見出し画像

すっかり様変わりした「インド独立の英雄」C・ボースの「80回忌」法要(令和6年8月18日)

「インド独立の英雄」ネタジ・スバス・チャンドラ・ボースが亡くなって79年目の命日に当たる今日、ネタジの遺骨が安置される東京・杉並の蓮光寺では、同寺院が主催する「80回忌」の慰霊法要が営まれ、ネタジを慕う日本人や在日インド人たちが60人以上集まり、故人を偲びました。

◇主催者はお寺に、住職も代替わり

日本の仏教の考え方では「80回忌」はあり得ません。ふつうは「三回忌」「七回忌」「十三回忌」などと「年忌法要」が行われますが、ここでは以前から、ネタジとともにインパール作戦を戦い、生死を共にした光機関の生き残りの元将兵たちによって、毎年、記念の法要が続けられてきました。

そのころは元戦友たちもまだまだお元気で、お斎の場では、かつてインド国民軍兵士たちと歌ったであろう「チェロ・デリー」の歌声が高らかに響き渡ったものでした。しかし人の命には限りがあり、いずれ幽明境を異にすることになるのは避けられません。年々、櫛の歯が欠けるように、戦友たちの参加は少なくなり、光機関関係者が組織するチャンドラ・ボース・アカデミーの主催による毎年の法要は、平成6年の「五十回忌」をもって最後となり、アカデミーも解散されました。

その後の法要は、従来のあり方を踏襲しつつ、お寺の主催で続いています。いまではもうアカデミー関係者の姿を見ることはできません。ご住職も代替わりし、終戦直後、苦難のなかで遺骨を預かり、守り続けた先々代はもちろんのこと、そのあとを引き継いだ先代も遷化されました。それだけ長い年月が経過したのです。

◇厳粛な宗教行事から、さながら記念イベントに

法要の雰囲気も一変しています。今年は参列者が本堂を埋め尽くし、用意された椅子が足りなくなるほどでしたが、御多分に洩れず、ということなのか、読経のあいだも平気でスマホ撮影する参列者があとを絶たず、私語が飛び交っています。静粛さ、厳粛さを失い、宗教行事というより、さながら記念イベントの雰囲気すらありました。

さて、御斎の場でも話題になった遺骨返還の行方はどうなるのでしょうか。アカデミー関係者たちにとっては、「ネタジを祖国に返してあげたい」という積年の思いを確認し合うのが慰霊法要でしたが、年ごとに参加が増えている在日インド人にとってはどうでしょうか。

かつて来日したおり、蓮光寺を参詣したインディラ・ガンディーは、何か汚いものでも見るように骨壷を覗き込んだという話を、私はアカデミー関係者から何度も繰り返し聞かされました。遺骨に寄せる感覚があまりにも違うのです。関係者たちが痛感していた文化の壁こそが遺骨返還を阻む大きな要因ですが、すっかり様変わりした慰霊法要の雰囲気に明るい希望の光を見出すことは可能でしょうか。

追記]産経の岡部さんによるとモディ首相はネタジの顕彰にきわめて積極的なようです。しかしそれでも遺骨返還の実現性は高くはないといえそうです。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?