衝撃に皆が顔を見合わせる。
 ただ、音がしなかった。船と船が接触したはずなのに、その音が聞こえていなかった。
 ぶつかったあたりに人が集まった。
 船が、溶けていた。

 話が少し駆け足になっていた。
 実は、このあたりの出来事を、ロブロウは詳しく覚えていなかった。結果からの推測を半ば交えながら、もっともらしい映像を作ってしまったのかもしれない。
「溶けて、どうなったの?」
 かまわずスティナが訊いてくる。
「溶け合わさって、徐々にひとつになっていったんだ」
 ロブロウはそう応じる。そうだ、船は溶けて合わさって、最終的にひとつになる。
 そしてそれだけじゃなかった。
「乗組員も」
 とだけ、ホーサグを名乗った男が言う。
「ああ」
 ロブロウはそう答える。だが、覚えていないのだ。たとえば、ふたりのイロウパが溶け合うようにひとりになる様子を、覚えている気がする。なのに、自分のこととなるとまるで思い出せない。
 おそらく溶けてひとつになったんだろうと想像はできる。というのも、ロブロウには確かに、デイタが殺された記憶があるのに、殺されなかった記憶もあるのだ。それどころか、海の魔獣に一太刀くらわした記憶さえも、おぼろげながらある。
「まるで夢を見たみたいだった」
 もう暗くて、ロブロウの微笑みはスティナに見えなかったに違いない。
「デイタさんは?」
 すかさずスティナが尋ねる。
「ああ、生きてたよ」

 霧が晴れた。
 船は一隻だけだった。
 乗員はだれもいなくなっていなかった。
 死んだはずのデイタも、ひどく青い顔をしていたが、たしかにそこにいた。
 昇った太陽の光は、なにもかもを、これこそが本物であると証明するように、輪郭を輝かすように注いでいた。

 ホーサグは言った。
「ロブロウさん、あなたを我々の船にお迎えしようと思います」
 と。

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