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想い出の地

 細く緩やかにカーブする山間の道を抜けると、かつて集落であったらしき名残の土地が広がる。かろうじて以前の印象を残す建物もあるが、もう、この場所に住む人はいないらしい。
「さて、どうしようか」
「まずは、おじいさまの指示通り、管理棟を目指すべきでしょう」
 私ひとりだが、問えばパートナーから答えが得られる。まあ、これくらいなら教えてもらうまでもないが、確認のためだ。
 鍵、というやつを持ってきていた。金属の小物だ。これを使うべき状態になるらしい。祖父に託されたのだ。
「真っ直ぐに進みます。分岐になっている道を左に進み、前方左手に、無事ならば建物が見えるはずです」
 案内されたままに進むと、やがて四角い建物が見える。かつては白かったのだろうが今では薄汚れて、壁には黒いシミがついていた。
「ここで鍵を使います。扉に鍵穴があるはずです。差し込んで回せば解錠されます」
 信用されてないのでいちいち教えてくれるのだ。しかし鍵穴というのはどれのことだろう。
「固くなってるかもしれません。あらかじめ潤滑剤をスプレーしておくといいでしょう」
 出発前から準備されていたスプレーなるものに細い管を取り付けて、ひとしきり鍵穴を探した。
「ほらほら、そこそこ」
「なんだよ、うるせえな」
 ようやく見つけた鍵穴というやつは予想以上に小さい。ここに鍵を差せばいいらしい。いや、まずはスプレー。これは前に使ったことがある。それから鍵を持って、
「違う違う。逆逆。それじゃ回せないだろうが」
 それでもどうにか鍵を鍵穴に突っ込んで回した。かつて経験したことのない感触。でも、開かない。
「自分で開けるんだよ。自動じゃ開かない」
「どうやるんだよ」
「取っ手があるでしょう。そこに手をかけて回しつつ、たぶん、引っ張ります」
 なんだか溜め息交じりの声。
 掴んで回して引っ張ると、なにか壊れたような音がして砂埃が舞い、それから一気に開いた。そこは、暗がりだ。それと嫌な臭い。
「で、どうすんだよ」
「内部に案内があるはずです。まずはそこを確認してください」
 暗いがなんとか見える。机と、棚。机の引き出しを開くと、そこにこの集落の案内が数枚入っていた。紙に簡単な地図を印刷して、細々とした説明がついている。
 もう誰もいない、誰も来ない、小さな理想郷の地図だった。

 あの日、祖父は寂しそうに微笑んだ。
「おまえに、ぼくの宝を託そうと思う」
 このところすっかり気力をなくしてしまった祖父だった。
「いらないよ」
 反射的に応えたら、ますます寂しそうになった。
 話の面白い祖父だった。とうてい現実とは思えぬような昔話を、いくらでも語ることのできる祖父だった。
「そう言うな」
 けれど祖父の話し相手もこのところすっかりいなくなって、ぼんやりしていることが多くなっていた。
「引き受けてあげましょうよ」
 と声がした。ふいに起動した、やつ(パートナー)の提案だった。
 かくて結局、その宝というのを引き受けることになった。
 正直、気は進まなかった。宝というのは、つまり価値観のことだ。宝石とか、美術品とか、金銭的に価値があるものもあるけれど、そういうものにしたって、大切であると感じ、欲しいと思うということの意味が重要なのだ。
 だから、祖父には祖父の価値観があって、祖父に大切な何かが〝宝〟なのだ。けれど、孫の私にしてみれば価値観は違う。一方的に大切さを押しつけられても困る。
「一度、行ってみてくれ」
 祖父の宝とは、場所だった。調べてみたら、祖父の若い頃の仲間たちと作り上げた理想郷だったらしい。金銭的に余裕のあった祖父は、仲間たちと語らってその場所を計画し、建築し、所有していたのだ。
 もっとも、その場所はどうにも不便な場所で、今となっては金銭的な価値はほとんどないらしいのだった。

「さて、それからどうする?」
「おじいさまの居場所であった建物があるはずです。案内図に従って、そこへ行きましょう」
 案内図には人名が記入されている。祖父の仲間たちだろう。その中にもちろん、祖父の名前もある。
 まだ日は高かった。けれど改めて外に出ると、冷たい風が吹いた。谷筋を、吹き下ろして行く風だ。
 管理棟から祖父の居住棟はすぐ近くだ。管理棟には、この土地のすべての建物用の鍵も保管されていた。その一本で、祖父のいた建物に入る。ドアを開けるとそこは、すこし広いホールだった。
 やはりほこり臭いが、よほど頑丈な素材で作られているのかガラスが割れていない。曇ってはいても充分に明るいのだ。
「紫外線はカットされているようです」
「え? どういうこと?」
「分からなくていいのです。さあ、その奥に続くドアを開けてください」
 パートナーは私と感覚を共有するのだけれど、実体はない。だからドアを開けることもできない。
 えーと、このドアはどうやって開くんだ?
 ちょっとした試行錯誤の後に、ドアを開く。それまでパートナーは黙っていたのだが、開いた瞬間にちょっと叫んだ。
「わあ」
 いや、さっきまでとは違うタイプのほこり臭い空間だ。だだっ広いスペースに、無数の棚が林立している。扉も引き出しもない、素っ気ない、棚。そうして、その棚には、いっぱいの直方体が、ラベルを印刷されたものがぎっしり並べられている。
「なに、これ」
「本です。もちろん本です。紙に印刷された本。さあ、よく見せてください」
 勝手に興奮している。中に入っていって眺め渡すと、さらに声のトーンは高まる。
「わああ、銀背だあ。うそ、星雲まである。なにそれ、塔晶夫版の虚無がこんな雑に置かれてるぅ」
 よく分からないのだが、わがパートナーにはこの場所は宝の山であるらしい。もしかしたら、祖父は私じゃなくてこいつに宝を渡したかったのかもしれなかった。
 でも、
「紙の本って、酸化して粉々になっちゃうんじゃなかったっけ?」
 こうして呼吸している空気の中にも、宝の破片が含まれているのかもしれないのだった。
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 Bingのimagecreatorでイラストを生成しました。
 年を取ると、いろいろ複雑だなあ、と思います。
 この年末年始には、いつも以上に多くの死に出会ったので、こんな話を書いてみたのでした。

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