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朝日新聞のマッチ・ポンプ──岩井克己記者の宮中祭祀観を批判する(2010年11月7日)


「治療の影響なんでしょうかねえ。最近、陛下のお顔がむくんでおられるように見えます」。ある著名神社の宮司さんが心配しています。

 高齢でガン療養中の陛下ですが、宮内庁によるご負担軽減は名ばかりで、ご公務は逆に増えているようです。一方で、歴代天皇が第一の務めとしてきた祭祀は文字通り半減しています。

 この宮中祭祀の簡略化について、著名な朝日新聞の岩井克己記者が、雑誌「選択」掲載の連載「皇室の風」で言及しています。残念なことに、朝日新聞のマッチ・ポンプぶりが露骨です。

◇1 雅子妃殿下「祭祀欠席」の原因を作った張本人!?


「負担軽減や簡略化に一部の神道重視派から『伝統軽視』と反発の声が出ている。しかし一方では、次の皇后となる皇太子妃が祭祀を欠席するという事態が起き、それが常態化している」

 大新聞の皇室専門記者ともあろう方が、なぜこのような為にする情報を流すのでしょうか。岩井さんの記事は、側近が進める祭祀簡略化に対し、神道重視派は「伝統軽視」と反発しているけれども、皇太子妃は神道重視派とは逆の道を選び、「伝統軽視」路線を歩んでいる、というように読めますが、事実は異なります。

 当メルマガの読者ならすでにご承知でしょうが、「皇太子妃が祭祀を欠席する事態が常態化した」のは、皇太子妃がご自身の意思によって「欠席」を選択しているというより、昭和50年8月15日の宮内庁長官室会議で、側近による皇后、皇太子、皇太子妃のご代拝が制度として廃止された昭和の祭祀簡略化の結果です。拙著『天皇の祈りはなぜ簡略化されたか』にくわしく書いたように、政教分離の厳格主義が蔓延したからです。

 この昭和の祭祀簡略化の主因を、岩井さんは昭和天皇の高齢とお考えのようです。そのことは岩井さんがスクープしたという『卜部亮吾侍従日記』の、岩井さん自身による「本巻解説」に、「天皇、皇后に忍び寄る衰え、その『老い』との戦いも子細に記録されている」と書かれていることから分かりますが、明らかに資料の誤読でしょう。



 明治期に整備された宮中祭祀の制度では、天皇の場合も、喪中など具合の悪いときは、大祭なら皇族または掌典長に祭典を行わせる、小祭なら皇族または侍従に拝礼させることとされていました。

 戦後、現行憲法の施行に伴って、皇室祭祀令は廃止されましたが、宮内府長官官房文書課長名の依命通牒で「従前の例に準じて事務を処理すること」とされ、祭祀の伝統は引き継がれました。


 昭和の時代、香淳皇后が風邪をひかれて、ご代拝になったことがしばしばあるようで、そのことはこれまた朝日新聞から出版されている入江相政侍従長の日記に頻出します。人間ですから体調が悪いというようなときは当然あります。ご代拝の制度はそのために設けられています。


 健康を害されている雅子妃殿下が祭祀にお出ましになれないのなら、ご代拝で十分なのです。それなのに、側近がその機会を奪い、なおかつ妃殿下に責任があるかのように批判され、そのような誤った情報をメディアが流し続けているというところに問題があります。メディアの責任は重いはずです。

 妃殿下のご病気も、流産という悲しむべき結果を招いた、岩井さんご自身による「ご懐妊兆候」スクープ報道が発端ではなかったでしょうか。妃殿下の祭祀「欠席」の最初の原因を作ったのが岩井さんご自身であり、その岩井さんがこんどは妃殿下の祭祀「欠席」を批判しているのだとすれば、ジャーナリズムとしてあるまじきマッチ・ポンプ以外の何ものでもありません。

◇2 戦争の時代を演出した張本人の変節


 岩井さんは記事の最後に、「宮中祭祀は早晩、皇室の大らかで懐の深い『伝統』の中で相対化され見直されていくのではないだろうか」と書いています。

 これにも誤解があります。明治期に整備された宮中祭祀が神道重視の立場だとして、その場合の神道とは何か、です。

 岩井さんは「天皇を『現人神』と祭り上げ、『神州不滅』『神風』などと叫びながら世界大戦へとなだれ込んだ時流」などと書いていますが、戦争の時代が神道の本質とどう関わるのか、です。神道の本質、皇室の伝統とは何か、です。

 だいぶ前に雑誌「正論」の連載で書いたことですが、日中戦争勃発後、上海戦線での皇軍の暴状が伝えられたとき、これを必死で抑えようとしたのが、今泉定助ら神道人でした。朝日新聞編集局顧問・神尾茂による和平工作はその後、始まり、結局、失敗に終わりましたが、その背後に神道人の動きがあったことは明白です。


 神道といえば危険思想だと岩井さんはお考えのようですが、まったくの偏見というものでしょう。危険思想が二千年あるいはそれ以上、民族の宗教伝統であり続けるはずはないからです。

 岩井さんの雑誌記事は皇室と仏教との関わり合いがテーマですが、仏教発祥の地であるインド大陸でも、あるいは中国大陸でも、朝鮮半島でも仏教勢力が、他宗教によってほとんど駆逐されたのに、なぜ日本では信仰の伝統が続いているのか、を考えるべきです。日本人の宗教伝統が他者の存在を認めない排他的なのものならば、仏教が根付くことはなかったでしょう。

 ならば、戦争の時代を作ったのは誰なのか。

 昭和14年、靖国神社の外苑に何台もの戦車をずらりと並べたてる、いかにも時代を象徴する戦車大展覧会が開かれました。しかし主催者は靖国神社ではありません。同時に戦車150台が銀座をパレードする大行進も行われましたが、主催したのは東京朝日新聞です。ほかならぬ岩井さんが所属している朝日新聞が、神社を利用して、戦争への時流を作り上げたのです。

 興味深いことに、この戦車展について、朝日新聞の社史には記載がありません。戦争の時代を演出して「経理面の黄金時代」(『朝日新聞七十年小史』)を築き、戦後は平和の旗手を演じて戦前を批判し、靖国神社を攻撃する。人間誰しも古傷には触れたくない。触れられたくない。それは人間の心理ですが、岩井さんの妃殿下「祭祀欠席」批判と構図が酷似していませんか。


 時代によって右に左に変節するジャーナリズムが、「伝統」を論じても詮無いことでしょう。


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