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25歳ゲイ、映画『エゴイスト』を観る。

「愛は身勝手。」

映画『エゴイスト』オフィシャルサイト

はじめに

【注意】この記事には、映画の感想や映画のキーアイテムなどの話が書かれています。ネタバレにならないよう配慮したつもりですが、前情報を入れたくない方は、鑑賞後にこの記事をご覧いただけると嬉しいです

映画『エゴイスト』をご存知でしょうか。僕は今週末の日曜日、この映画を観てきました。Twitterのゲイ用アカウントのタイムラインにもちょいちょい流れてきていましたし、YouTubeでトレーラーを観ていて、ずっと気になってはいたんですよね。土曜日にタイムラインにこの映画の投稿が再び流れてきたのを見て、急遽思い立ってネットでチケットを予約しました(自分は結構急に思い立ちがちです)。

ゲイ、映画館に行く。

映画館なんて、それこそ10代の頃に映画を観に行ったのが最後だったので、内心とてもワクワクしていました。

まあ「映画館」という建物自体は大人になってからも行っているんですけどね。新宿のTOHOシネマズは友人との待ち合わせで何回か使っていて(うわぁ都会の映画館かっこえ〜)と思っていました。

久しぶりの映画館。やっぱり映画館の売店の上に掲げられたデカいメニューがアメリカ感あっていいですよね。キャラメルの甘い香りが心をくすぐるよね。床に敷かれた赤いカーペットも歩いていて嬉しくなる。空間や余白を大胆に使うあの感じも好き。黒い壁にネオンっぽい空色で文字が浮かんでるのかっこよすぎんか??


早速、この映画を観てきた感想を書いてしまいますが、後半はずっと泣いていました。隣の人も泣いてた。後半は結構多くの観客が泣いていたんじゃないかな。時折鼻をすする声も聞こえた。

静かに目尻から無言で涙を流し続けるアラサー男ってなかなか目に毒だろうなとは感じつつ、どうせ劇場だし誰も見えないしいいかとも思っていた。まあ最悪外に出るまでに表情戻せば社会的に許されるでしょ、と自分を納得させながら、涙を垂れ流し続けました。結局、映画が終わったあとも涙は乾ききらないまま外に出ました。すれ違った人からすればまあまあ目に毒だったのかもしれない。

なんでこんなに泣いてしまったんだろう? もちろん映画の内容が素晴らしいっていうこともあるんだけど、きっと高校生のときの自分が同じ映画を観たとしても、こんなにボロ泣きすることはなかったんじゃないかな。

ちょっと思い当たったのが、大人になると、共感の手札が増えるという話(下のツイート)。ゲイとして5年ぐらい積み上げてきた思い出や経験があるから、自分の網にひっかかる描写も増えたのでしょう。

僕の場合は、鑑賞後はスッキリとした気持ちで劇場を出ました。カタルシス〜って感じです。

さて、ここからは「まだ映画を見ていない人」へ向けて、25歳のゲイからのおすすめポイントや感想をまとめます。もしよかったら鑑賞前のご参考にしてください。

これから『エゴイスト』を観る人へ

パンフレットがオススメ

みなさんは映画を観たあとはどうしますか? 僕は家で映画を観るときなど、よく振り返りというか反芻というか、リフレクションの時間をとります。今回は内容を思い出せるように、映写室を出てすぐ、iPhoneのメモに心に刺さった台詞や、劇中のキーとなる場面やアイテムについてパタパタ打ち込みまくりました。これが大正解。振り返りの良い材料になりました。それでも落とし漏れが結構あった気がします。その漏れをカバーしたのがパンフレットでした。

今回は劇場販売のパンフレットを買いました。結論から申し上げると、パンフレットを買ったのも大正解でした。とくに原作未履修で劇場に足を運んだ自分としては、鑑賞後に映画の内容を反芻するのにパンフレットの文字情報が大いに役立ちました。俳優陣のインタビューも掲載されていて、インタビューからは制作側のみなさんがこの映画に注ぎ込んだひとかたならぬ熱が伝わってきます。あとは劇中のカットが載っているので、目でみて楽しむのもオススメ。鑑賞後のリフレクション用にぜひ。

あと、原作小説も買いました。原作小説1冊を買うためだけに、帰り道に本屋に寄りました。セリフは原作小説に割と忠実なようなので、記憶をたどるのに大いに役立ちました。特に、浩輔の「ごめんなさい」の感情について、映画で観たときはあまり腑に落ちなかったのですが、原作小説を読んだことで理解が深まりました。本を読むのが苦手じゃない人は買うといいかもしれません。

ゲイがリアルすぎる

映画を観た感想としては、とにかく鈴木亮平の演技が凄い。「ゲイバーとかにもこういうゲイいるよな〜」っていう、リアルな等身大のゲイ像を提示される。

例を挙げましょうか。ゲイの間では、いわゆる「オネエ口調」でしゃべったり、オネエっぽい仕草をしたりすることを「ホゲる」という言い方をします。鈴木亮平演ずる浩輔の、ゲイの友人たちと話すときにちょっとホゲちゃう感じとか、一方でリアルのときにはホゲずに頑張っている感じとか、ゲイ的には「わかる〜〜こういう人いる〜〜」って感じなのです。

何度も言いますが、ゲイからすると本当にゲイの描写がリアルなんです。舌っ足らずな甘ったるい喋り方をするゲイとか、機関銃の如く喋り倒すゲイとか。 休日に気のおけないゲイたちと飲み歩いてエネルギーを爆発させる感じとか。

この映画、前半はよくあるゲイの日常を描いているんです。そういうわけで、正直なところ前半は「ん〜思ったより普通だなあ」と思っていました。実はこの日常のシーンが後半ジワジワ刺さってきたりするんですけどね。あとは、ちょっとえっちなシーンもあってスクリーンから目を逸らしちゃった。こっちもリアルすぎるんだよね〜。

ここまでリアルな「ゲイっぽさ」を実現できたことの背景には、制作側の研究の成果があるんでしょうし、あるいは原作が実話に基づいているという事情もあるのかもしれません。

『エゴイスト』鑑賞後の所感

【注意】ここからは本作の割と細かめな部分(ラストシーンの話キーアイテム鑑賞後の所感など)まで言及します。ネタバレを避けたい人、前情報を入れたくない人は鑑賞後にお読みいただけますと幸いです。

タイトルについて

この作品のタイトルは『エゴイスト』です。通常「エゴイスト」って単語にはネガティブなイメージが付きまといますよね。例えば「あいつはエゴイストだ」っていう文って、普通は称賛表現としては捉えられません。「自己中」の同義語として用いられるわけです。

エゴイスト
解説・用例
〔名〕
({英}egoist )《イゴイスト》
(1)自分のことしか考えない人。自分勝手でわがままな人。利己的な人。利己主義者。エゴチスト。
*浮雲〔1887~89〕〈二葉亭四迷〉三・一八「圧制家(デスポト)、利己論者(イゴイスト)と口では呪ひながら」
*青年〔1910~11〕〈森鴎外〉六「人形を勝手に踊らせてゐて、エゴイストらしい自己が物蔭に隠れて、見物の面白がるのを冷笑してゐるよう」
*家族会議〔1935〕〈横光利一〉「あなたは御自分さへ良ければ、後はどうなったって、いいと思ってらっしゃる方よ。エゴイストよ」

(2)エゴイズム(2)を信奉する人。独在論者。唯我論者。自我主義者。
*外来語辞典〔1914〕〈勝屋英造〉「エゴイストEgoist (英) 〈略〉主我論者」

『日本国語大辞典』, 「エゴイスト」の項

今回の作品の最後に、今際の際で、龍太の母が「まだ帰らないで」とつぶやくシーンがあります。浩輔は静かに母の手を握ります。龍太の母がエゴらしいエゴを見せた印象深い場面です。そして、これを観ていた自分は「救済だ」と思ったんですね。


<母>と<息子>という2つの素性と、中村家・斉藤家という2つの血縁とで分けてみると、綺麗な対立の構図になるんですね。浩輔にとっては<母>のピースが欠けていた。一方で、龍太の母・妙子にとっては<息子>のピースが欠けていた。対称的に欠如していた素性を、渡して、受け取って、埋め合わせた。一方のエゴが、もう一方のエゴを満たした。後半の描写からはそんな印象を受けました。

この映画の中では、お金の話が何度も登場します。愛情表現とかをお金でしちゃうタイプの人間っていますよね。自分の愛情や感情を、目に見える価値に変換して相手に渡す人。実は自分もどちらかといえばそっち寄りの人間です。作中の浩輔にはうっすら同族嫌悪を覚えました。

しかし、この作品にはそんな人間を切り捨てずに包摂する器のデカさがあるんですね。パズルのピースがパチリと嵌まるように、エゴとエゴが結びあったのなら、それでいいじゃないか。当人たちが納得していれば、周りはとやかく言う必要はないじゃないか。幸せのカタチだって人それぞれのはずだ。そんなメッセージがあるようにも思えました。

人はみなエゴイストです。自分のことが好きだから、どうにかして自分の心を満たそうとしてもがき苦しむ。そんな弱い人間の姿を寿ぐ人間讃歌のようにも思えました。

注目ポイント

3つです。釣り銭眉毛。ぜひこの3つに着目して観てほしいです。

注目ポイント1

1つ目の注目ポイントは「釣り銭」です。冒頭で釣り銭の会計の押し問答をひとしきりやったあとに、龍太がレジ前で小銭を盛大にぶちまける。屈んで拾い集めて立ち上がろうとすると、レジカウンターに頭をぶつける。思わず顔も綻び、相好を崩す浩輔。人間関係が温まる瞬間が描かれています。人間関係を構築する上で、隙を見せるのって大事ですよね。自分のダメなところ・弱いところを見せることでつながる絆もある。

後半のシーンで、浩輔が乱暴に自動販売機のボタンを押し、飲み物を取り出す。小銭を取りこぼし、拾い集めようとするところで、涙が溢れてくる。ここは言葉での説明が一切無いが、劇中で最も印象的なシーンの一つです。言葉がないからこそ、嗚咽の意味が深まっていました。

注目ポイント2

2つ目の注目ポイントは「眉毛」です。眉毛の話をする前に、この作品には服がキーアイテムとして登場します。ゴリゴリのハイブランドで固めた服は、田舎の同級生を見返す鎧になっているのです。「故郷へ錦を飾る」なんて表現もあるくらいです。

「服は鎧」であることは良いとして、自分には「眉毛も鎧」であるように思えました。眉毛を描いている場面と、そのときの浩輔の心情を照らし合わせて見ていただきたいです。

眉毛だって鎧。外見の細部にまで注意を払う耕助が、トイレで眉毛を描くシーン。外見に気を遣う余裕もなく憔悴しきった様子が巧みに表現されていると思います。

注目ポイント3

3つ目の注目ポイントは「」です。浩輔がちあきなおみの『夜へ急ぐ人』を歌うシーンは、もう直視できなかった。あまりにゲイすぎるのです。恍惚とした表情といい、没入している表情といい、もはや狂気です。これを表現しちゃう鈴木亮平すげえ。

気になったもの

途中で生々しい性描写があるけれど、龍太の性表現は見ておくと良いかも。作中で結構ポイントになる。たしかに浩輔と枕を交わすときの龍太の性表現は控えめに見えました。それとは対照的に、ある場面では腕を舌で何度も舐めあげる。この差には胸が痛くなった。

"World of entanglement" という芸術作品が登場するのですが、これが強烈なインパクトを残します。映像の中でバチッと空間を変容させている。こんなに強い作品を置けるってすごいな〜。

文学作品でもなんでも、読了後(鑑賞後)に自分の思考や行動にどんな変容が起こるかが大事。『本なんて読まなくたっていいのだけれど、』という本の冒頭にそんなことが書いてあったような気がします。

今回『エゴイスト』を観て何を思ったかというと、精神的基盤を持っていることって大事だし、支えになってくれる人のことは大切にしなきゃいけないな、ということでした。

人間って『ハリー・ポッター』でいう「分霊箱」みたいなものが必要だと思うんですね。自分がぶっ壊れそうになったとき、誰かの中にある自分を引っ張り出してくるっていうか、その人との関係の中で作り上げた・保存してきた自分を引っ張り出してきて普段の自分を取り戻すといいますか。劇中でも浩輔が周りの友人に支えられる場面が出てきますが、自分もそういう友人を大切にしなければいけないなと思った次第です。

おわりに

今回の記事は、映画を観に行った翌日の夜に書き始めました。仕事終わりにキーボードをバタバタ叩いています。んー、今回はなんか書かなきゃいけないなって思ったんですよね。使命感というか、自分の中でモヤモヤしている部分を言葉にして整理しなきゃという思いがあって。自分にとって、それがなんだかすごく大事なことのような気がしたんですよね。

あとは結構見落としている部分も多いんだろうなと書きながら思いました。目立つ部分やキーアイテムには意識が向いたけれど、いくつか大事なものを見落としている気がする。いつか再履修しようかな。もう一度観て、初回鑑賞時に取りこぼしたものを拾い集めたいと思える。それぐらい良かったです。

映画っていいなあ。また行きたい。次は美味しい飲み物も買いたい。


ここまで読んでいただき、ありがとうございました。


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