魔法物語 行方 No.22
それがどこなのかが分からない。
いや、どこなのかが特定できるのか、特定できたとしてそのことに意味があるのか、それさえも分からない。
ィロウチの小さな目が青い竜ルシフスを追ってたどり着いた世界を皆で見ていた。
木々の色濃い、生命にあふれた印象の風景だった。
「確認すべきことがある。この風景が、どうやって我々のいる場所まで届けられているのかだ」
ィオクライが座り込んで言った。床とも地面ともつかない、白く広い足場だ。
魔法は、距離を無視する。だが、なにかを伝えるにはそれを伝えるための経路を必要とするのだ。そのことを、ロウチは少し前に経験していた。その伝達経路をたどって、魔導師のラシリウスはロウチを見つけだすことができたのだ。
ならば今、ィロウチの放った小さな目からの映像が届いている以上、この場所と見えている風景との間に、なんらかのつながりがあると考えなければならない。
しかしルシフスの飛んだ経路は、あたかも空間の切れ目を抜けるようだった。そうして、その切れ目は閉ざされてしまったように見えた。ふつうに考えて、小さな目とのつながりも切断されるだろうと思える。それなのに映像が届いている。これはどういうことか。
ィオクライの疑問はそういうことだ。
ただしこの話は共有しにくいものだった。きわめて本質的な疑問でありながら、どうすれば解消されるのかを調べる手がかりが見あたらないからだ。
「その問題は、われわれ全員で考えるべきことではないだろうと思う」
ィセグロが結論を突きつける。
ィオクライは一瞬だけ怪訝そうにしたが、すぐに納得して頷いた。
「ぼくらじゃどうすることもできませんね」
ィロウチは状況を理解できたようだ。
大きな問題である可能性がある。だが、手がかりが足りない以上は棚上げにすべきだ。もちろん、放置するわけにはゆかないと、互いに了解の上で。
一方、その件についてあまり興味がないィメイリとィホーサグとィリーラは、三人で別のことをしていた。
ィメイリに身体の動かし方を教えていたのだ。体術を身につければ、それが外のメイリにも伝わると分かれば、遊びとしても楽しい。その上ここでは身体が疲れるということがなさそうで、いくらでも訓練できる。
役に立つかどうかは分からない。けれど、無駄になるとも思えなかった。
やがてィロブロウが現れれば、別の段階に進めるはずだった。
町のはずれに着陸した飛行艇。
あたりはすっかり暗くなっている。
そこへ、ロブロウだけでなく名も知らぬ少女を連れてホーサグが戻って来た。
オクライは困惑ぎみだった。けれどリーラは、すぐに受け入れていた。
メイリの作り出す内側の世界は、少数精鋭で運営するという方針だった。だから、なんということもない普通の女の子とおぼしきスティナは、邪魔になる、あるいは障害になる、という見立てがありうる。一方、その場合にメイリもしくはィメイリをどう考えるか、という問題がありうるだろう。大きな能力もしくは大きな運命を持つとはいえ、メイリはひとりの少女に過ぎない、とも言える。すると、少数精鋭という枠組みの異分子ともなりかねない。孤立してしまうことも考えられる。それを避けるべきだ。
それが少女を連れてきたホーサグの言い分だった。
リーラが了承する。
「いいんじゃないかな。もちろん、ご本人には帰ってもらうけど」
飛行艇に乗れる人数はメイリの内なる世界よりずっと少ないのだから、ここはおいそれと増やすわけにはゆかない。ただしロブロウは、船を導く者として協力してもらいたい。おのずと結論は定まる。
話をするうちにオクライにもオクライなりの納得ができていったようだった。
結局のところ、人にはそれぞれに特質がある。この飛行艇の目的が、たとえば世界を救うといった壮大なものであったとしても、それだけやっている、というわけにはゆかない。自分たちの生きる営みが必ず発生する。互いの関係性も配慮しなければならない。そうした状況においては、それぞれの特性をうまく組み合わせてゆかねばならないだろう。
何事につけ、大きな仕組みをうまく動かしてゆくには、さまざまな冗長性を適切に組み込むべきでもある。単純に不要な要素を切り捨てればいいというものでもない。
「メイリ、どう思う?」
だから確認してみる。するとメイリが、成り行きを心配していたようだったが、ぱぁっと笑った。
「うん」
頷かれて、それ以上は聞くまでもなかった。もちろん、深い考えなどあるはずもない。ただ、メイリにも同じ年頃の友だちが必要だろう。
メイリの内なる世界に、新たな参加者がふたり加わった。ィロブロウとィスティナ。例によって、ふたりはふいに登場する。登場した、というような段取りもなく、いつしかそこに、ずっと以前からいたかのようにいる。
ふたりに対して、おおよその事情は外の世界で説明されていたが、最初は驚くのも当然だった。とりわけ納得しがたいのは、ここにいる自分がさっきまでの自分とは別の存在だということだ。説明されても実感はできない。
たとえばふいに自分がふたりになったとして、それぞれが同じ記憶を持ち、同じように感じることができたとしたら、どちらもが本物であると考えるに違いない。一方が、まるで異なる場所にいることになったとしても、記憶が継続しているなら、ただ場所が変わっただけで自分が別物になったのだとは考えにくい。
ことの経緯を知らぬロブロウでは、この状態を受け入れられないのも、むしろ当然だった。
「さて、我々はこれから、なすべきことを探す必要がある。だが、どうやら全員で一致協力とはいかないようだ。あんたにも、分担について考えてもらう必要がある」
翼を持つ魔導師ィオクライが、そう話しかけてきた。
ィロブロウは、遠い昔、この魔導師に出会ったことがあったと思い出す。ただし遠目に見た程度だったはずだ。
「わしに来てもらおうとしたのは、この小さな船の航海士をさせるつもりだったのだろう。だとしたら、下手な分担は不要だ」
そこへィホーサグが口をはさぬ。
「航海士は、もう外にいます。それに、ここは小さな船なんかじゃない」
言われても、状況をうまく咀嚼できない。しばらく目を白黒させる。
つまり、ィのつく名前を持つ者は実体ではなく、それぞれの個性を持つ者。ここにいる全部。自分も含めて。なるほど、航海士の役目は、ィのつかない自分、ロブロウの仕事ということか。
「分担を決めるのはまだ早い。まずは、外の世界がどうなっているのかを知りたい」
そう声をかけてきたのはィセグロだ。親しくしてきたわけではないが、セグロならイロウパの義父にあたる男だ。それなりに信用できる人だと知っている。
「どういうことだい?」
ィロブロウは確認する。
「ここ数年で、おそらく世界全体に大きな変化が生じているらしいと感じている。その具体例を、あなたは知っているんじゃありませんか?」
「なるほど。異変か」
そう言われても、すぐにあれやこれを挙げるのは難しい。変化を語るには、元の状態との比較が必要だから。
ただそれでも、長く生きてきたことで、当たり前だと思っていたいろんなことが変わり始めているのは気づいていないはずもなかった。
ここに招かれる直前に話していた、死者の帰還の話もそのひとつだ。不思議な経験だったと、言ってしまえば簡単だが、それを不思議だと思うには、不思議ではない状態を前提にしなければならない。それ自体の理屈がつかず、ただ不思議と札をつけて棚にしまっておくしかできなかった出来事。
だが確かに、理屈がつかぬ不思議な出来事は、そのひとつだけではなかった。そんないくつかの出来事をもしも結びつけることができたら、納得のゆく理屈が組み上げられるのだろうか。
「なにかありますか?」
「いや、いくつもあると思う。だが、すぐには出てこねえよ。ごちゃごちゃなんだ」
「規模の大きな変化、ならどうでしょう」
声をかけてきたのは女性だった。後でィリーラという名だと知ることになる。
「規模? でっかい異変ってことか」
「そうです」
と言われて、ふいにひとつの出来事を思い出す。
「ああ、それなら……」
どこへ行くべきか。
ロブロウが問われたのはその一点だった。
まず、もちろんスティナは家に帰した。
準備を終えてオクライとホーサグは飛行艇を離陸させようとしていた。ひとまずは面倒を避けて街から距離を置き、夜が明けたら改めて出発する。そういう計画だ。が、できれば早めに行く先を決めておきたい。
もっともな話だ。
だが、どこへ行くというのか。
曖昧な問いだ。が、ふと思い出す。まるでなにかに誘われたように、心がなにかに共鳴するように、ひとつの言葉を思い出していた。
「竜の大地、だ」
そこに、圧倒的なまでの変異が生じている。
いや、実は確認していなかった。そこは、船で行くことができる場所ではなかったから……。いや、決して言葉に出しはしないが、実はロブロウは臆したのだ。
竜の大地が、巨大な黄金の竜が、その場から動き出したという噂に。
だが、だからこそ行きたいと気づく。この飛行艇なら、比較的安全なのではないか、という計算も働いていた。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?