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遺骨返還運動の中心人物を失ったチャンドラ・ボース第61回忌慰霊法要(2006年8月19日)


 インド独立の英雄ネタジ・スバス・チャンドラ・ボースの第61回忌慰霊法要が昨日、東京・杉並の蓮光寺で営まれました。

 ボースは第二次大戦中、「非暴力」にこだはるガンジー、ネールとは一線を画し、日本軍と協力して独立闘争を指導しました。終戦直後の昭和20年8月18日、台湾で客死し、遺骨は密かに日本に運ばれましたが、関係者の熱心な返還運動にもかかわらず、60年たったいまも同寺に安置されたままになっています。

 法要はおととしまではインド工作機関「光機関」の生き残りなどで組織されるチャンドラ・ボース・アカデミーと蓮光寺との共催でしたが、関係者の高齢化でアカデミーはおととし解散し、昨年からは蓮光寺だけが主催する法要となりました。

 今年は、ネタジを慕う人たち約50人が参列し、焼香しましたが、「史上もっとも悲惨な戦い」といわれるインパール作戦でネタジと生死を共にした「戦友」を参列者の中に見出すことは困難でした。

 とくに遺骨返還運動の中心的役割を果たしてきたアカデミーの事務長・林正夫氏は今年3月、鬼籍の人となり、その独特の声を聞くことはできませんでした。

 最後の参列となったおととし、林さんは慰霊法要の席上、「私ももう九十になる。何とか目の黒いうちに遺骨がインドに帰ることを願っている」と語りましたが、その願いはついに果たされませんでした。

 あらためて冥福を祈りたいと思います。


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