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新社会人・22歳ゲイの君へ

あら、あぢきなや。世の中にすまじきものは宮仕ひ。我奉公の身ならずは、かかる憂き目によも合はじ。
「もう、ほんとどうにもならない。就職なんかしなきゃよかった。会社勤めじゃなかったら、こんなつらい思いもしなくて済んだはずなのに。」

荒木繁・池田廣司・山本吉左右(編注)(1979)『東洋文庫355 幸若舞 1 百合若大臣 他』
「信太」, 平凡社, p.191.
(引用に附した鉤括弧内の文章はさいとうによる)

はじめに

こんにちは。25歳ゲイのさいとうです。みなさん、お変わりありませんか。

筆者さいとうが住む北海道では、吹く風の冷たさも和らいできました。日に日に春めく今日このごろです。春は出会いと別れの季節。今年の春は、公私ともに人の出入りの多い季節になりそうです。

「公」の部分に焦点を当てると、新年度4月から、いまの職場に自分よりも年下の方が来ます。俗に言う「後輩」ってやつですね。社会人になって初めてのことで、若干戸惑っています。

そんなわけで、ある先輩に「後輩になる人が来たら、どうしたらいいですかね〜」なんて炉辺談話的に訊いてみました。すると「話し相手になってあげたらいいよ。自分が周りにしてもらったように。」とのこと。

確かに、この先輩には社会人1年目のときに大変お世話になりました。悩みも愚痴も聞いてもらいましたし、反対に先輩が職場のどんなことに憤りを感じているのかも教えてもらいました。自分が今の仕事を辞めずに続けているのも、この先輩の存在によるところが非常に大きいのです。

あのとき、職場の新人であった自分は、間違いなくこの先輩に救われていたなあ。そんな人が言うことだから、自分にとって大きな説得力を持っているのです。

しかし、それでは実際に新人さんが来たら、自分はその人の話し相手になれるんだろうか。あのとき自分がしてもらったように、悩みや愚痴を聞くことができるだろうか。

いまの職場に勤めて、早3年を過ごし、4年目に突入しようとしています。日々の雑務に追われて、何がしたくてこの仕事を始めたのかもわからなくなる始末。良くも悪くも、この職場の「あたりまえ」に染め抜かれた自分は、一体何を知っていて、何を知らないんだろう。新社会人の悩みや不満を正面切って受け止められるだけの素地が、はたして今の自分にあるのだろうか?

不安は募るばかりです。3年前は自分が新人だったはずなのに、新人さんの気持ちは想像できない。どうしよう……。

そうだ! 餅は餅屋だ!

社会人1年目の自分は何を考えていたんだろう?


新社会人・22歳ゲイの君へ

自分は、小学校高学年の頃から日記をつけています。

日記といっても、毎日つけているわけではありません。面白いことがあったとき、頭がモヤモヤするとき、悩みとその解決方法を言語化したいとき、なんとなく書きたいときなど、自分が書きたいタイミングで書くといったものです。

内容も一行程度の走り書きがほとんどです。それに、特に社会人になってからは、日々の忙しさにかまけて、ほとんど日記はつけていません(ノートを見返してみると、就職後から急に日記の記述量が減る)。

この記事では、社会人1年目の日記から、社会人1年目をどう過ごしていたのか、自分が何を考えていたのか、また、今の自分がそれを読んで何を思うのかについて書いてみようと思います。この作業を通じて、春から職場にやってくる同僚との関わりを考えることができたら嬉しい。

3月23日(大学生)

今考えたけど、〇〇(都市名)で男を探せばなんとかなりそう。

『さいとう日記』

▶一つ目の抜き書きは、今の職場に来る前につけた大学4年生のときの日記の一節です。就職先がド田舎にあるので、ゲイとしてどうやって生きていこう……と思い悩んでいた時期のものですね。

「君が悩みを抱えているのは至極当然のことだ」と言ってあげたい。いま筆者さいとうが住んでいる地域は、某ゲイアプリ上だと、3番目に近いゲイが50km先だったりする、とってもLGBTフレンドリーな地域なのです!

どうでしょう? シンプルにしんどくないですか?? 当時は周りのゲイにも結構この悩みを相談していました。

日記中の「〇〇(都市名)」は職場から車で2〜3時間ぐらいの距離にある街ですね。そこならゲイもそれなりにいるはずだと踏んだのでしょう。実際、これを書いた数年後、〇〇(都市名)で男を探しています。

しかし、それをしたばっかりに、痛い目に遭いました。別に〇〇(都市名)に罪があるわけではありませんが。

地方都市ご新規リアル、色々あって今は再開するのが面倒だけど、近いうちに再開したいな。

ここまで書き進めておいてなんですが、別にこの春やってくる同僚がゲイであるかなんて知らないし、寧ろその可能性は低いでしょう。

それでもストレートなら生活しやすい地域かといえば、そんなことはないはずです。「田舎でどう暮らすか」――これは実際に問われうるという意味で、とても良い問いだと思いました。同時に、この問いひとつで記事が一本書けるぐらいに重たいテーマでもあります。日記を読み返してみたことで、当時の困惑を追体験できたように感じられましたし、新人が抱えうる悩みに迫れたような気がしています。

3月31日(年度初めの直前)

明日が楽しみ。ねる。

『さいとう日記』

▶こちらは職場で働き始める前日の日記です。随分と気分が高揚していたようですね。職場に行くのが楽しみというのは、とても幸せなことです。

そういえば「今日の仕事は、楽しみですか。」という品川駅の広告が炎上したことがありましたね。仕事に行くことが楽しみな社会人と、楽しみではない社会人だと、どちらが多いのでしょう?

4月1日(年度初め初日)

この地で生きる。ぬれない靴。

『さいとう日記』

この後、この決意は何度も何度も揺らぎました。正直、仕事を辞めて別の仕事をしよう、別の場所に住もうと思ったことは数え切れないほどあります。それでも、職場で過ごすことに慣れてしまうと、そういった気力もなくなっていくんですよね。日々に埋没していくというか。「これでいいか」の諦念というか。妥協というか。

初めは仕事に希望をもっていたはず。それなのに、なぜか仕事を辞めることまで考えてしまう。これは一体なぜなのでしょうか。

4月xx日

日記は後から読み返すとおもしろい。前の日記もほしいな。雑品の処分ははやめにしておくべきだったかも。今は幸せ。

『さいとう日記』

▶日記の醍醐味って、あとから読み返すところにありますよね。ここに書いてある「前の日記」は、その後実家に帰省したときに、わざわざ赴任地まで持っていきました。だって面白いから。そして、この時期は幸せだったようです。

5月xx日

今日も飲み会。楽しみがこれしかない。映画も飽きてくるし…没頭できる本があるといいな。

『さいとう日記』

▶今は最早ちょっと懐かしいぐらいですが、ずっと「ZOOM飲み」をしていましたね。仕事が終わったら、同業の同期たちとずーっとお酒のんでおしゃべりしていました。ケタケタと笑い転げていた同期たちも、いまになって思えば、みんな生きていくのに必死だったんだろうな。

5月xx日

また〇〇(業務1)に時間をかけられなかった

『さいとう日記』

▶この時期から、少しずつ雲行きが怪しくなってきます。〇〇(業務1)は力を入れていた(いる)業務ですね。雑務が増えてきて、〇〇(業務1)に割ける時間が減ってきて、その不満が高まっている頃です。次に登場する(業務2)のことも相俟って、次第に追い詰められていきました。

8月xx日

〇〇(業務2)しんどい

『さいとう日記』

▶いま社会人3年目になって振り返っても、社会人1年目にやっていた〇〇(業務2)は本当にしんどかったと思う。 勉強になることも多かったけど、それでも平日・土日祝の別なく、夜遅くまで否応なしに拘束されて、心身ともに参っていた。

それでもつかう時間がないので、金はひたすら貯まりました。なんなら、そのときの貯金で今の浪費生活を繋いでいる感じさえします。反対に、つかえる場合は、とことん金をつかう。宵越しの銭は持たないよ!


確かあれは20歳になった時だったと思う。小学生の自分から手紙を一通受け取ったことがあった。届け先の見つからないタイムカプセルのニュースを見ることがあるが、この手紙は20歳の自分の手元にちゃんと届いた。そういう意味では幸運だったのかもしれない。

てのひらにのせた手紙は、罫線入りのノートを切り取って作った封筒に入っていた。その封筒を見ると、経年劣化で茶褐色になったセロハンテープでベタベタと貼り固められている。アンバーのテープを破り、封筒をひらいてみると、幼い字で書かれた「大人の」自分へのメッセージと、一枚の500円玉。

どうやら小学生の自分は、なけなしの小遣いから500円硬貨を未来の自分に遺してくれていたらしい。うまい棒50本と引き換えに、未来へ託した大切なお金。当時の自分にとって、明るい色に輝く500円玉はくすんだ10円玉とは違う、確かな「価値」をもっているものだったんだろう。

しかし、その500円硬貨の価値は、もはや大学生となった当時の自分にとって一回アルバイトに行けばもらえる交通費に過ぎなかった。十年の歳月は、身長こそあまり変えなかったけれど、500円に対する僕の見方をまるっきり変えてしまっていたようだ。


自分にとって印象的な出来事であり、つかえる金はそのとき使いたいものにつかうという価値観はこのときにいよいよ固まった気がする。そういうわけで、学生時代に買った本たちが今も自宅の本棚を堂々と占めている。そのとき欲しくて金を出して買った本たちです。あのときの金のつかいかたは、いま思い返しても間違っていない。

本棚。赤・青・緑の本は大学時代に買った。これで身バレしたら笑う。

11月xx日

日記をつける機会がめっきり減った。日々に追われている。自らを省みる時間もなければ、本を読む余裕もない。[…]〇〇は場所を変えるらしい。どうする? 僕はどうする?

『さいとう日記』

▶同業の友人が今の職場を辞めるつもりで、同業他社の面接を受けてきたという話をきいたときの日記です。それに影響されたのでしょう。

彼女の行動力にはいつも感服させられています。彼女のすごいところは、チャンスがあれば、絶対に掴みに行くところ。できるかどうかよりも、まずはやってみるところ。そんな姿勢がある人のもとには運が舞い込んでくるのか、彼女は結構自らが望んだものをしっかりと手にしているように見えます。自分の人生を自分の手で切り拓いている感じするもんなあ。

忙しくて本を読まなくなると、自分の場合、様々な側面でどんどん駄目になっていく気がします。自分にとって、読書時間は心身の健康のバロメータでもあります。

2月xx日

「1年前、何してたっけ」今日の突き抜けるような晴天を吹く風を薫りながら、ふと考えた。春のにおいがしたから。[…]自分はこの一年、文化に触れようとしていただろうか。[…]本を読むと心が落ち着く。頭が整理される。

『さいとう日記』

▶今の土地に来て何が辛かったかというと、大きな公園・書店・美術館・商業施設が無かったこと。今まで当然のようにそこにあったものが無くなる辛さ。「住めば都」とはよく言ったもので、代替手段や、やり過ごす方法を見つけた今となっては当時ほどの苦痛は感じないけれども、当時はつらかった。いや、やっぱり今だってまあまあ辛い。次に住む街は、これらの施設の有無を基準に選んでみようかな。

通読して、社会人1年目の1年間を振り返ってみると、ゲイらしい話が殆ど出てこないことに気づきます。大学時代の日記にはゲイらしい話がちょいちょい登場するのに。確かに社会人1年目はリアルだってほぼしていなかったし、そもそも年間通しても休日なんて10日前後しかなかった気がする。


4月1日の日記のところで「初めは仕事に希望をもっていたはず。それなのに、なぜか仕事を辞めることまで考えてしまう。これは一体なぜなのでしょうか。」という疑問が、投げかけられたままになっています。これについて、少し書きたいことがあります。

自分は「自分で決める」余地がどれだけあるかが、仕事の幸福度、延いては幸福そのものを規定すると考えています。自分の裁量権がデカい仕事は楽しい。当然、自分で決めて自分でやる分だけ責任も伴うけれど、あれこれ考えながらできるのは本当に楽しい。

「自己の裁量権」という観点から言えば、(業務1)は自分の裁量権が大きく、(業務2)は自分の裁量権が小さい。(業務2)に辛さを感じていたのは、単純な拘束時間や業務内容の他に、裁量の幅も関係していたのかもしれません。

もちろん仕事ですから、裁量がデカかろうとそうでなかろうと、自分がやるしかありません。それでも、許された範囲の中で自分の裁量の幅を広げていくことが、結局は仕事の充実感を高めることに繋がるのではないかと思うこの頃です。

冒頭に古典籍からの引用を行いましたが「自分の思い通りにならない」というのは昔から「苦しいこと」として捉えられてきたのではないでしょうか。(ちなみに、冒頭の引用に付けた鉤括弧内のアレは文脈を無視してつけた超訳なので、あしからず……。)

メッセージ

「新社会人・22歳のゲイの君へ」などと銘打っておきながら、特にメッセージらしいメッセージを打ち出していませんでした。うーん。あのときの自分にアドバイスするなら、何をアドバイスするだろう?

そうだなあ、さっきの裁量の話をするかな。「自分の仕事の中で、自分に許された裁量権はMAXで活用しよう」「仕事に裁量の幅がないのであれば、せめて自分の時間だけは、やりたいことにのめり込もう」……こんな感じでしょうか。

あとは健康について話すかな。この3年間、周りの同業者で倒れていく人を幾人か見てきたこともあり、心身の健康の重要性には深く思いを致すところです。「難しいかもしれないけど、しっかり寝てしっかり食べな。」……こちらは、こんな感じでしょうか。

ただし、これはあくまでも当時の自分と話ができたら、の話です。実際の職場の後輩にはこんなこと気恥ずかしくてとても言えないですね。せいぜい、良き話し相手になることを目指して頑張ります

おわりに

みなさんは、もしも大小様々な人生の分岐点に立つ自分と話せるとしたら、一体どんな話をしますか?

ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

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