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洋画とダジャレと翻訳②『ジュラシック・パーク』(Jurassic Park)(1993)

(画像:IMDb

この記事は、「いつか洋画のダジャレとその翻訳を100個集めて解説しただけの本を出したいな〜」という妄想のもと、試論的に書かれたものです。


映画概要

 映画好きでなくても誰もが名前は聞いたことのある恐竜映画の名作『ジュラシック・パーク』(Jurassic Park)は、スティーヴン・スピルバーグ監督によって制作され、1993年に公開された映画です。大阪のユニバーサル・スタジオ・ジャパンを含む世界各地のユニバーサル・スタジオに「ジュラシック・パーク」エリアがあることからも、テーマパークやSFの代名詞にもなっています。「ジュラシック・パーク」の直訳は「ジュラ紀の公園」で、ジュラ紀とは約2億年前から1億4000万年前の地球の時代区分です。この時代に生きていた恐竜が、この映画の主人公です。
 舞台はコスタリカ近海にあるヌブラル島(Isla Nublar:架空の島)。この島で恐竜をよみがえらせ、ここに「ジュラシック・パーク」を建設したのが島の所有者であるジョン・ハモンド(John Hammond)でした。彼は琥珀に閉じ込められた蚊の中から恐竜の血液を取り出し、そこからDNAを抽出し、それをダチョウの卵に組み込み孵化させることで、絶滅した恐竜のクローンを作成し、多種に及ぶ恐竜を見事によみがえらせたのでした。そしてこのテーマパークの安全性を確認し、お墨付きをもらうために視察の依頼をされたのが、古生物学者(paleontologist)のアラン・グラント(Alan Grant)と古植物学者(paleobotanist)のエリー・サトラー(Ellie Sattler)でした。自動運転の車に乗り、電流が走る柵によって危険な恐竜から守られているツアーコースの移動中、事件が起こります。島のシステムプログラマーであるネドリー(Nedry)が恐竜のDNAが入った胚を島外に持ち出し密売するため、一部のセキュリティシステムを解除してしまったのです。これをきっかけに恐竜たちは暴れ回り、アランたちを襲い始めるのでした。
 1990年に原作の小説を書いたマイケル・クライトン(Michael Crichton)は、ハーバード大学の医学部を卒業している人物でもあり、彼の科学技術についての知識や問題意識がこの映画の背景にあります。物語の内容や登場人物の発言からも、科学技術の乱用や生命をコントロールしようとする人間の欲求に対して問題提起がされていることは明らかです。こうした批判をするためのキーフレーズとして登場人物らが幾度か“Life finds a way”と言う場面があります。直訳すると、「生命は自分で道を見つける」というようになるでしょうが、生命をコントロールすることは私たちにはできないのだ、あるいは、コントロールしたと思っても予想外のよくないことが生じてしまうのだ、という意味と言えます。ジュラシック・パークに限らずSF作品全般に当てはまることですが、この作品も科学技術のあり方について人々に考えさせる役割があると言えるでしょう。

ダジャレと翻訳

 アラン、そして一緒にテストツアーに参加していたジョンの2人の孫であるレックス(Lex)とティム(Tim)が、恐竜に襲われ助けが来ない中、一晩を木の上で過ごすことになった場面で今回のダジャレが登場します。恐怖を乗り切り、遠くには草食動物たちが木々の葉っぱを食べているのが見える神秘的かつエモーショナルな場面で、ティムが唐突にダジャレを言います。

Tim : What do you call a blind dinosaur?
Alan : I don't know. What do you call a blind dinosaur?
Tim : Do-you-think-he-saurus. What do you call a blind dinosaur’s dog?
Alan : You got me.
Tim : A do-you-think-he-saurus’ Rex.

Jurassic Park(1993) 
※英語字幕はDVD版に収容されているものに依拠。

ティム:目の見えない恐竜の名前は?
アラン:わからない。目の見えない恐竜の名前は何?
ティム:私たちのことが見えたと思うかサウルス。目の見えない恐竜が飼っている犬の名前は何?
アラン:参ったなあ
ティム:私たちのことが見えたと思うかサウルスのレックス。

(筆者直訳)

 まず見て分かる通り、今回のダジャレを直訳するのは不可能です。それでも無理にその意味を訳すのであれば、このようになるでしょう。ティムによるなぞなぞ形式で、その場を楽しませたり和ませたりする意図でこのダジャレは発言されているようです。目の見えない恐竜は、“Do-you-think-he-saurus”という名前だ、というのが今回のダジャレです。
 まず会話の前半です。“Do-you-think-he-saurus”は、“Do you think he saw us?”(彼=その目の見えない恐竜は、私たちのことが見えたと思う?)という疑問文をもとに作られています。そして、“saw us”と“saurus”が掛け合わされたダジャレとなっているわけです。“saurus”というのは、恐竜の名前によく使われる「○○サウルス」のことです。ですので直訳として無理に示した「私たちのことが見えたと思うかサウルス」というのが、そのオリジナルな意味です。
 続いて後半ですが、最初のダジャレの発展系と言ってもいいでしょう。「目の見えない恐竜が飼っている犬の名前は何?」というなぞなぞが出されますが、このダジャレを理解するには恐竜の名前を一つ知らなければいけません。それが、ティラノサウルスです。
 日本でも馴染みのある恐竜ですが、ティラノサウルス(tyrannosaurus)とは恐竜の一つの種別であり、その中の一種に“tyrannosaurus rex”がいます。略して“T. rex”とも言われます。日本語では日常的に単にティラノサウルスと言っていますが、厳密にはこのような分類になっています。ティラノサウルスとはギリシャ語で「暴君のトカゲ」、“rex”はラテン語で「王」を意味します。ですので、“tyrannosaurus rex”とは「暴君トカゲの王」という意味になり、ティラノサウルスの中でももっとも支配的な種別でした。そしてアランたちは、このTレックスに襲われ、木の上で一晩を過ごすことになったのでした。
 それを踏まえると、「目の見えない恐竜が飼っている犬の名前は何?」というなぞなぞの答えが“do-you-think-he-saurus’ Rex”である理由が見えてきます。まずこれは“tyrannosaurus rex”と掛け合わせたダジャレになっています。そして、ではなぜ犬なのか?ということですが、“rex”というのは犬に使われる英語圏でポピュラーな名前なのです。日本で言う「ポチ」みたいな感じだと言って良いかと思います。つまり、“do-you-think-he-saurus”のレックス(“do-you-think-he-saurus”がレックスという名前の犬を飼っている)というのがこのダジャレの意味になります。
 ちなみにこのダジャレについて調べている中で、面白いものを見つけました。ブロックのおもちゃであるLEGOで、“do-you-think-he-saurus”が“rex”を散歩させている様子を作成して公開している人がいました(レゴの作成アイディアを共有する、レゴの公式サイトです)。これを見ると、ダジャレになっている恐竜とその犬のイメージが掴めるでしょう。
 さて、ではこれは日本語字幕ではどのように翻訳されているのでしょうか?

ティム:会社勤めの恐竜は?
アラン:それはナゾナゾかい?
ティム:パパハ・オルス ブタと恐竜のハーフは?
アラン:分からん
ティム:トテモヒドイ・ブス

『ジュラシック・パーク』(DVD、字幕翻訳)

 いかがでしょう?正直なところ、なかなか大変な翻訳になっているのではないでしょうか…。どうにか原文でダジャレが話されていることを伝えようとしていますが、この翻訳自体が特段困難な例であるため、試行錯誤した様子が感じられます。
会社勤めの恐竜、つまり、仕事ばかりをして家には全然帰ってこない父親、あるいは家事子育てを全く担わない父親像が想定された上で、「パパはお留守」である、というダジャレになっています。「お留守」の「ルス」が「○○サウルス」と掛け合わせられているのですね。時代背景的に現在よりも男女の性別役割分業(男は仕事をし、女は主婦となり家事育児をする)が強かった時代、それを利用したダジャレになっています。
 後半のダジャレはティムの解答だけ解説しておきましょう。これも同じく、「ブス(busu)」の「usu」の箇所が「○○サウルス」と掛け合わせられているわけです。ただその内容自体は、現代では少々不適切なものとされてしまうかもしれません。
 それでは、吹き替え翻訳はどうでしょう?

ティム:目の見えない恐竜の名は?
アラン:うーん、難しい質問だな。
ティム:「目が見えんドン」さ。そいつが飼ってる犬の名は?
アラン:降参だ。
ティム:「目が見えん犬」だよ。

『ジュラシック・パーク』(DVD、吹替翻訳)

 恐竜の名前を使ったダジャレを表現しようとしている一方、字幕とは大きく異なる結果になっています。なぜか吹き替えでは、「○○サウルス」ではなく「○○ドン」の方が使用されています。「ドン」というのも、恐竜の名前において比較的使用されるもので、例えばプテラノドン(Pteranodon)などがあります。しかしこの「ドン」が何と掛け合わせられているのか、私にはわかりませんでした。リーダーやボスのことを「ドン」ということがありますが、それと結びつく感じはしません。後半に関してはダジャレにもなっておらず、ほとんど意味をなさない翻訳になってしまっています。残念ながら吹き替え翻訳は字幕と比べて、成功しているとはさらに言えないわけですが、この事実はこのダジャレの翻訳の難しさを私たちに教えてくれます。ちなみに字幕翻訳をしたのは、その界隈ではレジェンドとされる戸田奈津子さんなのですが、彼女をもってしても困難な翻訳のようです。

 以上のように、今回のダジャレは翻訳の困難さという点では、最上級なのではないかと思われます。原文でダジャレが使われていることをどうにか伝えようと、日本語翻訳においても関連するダジャレを登場させようとしているというのが今回の技法の特徴です。もちろん可能性としてはダジャレを完全に無視して全く別のセリフに置き換えることもできるかもしれませんが、どうにか翻訳をしようという、翻訳者の意地を感じ取ることができます。もし翻訳のアイディアをお持ちであれば、ぜひお聞かせください。

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