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魔法物語 メイリ2

 自分の名を呼んでみる。
「メイリ」
 良い名である、とは思わない。悪いとも思わない。ただしっくりしない。
 名前なんてそんなものだ。分別もつかないほど幼い頃からずっと呼ばれて、少しずつ馴染んでくるものだ。
 今さら自分の名前だなんて言われても、ほとんど呼ばれたことがないのだから、しっくりくるはずがない。だから、しかたない。
「どうした」
 と問いかけてくるのは、そう、オクライ。なんとなく、偉い人。ただ、ひとつ大切なことがある。オクライは、もう、自分の中にいる、ということ。今は目の前にもいるけれど、もしいなくなっても、呼べばきっと中のオクライが応えてくれる。
「名前って、なんですか」
 聞いてみる。少し悩んで外のオクライが答える。
「区別だな。わしとおまえは別の存在だ。当たり前だが、言葉ではそれが分かりにくい。それを分かるように、名前というのを使っている。わしの名前はわしを表現するための言葉だ。おまえの名前はおまえを表現するための言葉、ということになる」
「言葉?」
「ああそうだ。そもそも言葉というのは、区別するために作られたものだ。花と鳥を区別し、異なる花の種類を区別する。とりわけ人の名は、それぞれに異なることを明らかにせねばならない。ゆえに、それぞれの言葉を持ち、名前と呼ぶのだ」
 そう言われてメイリは小さく笑った。自分の中にもオクライがいる。目の前にもオクライがいる。違うオクライなのに名前がひとつしかない。分かりにくい。
「わたしの名前はメイリ」
「ああ、そうだ。わしがつけた」
 オクライは頷く。翼が揺れる。

 広く白い世界に、ロウチとオクライのふたりだけがいる。外の会話が、かろうじて聞こえてくる。
「そうなんですか?」
 とロウチは尋ねた。
「名前のことか。わしには五人、作った娘がある。わしが作ったからには、わしが名付ける必要があった」
 オクライと名乗った魔導師が、ここと外の両方にいる。そのどちらもがオクライだとすれば、メイリを作り出した魔導師は、このオクライということでいいのだろうか。同じ人物と考えていいのだろうか。
 そこでロウチは気づく。自分も同じだ。すぐ近くの外にはいないけれど、どこかに、たぶんグラウゼの宿の部屋に、もうひとりのロウチがいる。
 小さい目が、ふたつあって、ひとつが自分のものだ。もうひとつが、グラウゼにいる自分のものだ。そのそれぞれがなにかを見ているのだが、今、自分が見ることのできる外の情景は、果たして自分の小さい目が見ているものなのだろうか。どちらもロウチの、自分の小さい目であるのだから、どっちがどっちという区別が、本当についているのだろうか。視界を動かそうとした時に、きちんと区別できているだろうか。なにか区別をつける、確かめる方法はないのだろうか。
 ひとつ思いつく。
 ロウチはふたりになったかもしれないけれど、この自分はどうしたって自分だから、もう一人の自分と区別できているはずだ。だから、まず自分に新しい名前をつけたらどうだろう。そうすれば、小さな目にも新しい名前をつけてやれる。
「お願いがあります」
「なんだ?」
 ふいに言われてオクライが驚いた声を出す。
「ぼくに新しい名前をつけてください」
 しばしオクライは、ロウチの言葉の真意を掴みきれないという様子だった。
「区別か?」
「そうです」
 ロウチの思いを、魔導師は察してくれたようだった。

「なるほどな」
 オクライは思案する。ここで新しい名前をつけるのは難しい話ではない。だが、今後のことも考えておく必要があるのではないか。ふたりだけで済めばいいが、ことはそう単純ではない。もしかしたら、とうてい新しく名前をつけられないほどの数になるかもしれない。
「あなたも新しい名前に・・」
「ええい、分かっておる」
 難しくなく、単純な仕組みで、新しい名前にする必要があるのだ。分かりやすくするなら「メイリのロウチ」といった形にするべきだ。だが、この世界にいる全員に「メイリの」と付け加えるのでは、名前自体が無意味になるかもしれない。
「こうしよう」
 それはほんの思いつきに過ぎない。が、オクライには、もっと良い方法があるとも思えなかったのだ。
「名前の前に、このメイリの世界に住む、という意味の文字を加えるのだ。たとえば、ィロウチといった、発音は出来るが通常は使わない形だ」
「つまり、ィオクライさんですね」
「そういうことだ」
 こんな決まりにどれだけ意味があるのかは未知数だ。だが、必要である気がした。
 自分が置かれた境遇について、多少の予想はできる。だが、分からないことが多い。もしかしたらこの自分は、かりそめの、幻のごとき存在であるのかもしれない。だが、であるとしても捨て鉢になる必要はない。幻の人生が与えられたなら、幻として出来る限りのことをすればいい。
 ィオクライは翼を広げた。
 とはいうもののそこに意味などなかった。けれど、ィロウチは感心したように目を輝かす。
「よし、この世界の素性について、知っていることを話しておこうか」
 とはいえ、説明は簡単ではない。オクライもィオクライも、全体像を分かってはいなかったのだ。

 テネアという少女がいた。かつて、メイリの元になった、魔法のさだめを持つ少女だ。
 彼女には、特殊な魔法が隠されていた。
 テネアとは島の名で、その島にある街の名だった。が、いつしか少女はそう名乗っていた。そのことが、あるいは暗示的であったのかもしれない。
 オクライがテネアと出会ったのは、その島の中央部に近い森の、泉のほとりだった。そこには、少女ひとりが食べて暮らしてゆける、木の実や水があった。夜に眠る木の洞もあった。
 こんなところに、と思わぬはずもない。なんらかの事情があるのだろうと近づき、オクライはそこに隠された魔法に気づく。調べてみれば、小さな少女の身体に、予想もできぬほどの複雑な魔法が埋め込まれていた。
 魔法とは形を変える力である。少女が魔法であるということは、魔法を生み出すことのできる形をしている、ということである。
 その形に、オクライは魅せられた。自分だけではとうていたどり着けそうにない魔法の深奥部を感じたのだ。そこで、オクライは盗むことにした。新たに生み出すことができなくても、形を複写する魔法ならば使えたのだ。その魔法を、自分の手元に置くことを求めたのだ。
 そうして生まれたのがメイリだった。
 だが、オクライはメイリを隠した。彼女の持っている魔法は、オクライには理解不能の部分があり、気軽に使って良いとは思えなかったからだ。
 だが、そうこうするうちにテネアの魔法が目覚めた。それは、いうなれば魂を取り込む魔法だった。
 ただしオクライは魂という考えを認めていなかった。魂とは、いうなれば身体の外に、身体とは切り離された形で人格がある、とする考え方だ。だが、それは魔法の考え方と異なる。魔法はあらゆる機能が形に付随して生じると考える。つまり、人格もまた、その身体の形によって発生すると考えるのだ。
 だが、であるとすればテネアに顕現した魔法は、なにを行っているのか。身体がない状態でも人格が発生する方法があるのか、それとも、人格を宿すための身体を、その魔法は作り出しているのか。
 今、この白い世界でィオクライは悩ましく感じている。果たして自分は、自分という自我は、どのようにして成立しているのだろうか、と。
 頬を叩いてみた。痛みは生じていた。これで身体があるという証明にはならない。だが、その感覚は再現されていることになる。
 幻が幻を叩いて、はたして痛いだろうか。
 いや問題はそこではない。幻であるかどうかは問題ではない。ここでは、存在しないはずの存在があり、それは感じ、思い、考えられる。それ自体は否定できない。
 ならば、ひとまずは棚上げして、この世界を受け入れ、その中で出来ることを確かめ、試すべきだ。
 それには、オクライがこれまで生きて、考え、確かめてきた魔法が生かせるはずだ。
 オクライはずっと、空間ということについて考え、悩んできた。その知識が、ここでも生かせるのではないだろうか。

「よく分かりません」
 とィロウチは首を傾げた。
「だろうな。そんなに簡単に理解できるようでは、わが生涯は無駄だったに等しい」
 ィロウチは呆れた顔をして見せた。
「結局、この世界はどういうものなんです?」
「おそらく、借り物の世界だ。多くの人間がここに入り、ここで暮らすことができる。これは予想に過ぎないが、いつか本物が消えてしまうようなことがあっても、元に戻すことができるように用意された、記録のような世界だ」
 世界を書き写しておき、元の世界が消えてしまっても、また書き戻す。そういうことだろうか。特に、人についての記録、ということか。
「だから人の他にはなんにもないんですね」
「そういうものは、また別に用意することが出来るだろう。なんなら、新しく作ってもいい」
「でも、二人しかいません」
「おお、そうだ。そうだった。おまえに聞いておくべきことがある」
「はい?」
「おまえもまた、どこかに本物がいるのだろう。だが、どこにいる。どうやってここに来た?」
 本物はいつだってこの自分だ、という気分だ。けれど、魔導師の言いたいことも分かる。
 そこでィロウチは順番に説明することにした。
 小さい目の魔法のこと。青い竜のこと。世界がいくつもの泡のように出来上がっていること。その果てを越えるために旅に出たこと。そうして、旅人の街グラウゼの宿から、小さな目の旅によって魔導師と出会ったこと。誘いに乗らずに自分だけの旅をしようと思って、ついにこの場所に迷い込み、裸の少女に出会ってすぐに、この場に閉じこめられてしまったこと。
「ほう。では、おまえの本物は、この場には来ていないのだな」
「そうなります」
「つまり、小さな目というやつだけで、取り込まれたことになる」
「ええ、まあ」
 するとィオクライは嬉しそうに身体を揺すった。
「ならば逆に、おまえの目を使って、さまざまな人をここに連れて来ることが出来るかもしれん」
 ここは、多くの人を招き入れるための場所。だが、招くためにはなんらかのつながりが必要だろう。小さな目で見ることだけで、そのつながりになれるだろうか。
「そんなこと・・」
「ひとつためしてみたいことがある。おまえの小さな目というやつは、メイリを見ることができるだろう。ならば、あの娘をここに連れて来られるのではないか」
 思いもよらぬ提案だった。もっとも、具体的にどうすればいいのか分からない。
 ふいに、ィオクライが大きな声を上げる。
「メイリよ、聞いていたか!」
 すると白い空間が答える。
「はい」
「このィロウチが見るものを、おまえも見ることが出来るか?」
 少し迷っているのか間が空いたが、やがて、
「たぶん」
「よし、ィロウチよ、おまえの小さな目でメイリを見るのだ。メイリよ、自分の顔が見えたら、おまえの力を使うのだ」
「あの、いいですか?」
 白い空間が頼りない声を出した。
「なんだ?」
「あたし、自分の顔を見たことない」
 ィロウチとィオクライは互いに顔を見合わせ、しばしの沈黙を呑み込んでから、声をあげて笑った。

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