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大嘗祭・新嘗祭に祀られる神──真弓常忠「大嘗祭」論から考える(令和4年12月11日、日曜日)


令和の御代替わりのおり、國學院大學博物館で企画展が行われた。展示は「米」だけでなく、「粟」も含まれ、さすがは國學院だと感心した。「稲の祭り」論で凝り固まる人たちとはちょっと違う。


ただ、このとき行われていたミニ講演会の中身はいただけなかった。若い研究者は、大嘗祭は天皇が皇祖天照大神を祀ると断言していた。画竜点睛を欠くとはこのことである。


なぜそう理解するのか、私にはまったく理解できなかった。「皇祖を祀る」のなら、なぜ「米と粟」を捧げなければならないのか、なぜ「粟」なのか、説明が十分でない。


▷祝詞と神座

このところ繰り返し学んでいる真弓常忠・皇學館大学名誉教授(故人)の『大嘗祭』を読んで、少しは納得できた。神道学者はそもそも「粟」を無視している。


真弓先生は著書のなかで、大嘗祭の本質を考えるためには、大嘗宮の儀にどのような神が祭られていたかを考察する必要があるとしたうえで、以下の4説があったことを紹介している。


1、皇祖天照大神とする説


一条兼良『代始和抄』には、「まさしく天照おほん神をおろし奉りて…」とある。


2、天照大神はじめ天神地祇とする説


『後鳥羽院宸記』に大嘗祭の御告文(祝詞)が引用され、「天照大神、又天神地祇諸神明」とある。以後もおおむね同様。


3、悠紀・主基それぞれ別の神とする説


たとえば、悠紀は天神、主基は地祇を祀るなどの説があったが、三浦周行は平安期の資料の対句表現を誤認した結果と批判している。つまり、悠紀・主基とも同じ神と考えられるが、それなら如何なる神かと真弓先生は畳みかける。


真弓先生は、2説は現に祝詞に「天照大神および天神地祇」とあるのだから、そのまま肯定できるとし、そのうえで後鳥羽院以前、太古以来、そうだったのかと問いかけている。『令義解』が撰された天長年間には「天神地祇を祭る」とする観念があったと見なければならないけれども、大嘗宮の神座は一座のみで、それでいて神食薦に供えられる枚手は10枚あるのをどう理解すべきか、というのである。


そして、大嘗祭・新嘗祭の当日の朝に、304座の神々に幣帛を奉る由縁を述べる祝詞に、「皇御孫命の大嘗聞こしめさむための故」と目的が明示されていることから、「新穀を至尊に供する」ために「諸神の相嘗祭」が行われるものと解釈できると真弓先生は説明している。


▷皇祖が主神で、天神地祇が相嘗する

4、御膳八神を祭るとする説


御膳八神は、悠紀田・主基田の側などに祭られる神である。だが、真弓先生は、神饌の準備過程で祭られる神であって、大嘗宮に祭られる神とは考えられないと批判している。


そのうえで、真弓先生は、平野孝国の「天皇には全国の神々をお祀りになる特別の御資格有り」とし、「天皇にあらゆる神を祀って頂く御資格をお与えする唯一の機会は、大嘗祭を除いてはありえぬ」とする理解を紹介し、「現に『天照大神、又天神地祇』に祝詞を白されているのであるから、天照大神をはじめ、天神地祇に神膳を献るものとするのが妥当であろう」と一応、結論づけている。


要するに、祝詞と神座という客観的事実から、真弓先生は、大嘗祭・新嘗祭の祭神は、主神が皇祖天照大神であり、天神地祇が相嘗をすると理解するらしい。日本民族=稲作民族論、天照大神一神教的神道論、大嘗祭・新嘗祭=「稲の祭り」論に立つならば、当然の帰結かと思われるが、神饌に「米と粟」が供される厳たる事実が相変わらず見落とされているということになる。


しかし真弓先生の祭神論はこれでは終わらない。「相嘗」とは何かを先生は探求し続けるのである。(つづく)


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