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王位継承ルールの「変更」を検討したイギリス下院特別委員会報告書──伝統主義を捨てたのか(令和6年5月19日)


イギリス下院の政治・憲法改正特別委員会(Political and Constitutional Reform Committee)は2011年、政府(キャメロン内閣)が提案する王位継承ルールの変更を検討し、報告書をまとめた。委員会で何がどのように議論されたのか、あるいは議論されなかったのか、同年12月に発行された報告書をもとに、概要を以下、紹介する。

委員会のメンバーはグラハム・アレン議員(議長。労働党)ほか10名。うち保守党が5名、労働党が5名、自民党が1名。

報告書は表紙も含めて全部で40ページだが、冒頭の「要約」1ページ、末尾の「結論と勧告」1ページを含めても、本文は6ページしかない。

結論からいえば、委員会は王権、王位、王朝に関する肝心のことを議論していないかに見える。

◇1 「世襲」の意味を考えず

最初の「要約」には、2点、記述されている。

ひとつは、報告書の目的で、王位継承制度の改革、とくに、①年少の男子が年長の女子より優先して継承する男子優先継承制度の廃止、②カトリック教徒と結婚した者は王位継承資格を失う法的規定の削除、という政府の提案を検討し、伝統的な世襲制を維持しつつも、2つの差別を取り除く変更を歓迎するとある。

世襲制」の維持にはメスを入れないのだが、男系主義で続いてきた「世襲制」の意味について考えることもしていない。女子の継承を認めないのは差別だと決め付け、一方で、歴史上の女王継承後の王朝交替の原則について検討した気配も、少なくとも報告書本文にはない。

2つ目は、一方で、委員会は、とりわけ英国国教会における王室の将来の役割や、世襲貴族の過半数を継承する女性の資格喪失の継続、そしてそれが貴族院内のジェンダー・バランスに影響を与える限り、公共の利益の問題であり続けることなどについて、注意を喚起している。

つまり、王位継承の原理を深く追究したのではなく、ジェンダー平等の原理を王室に当てはめたのである。

報告書の大きな問題関心はむしろ、将来、もしカトリック教徒が国王となった場合、国教会の首長としての役割はどう変わるのか、あるいはいまは圧倒的多数の貴族は男子優先主義だが将来はどうなるのか、である。

報告書本文は、まず序文で、パース協定について説明している。英連邦16か国首相によるパースでの合意は、①男子優先王位継承の廃止、②カトリック教徒と結婚した者の継承権喪失規定の削除の2点だが、同協定には含まれていない、1772年王室婚姻法に基いて、王族の婚姻に君主の許可または議会の黙認を必要とする制約も緩和された、との理解が示されている。

◇2 王族の婚姻を個人レベルに解体

小嶋和司・東北大学教授(憲法学。故人)が指摘したように、イギリス王室には王位継承の二大原則があった。すなわち、①王族同士の婚姻(父母の同等婚)と②女王継承後の王朝交替の2つで、これによって「王朝の支配」が継承されてきたのだが、今回のルール変更はまるで二大原則の喪失であり、王族の婚姻を個人レベルに解体するものとなったかに見える。

じつのところ、2005年のチャールズ皇太子(チャールズ3世)の再婚も、2011年のウイリアム王子(ウイリアム皇太子)の結婚もお相手は一般女性で、原則は守られていない。前者の場合は、離婚相手が存命中で、教会法にも反していた。すでに王位継承の原則が崩壊しているのである。

序文に次いで、本文はまず、継承ルール改正の複雑さを指摘している。イギリス国内だけでなく、レルム間の緊密な調整が必要だからだ。しかも連邦内には共和制移行への動きさえある。

報告文本文は、男子優先主義廃止の前に、宗教問題について検討している。優先順位が我々とはかなり異なっているように見える。

本文では、政府は君主がカトリック教徒と結婚することを禁じる条文を削除する予定だと説明したうえで、それ以外の宗教的要件の変更はないと付け加えている。つまり、君主はひきつづき、カトリック教徒にはなれず、イングランド国教会との交わりに加わり、イングランドとスコットランドの確立された教会の維持を誓わなければならないのである。しかし将来はどうなのか。

報告文は、カトリック教徒との結婚を禁ずる規定は17世紀の名誉革命や権利章典に遡ると解説する。そのうえで、婚姻法には継承資格者の配偶者に制限がないのは「不公平」であり、制限の欠如は「時代遅れ(antiquated)」と報告書は断定している。

カトリックの教会法では、異教徒との婚姻で生まれた子供はカトリック教徒として育てられる。したがって、イギリス国教会との交わりのない信仰を余儀なくされることになる。これでは王位を継承できない。

この要件は、ときに教皇による特例で免除されているものの、要求自体が適切なのかと本文は問いかけている。カトリック教徒の君主が国教会の最高統治者であってはならないのかどうか、である。報告書は、カトリック教徒と結婚したいと願う人たちだけを差別する点で「異常(anomalous)」と表現している。カトリックだけが異教徒ではないということだ。

日本の天皇は、古代には仏教に帰依し、仏教の外護者となった。近代においてはキリスト教の社会事業を物心ともに支援した。しかし「神事を先にし、他事を後にす」が古来、「禁中の作法」とされた。あらゆる神を祀り祈る、公正かつ無私なる「祭り主」天皇が国と民をひとつに統合してきた。

イギリス国王は唯一神の信仰をもとに、イギリスおよび英連邦に君臨してきた。だが、将来はどうなるのか。

◇3 男子優先主義廃止の理由はない

次に報告文は、王位継承の男子優先主義廃止に移り、「広く歓迎されている」と単刀直入に記している。しかしそのたった一行のみで、理由について報告書は何も記していない。

つまり、今後、絶対的長子相続が続くことによって、王権の正統性にどのような歴史的影響と変化をもたらすのかについて、報告文は何も検討していないらしい。ほんとうだろうか。歴史と伝統を重んずるのがイギリスの国柄ではなかったのか。イギリスは伝統主義を捨てたのか。

他方で懸念されているのは、世襲貴族への波及効果である。いまは女子は継承者としての適格性がほとんど否定されているからだ。すでに男子優先主義を廃止したほかのヨーロッパの君主国でも、貴族の称号は男子優先で継承されている。いまはイギリスの貴族院92議席中、女性は2議席に過ぎないが、将来はどうなのか、爵位継承法と議会でのジェンダー・バランスは公共の関心事だと報告文は畳みかける。

最後に報告文は、王室婚姻法を取り上げ、ジョージ2世の子孫なるがゆえに、王室との関係が希薄にもかかわらず、君主の許可なしには結婚できない人が何千人もいるとして、「改正の遅れ」を批判している。

結論として、報告書は、君主の世襲制に価値を置き、伝統的な世襲制を維持しつつ、控えめな変更ながら「2つの差別」を廃止すると記している。

しかし繰り返しになるが、「世襲制」の意味がすでに変更されている。王族同士の婚姻と女王即位後の王朝交替という二大原則が生きていた時代は、世襲=男系継承=王朝の支配であったが、いまや単に血がつながっていることが「世襲」と理解されているようだ。

小嶋教授が指摘していたように、王権を認めること、王位を認めることは「法の下の平等」の例外であるはずだが、男女平等、ジェンダー平等が王権、王位に優先されている。しかも報告文には法的原則について検討した形跡がないのである。

日本でも、天皇・皇室の役割を形式的な国事行為その他のみに考える「特別公務員」天皇論が幅を効かせ、これが女帝・女系容認論をバックアップしている。公務員なら男女差別はあり得ない。他方、天皇とは何だったかの歴史的議論が抜けている。最後の歯止めは公正かつ無私なる「祭り主」天皇論のはずだが、「祭り主」の意味を探求しようとする識者はほとんどいない。危ういかぎりだ。

締めくくりの「結論と勧告」で、報告文は、「宗教と国教」「長子相続と貴族社会」「王室婚姻法」についてまとめ直しているが、内容は既述したことの繰り返しである。

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