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山口周氏の近著『ビジネスの未来 エコノミーにヒューマニティを取り戻す』を読んで「ざわざわ」している自分

こんにちは!
T&Aフィナンシャルマネジメント代表のさいとうです。

昨年末、電通、ボスコンを経て現在はパブリックスピーカーとして活躍されている山口周氏の近著が刊行されました。

詳細は当然本書に譲りますが、読み終わり、個人的にはとても「ざわざわ」しています。

そんな「ざわざわ」について少しお話したいと思います。

「今」を俯瞰する

日本においては、バブル経済が崩壊し、長期間経済が停滞したことから「失われた●●年」といった言い方がなされることが多いです。

ITバブルの崩壊やリーマンショックといった未曽有の事態において、米国をはじめとする諸外国は経済を早期に建て直したものの、日本においてはひたすら経済停滞が継続している、といった自虐的な文脈の中で語られることが多いかと思います。

本書を読んでまず衝撃的だったのは、GDPという、かくも当たり前に認識していた尺度で価値観を図ることの無意味さを喝破していること。

ドルベースに引き直して各国の「経済力」を横比較している点、GDP算出においては為政者による恣意的な「調整」が往々にして加えられている点など、GDPで経済の規模を測定することの無意味さについて詳細に論証しています。

また、その延長線上における「経済成長率」。
発展途上の国においては当然のことながら経済成長率は2ケタ増になることもありうるものの、良い意味で「成熟」した日本などにおいては、半永久的に高い成長率を維持することなど、物理的に不可能であることが説明されています。

そう考えると、「失われた●●年」などという自虐的な自国感自体、ナンセンスであり、我々は安定的に富を分け合えることができる、素晴らしい国に住んでいると改めて見直すことができます。

物質的な生存条件の確保を完了し、成熟の明るい高原に向かっている

ご指摘ごもっともだと思ったのが、現状においては(特に日本においては)、諸々の社会問題は存在しながらも、基本的に物質的な生存条件の確保が完了しており、取った取られたのゼロサムゲームを助長する、現代の基本的なビジネスモデルは制度疲労を起こしているという点です。

確かにコロナ文脈において貧困等の解決のためのセーフティネットの充足が必要とされる場面もありますが、基本的に多くの日本人は文明的に相応程度の生活物資を手に入れることができていると思います。

すなわち、戦後の欠乏感から生まれた、モノをプロダクトアウトで作って売るといった、物質的な生存条件を充足させるようなビジネスモデルは完全に瓦解しており、これからは、より楽しいもの、持っていて気持ちよくなるといった、人間の本質的な感性に訴えかけられるようなビジネスが必要となってくるものと考えられます。

山口氏はそれを「成熟の明るい高原」と呼んでいますが、特に現時点においてはかかるパラダイムの変化、経済状況の変化をとらえた社会的な活動が肝要となるものと思われます。

ユートピアは実現可能か?

本書においてはUBI(ユニバーサル・ベーシック・インカム)の必要性が論じられ、かのうような「高原社会」においては、人々に生活における金銭的な悩みから解放させ、より創造的で衝動的な「仕事」に従事させることも論じられています。

私個人、大学在籍中はマルクス経済学を専攻し、マルクスの唱える資本主義批判に大きく賛同していた時期がありました。

ただ一方で、マルクス主義を標榜したソビエト型の社会主義体制が崩壊し、同様の主義主張の延長線上で成立している中国においては、マルクスが批判した資本主義以上の資本主義が、一党独裁という稀有な権力構造を背景に成立し得ていることを見て、社会変革の早期の実現の可能性はムリ?と判断し、「今」を生きる術としてファイナンス理論や経営戦略論、マーケティング理論などを勉強してきました。

UBIをはじめとする共生社会は理想的には崇高かとは思っていますが、かかる時代背景を前提にしたときに果たして変革しうるのか??という大きな疑問が「ざわざわ」としてきたわけです。

というのも、スティーブジョブズがMacを作り、iPhoneを作ったのは、たしかに「労働」などではなく、衝動的に自分自身を夢中にさせる動機を基準に作り出したわでしょうから、生活の糧として仕事(=労働)をしている人間には生み出すことのできないような偉業を世界に残しました。

一方で、そのiPhoneをつくるためにはOEM先として台湾をはじめとするアジアの零細工場で額に汗して労働に勤しむ労働者の姿があり、彼らは社会のパーツとして、生活のために日々働いています。

また、我々が口にする食肉や野菜なども、農業の効率化といった近時の成果の恩恵はあるかもしれませんが、早朝から寒い中泥まみれになって労働してくれている労働者の姿があります。

全ての衣食住を充足する労働がロボットやAIに置き換わり、人間が「労働」をしなくて済む世の中が本当に来るのであればベーシックインカムによって得たお金で、衣食住の心配から解放され、衝動的に自分の心を突き動かす仕事に邁進することができるのかもしれませんが、現状においては依然到底無理な状況といえると思われます。

また、ベーシックインカムによって衣食住の欠乏間から解放された人間は、みな創造的で衝動的な仕事に取り組むでしょうか?

中にはそういった衝動をモチベーションに、社会に貢献する人が出てくるかもしれません。

ただ思うのは、物質的な欠乏感から解放された人間が、あたかも中世における貴族が放蕩に走ったように、堕落の道に進まないとも言い切れません。

コロナを経験して「ざわざわ」している

ただ、5年位前にこのような本を読んだら、「ハングリー精神こそ、創造の根源的な要因であり、イノベーションは欠乏感から生まれる!!ベーシックインカムなど、人間を怠惰にさせるだけ!!」と、私自身は一蹴していたかもしれませんが、コロナという未曽有のパラダイムシフトを契機として(個人的には、結婚して、子供生まれ…といったライフステージの変化も経験しました♪)、もしかしたら近い将来、大きな社会的な価値観の変革が起こりうるのではないかな??とこの本を読んで、「ざわざわ」するようになりました。

ただ、今を生き、そして今を勝ち抜くことも重要です(「勝ち」とかいっている時点でナンセンスかもしれませんが…)。

本書で説明されているようなパラダイムシフトの胎動を感じながら、今を生きてゆくことの重要性を痛感した、年始の読書時間でした。

本書を読んで、「ざわざわ」してみてはいかがでしょうか??


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