政府が「皇位継承」有識者会議開催へ。正念場を迎えた男系派の覚悟は?(令和3年3月21日、日曜日)
政府は先週16日、延び延びになっていた皇位継承に関する有識者会議(「天皇の退位に関する皇室典範特例法案に対する附帯決議」に関する有識者会議)を設置し、第一回会合を今週にも開催することを閣議決定した。〈https://www.kantei.go.jp/jp/tyoukanpress/202103/16_a.html〉
今回の御代替わりは皇室典範特例法による。明治以後、天皇の譲位は制度として否定されてきたが、平成29年6月に「退位」を認める特例法が成立した。その際、「安定的な皇位継承の確保」のため「検討」を行うことを政府に要求するなどの「附帯決議」が可決された。このときの官房長官がいまの菅総理で、法案可決の際、菅氏は「附帯決議の趣旨を尊重したい」と述べていた。
それから4年、内閣も代わって、政府はようやく動き出したのだが、とくに男系派にとっては待ったなしの正念場を迎えることとなった。前回も申し上げたが、形勢逆転の方策を真剣に模索しなければ歴史に禍根を残すことになる。その覚悟が男系派にあるのかどうか、本気度が問われている。
▽1 官僚主導の政治的通過儀礼であることは明らか
「附帯決議」は3項目から成り立っていた。うち、皇位継承に関するのはふたつである。
ひとつは、政府が、安定的な皇位継承を確保するための諸課題、女性宮家の創設等について検討し、結果を国会に報告すること。ふたつ目は、その後、国会は、安定的な皇位継承を確保するための方策について、「立法府の総意」が取りまとめられるよう検討を行うことの2点である。〈https://kokkai.ndl.go.jp/#/detail?minId=119304024X03120170601〉
過去の歴史にない「女性宮家」が、国会の議事録にカギカッコなしで載っていることは、きわめて重大である。皇室用語として存在しない「女性宮家」が、政治の世界ではすでに市民権を得ている。この惨状を覆さなければならないが、そのために要するエネルギーたるや生半可ではない。
秋までに予定される解散総選挙や自民党総裁選などの政治日程と絡みながら、歴史を無視した皇室改革の議論が一気に進んでいくのかどうか、予断は許されない。
報道によると、有識者会議のメンバーとなるのは6人。それぞれ華麗なキャリアの持ち主で、いわゆる「生前退位」有識者会議のメンバーも含まれており、議論の継続性が予想されるが、逆に皇室研究の専門家はいない。したがって、政治的通過儀礼としての検討会議が官僚主導で進められるであろうことは目に見えている。
官僚たちには基本的に、126代続く天皇の歴史と伝統を重視する姿勢はない。日本国憲法が発想の原点であり、国事行為ほか御公務を行う象徴天皇=特別公務員としての地位の安定化が官僚たちの目的のすべてである。
行政や司法のトップを任命し、法律や条約を公布し、国会を召集するなどの国事行為を行うのに、男女の別はあり得ない。憲法を出発点とする2.5代象徴天皇論からは、男系継承維持の考えは生まれようはずはない。官僚主導の皇位継承論では、皇室の歴史と伝統に立つ男系固守の皇統は一顧だにされず、弊履のごとく捨てられるだろう。
▽2 祭祀の意味と意義を追究せずに形勢逆転はあり得ない
つまり、男系継承が今後も維持されるためには、なぜ皇位は男系で維持されてきたのか、現代人に十分に理解されなければならない。男系によって126代続いてきた過去の意味のみならず、現代的な価値が見出されなければならない。
古くはスメラギ、スメラミコトと拝され、祭り主とされてきた天皇とは何だったのか、探求の努力を男系派はどこまで真剣に行ってきたのかが問われているのではないか。
仏教公伝に際して、伝統主義に立つ物部らは「我が国家(みかど)の、天下に王(きみ)とましますは、恒に天地社稷(あまつやしろくにつやしろ)の百八十神(ももあまりやそかみ)を以て、春夏秋冬、祭拝(まつ)りたまふことを事(わざ)とす」と反論、反対したと記録されている。
承久の変前夜、皇室存亡の危機にあって、順徳天皇は「およそ禁中の作法は神事を先にし、他事を後にす」(禁秘抄)と書き記し、歴代天皇は仏教に帰依してもなお、祭祀第一主義を貫いてこられた。天皇は皇室の歴史と伝統に従えば、祭り主なのである。
天皇の祭りは特定の信仰に偏した特定の宗教儀礼ではない。皇室第一の重儀たる新嘗祭は皇祖神のみならず天神地祇を祀り、ひたすら国と民のために祈りが捧げられる。一世一度の大嘗祭で、天皇は「伊勢の五十鈴の川上に坐す天照大神、また天神地祇、諸の神に明らけく曰さく」と祈られる。
天皇の祈りは一神教の祈りでもなければ、一身のための祈りでもない。天皇はあらゆる神々に対して、「国中平らかに、民安かれ」と無私なる祈りを捧げられるのである。
そうした古来、続いてきた皇室の天皇観と実践にこそ、男系主義の意味と意義は見出される。126代祭り主天皇観以外に、男系主義の核心部分は見出し得ない。
男系主義は、正確に言えば、女性天皇否定ではない。過去の歴史において否定されているのは、愛する夫がいる、あるいは妊娠中、子育て中の女性天皇である。なぜそうなのか、天皇の公正かつ無私なる祈りとはいかなるものなのか、追究せずに、女性天皇・女系継承容認に席捲された現状を逆転させることは不可能だろう。男系派は大胆不敵に挑戦しなければならない。