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第2話 幼少期の思い出 | Saito Daichi

 幼い頃、同世代とはなかなか話が合いませんでした。

 原因は大人向けコンテンツにはまってしまったからだと思います。

 これも親の影響ですが、幼稚園生の頃から「バイオハザード2」や「3」、「天誅」、「ディノクライシス」などのテレビゲームをプレイしていました。

 周囲は「ポケモン」や「スーパーマリオ」、「大乱闘スマッシュブラザーズ」などで盛り上がっていました。

 そんな中、私はひたすらゾンビを打ち倒すための銃弾を拾い集めたりするのに夢中でした。

 残念ながら、クラスにそんな歪んだ謎解きを楽しむ偏屈な小学生はいません。

 会話しても、何となく相手に合わせて話すだけで、本心から語れませんでした。

 必然的に、年配の教師や大人としか話さない子供となります。

 映画好きがそれに拍車を掛けました。

 当時の映画は2時間前後で、今より監督(ディレクター)の裁量がききませんでした。

 なので、セリフに全て載せず、シーンやニュアンスで観客に汲み取って貰うのがメインです。

 日頃からそれらに慣れたせいで、語彙も難解で、表現も最小限で伝えるニュアンスとなってしまっていたのかもしれない。

 なるべく話を合わすために、当時流行っていた『地獄先生ぬ~べ~』や『仮面ライダークウガ』、『ビーストウォーズ』も観ました。

 それはそれで面白かったです。が、本心では『マトリックス』や『ブレイド』、『ジュラシック・パーク』などの脚本について話をしたかったのです。

 しかし、同年代に理解者はいないことが分かりました。

 そこで、その鬱憤を身近にあったゲームにぶつけました。

 結果、もっと話が合わなくなりました。

 家庭環境の反動もあったかもしれません。

 今考えれば、堅実な両親で、躾も厳しめだったかもしれません。

 おもちゃやお菓子を買ってもらった記憶はありません。

 正座でご飯を食べ、一粒でも残したらその場から離脱することは不可能です。

 下手をうてば、飯抜き床下収納の刑か、鉄拳制裁です。

 勉強に関する頼み事は何でも聞いてくれる感じでした。

 しかし、遊びに関連することは漫画本一冊許されない雰囲気でした。

 小学生の頃から勉強目的で親にねだる——そんな子供は少数派です。

 私もご多分に漏れず、遊びを優先したい子供でした。

 その内、小学生で親に頼むという選択肢を自分の中から排除しました。

 友人から借りた遊び道具は、親の前で遊ばないように全て隠しました。

 また、同級生とかみ合わない原因は他にもありました。

 ゲームを進める中で、方程式など一歩進んだ数学を駆使した方が解読しやすい場面がありました。

『ディノクライシス』

 二枚のレーザーディスクによる暗号解読や、いくつかのパズルを組み合わせてギミックを解き、扉が開く仕掛けがゲーム内にありました。

 それら手法を、後ろで見ていた親に教わりました。

 ゲームの対象年齢はオーバーしていますが、はたから見れば早熟の子供として悪い気もしなかったのだと思います。

 それがいけませんでした。

 学校の勉強に、何の意義も見出せなくなっていました。

 学年ごとに渡される漢字、計算ドリルも1日で終わらせ、テストも宿題も素早く済ませていました。

 文系の教科書は渡された日に、面白くて全て読んでしまいました。

 親や教師にも「なぜ?」が多い子供だったと思います。

 ――早く大人になって、お金を稼ぎたい。

 そのためにはどうすれば良いか、心理社会的モラトリアムに真剣に悩んでいた時期でした。

 そんな時、液晶の中でアーノルド・シュワルツェネッガー扮するT-800型ターミネーターは、ジョン・コナーのどんな下らない質問にも真面目に答えていました。

 中身が機械なのだから当然です。

 しかし、機械でも良いので理解者が欲しかった。

 だから、そんな機械の塊が溶鉱炉で急速に融解されていくシーンに感動したのだと思います。

 そして、そんな筋骨隆々のマッチョが溶かされていくシーンで泣く息子を見て、両親は将来を不安視したに違いありません。

 この頃から、朧気ながらも将来の目標が定まってきたのだと思います。

 娯楽が少ない状況で、液晶の中で観る映画だけが救いでした。

『映画の脚本家になりたい。そのためにはどうすればいいのか?』

 気恥ずかしさと、恐らくは否定されるだろうという予測から、親に面と向かって言うことはできませんでした。

 今と違い、ハリウッドで活躍する日本人は、ほとんどいません。

 英語も話せるか自信がありませんでした。

 何より、当時は英文でまだ脚本が書けませんでした。

 考えてみれば、余りにも遠い道のりです。

 お茶を濁す形で、両親との会話も「俳優は演技もできるし、バイクも動かせるんだね」と映画の話題に終始させようとしました。

「これはスタントマンがやっているんだよ」

 スタントマン?

 当時はその意味を知りませんでした。ご存じの通り、役者の代わりに危険なスタントアクションをこなすスタッフのことです。

 顔は出ないが、映画には出れる。

 映画の仕事に関われる。

 そのためには、どうすれば良い?

 ——強くなれば良いんだ。

 映画でもゲームでも、劇中の人物は性別に限らず、みんな強い人ばかりだ!

 子供だったこともあり、当時、観ていた映画はアクション作品寄りでした。

 だから、映画=アクションという安直な思考に至ったのだと思います。

 また、当時は身体も心も貧弱で、緊張ですぐ腹痛になるくらいでした。

 そこで私は実家の近くにあった、極真空手道場に入門しました。

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