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なぜ日本はコロナ感染者が少ないのか〜日本特有の事情〜

 どうも!年の瀬間近で慌ただしい日々を送っている方もいらっしゃると思います。コロナが始まってから2年が過ぎようとしています。日本の現状(21年12月時点)では感染者数も下がり、コロナ前の日常に少しずつ戻ろうとしています。しかし海外の状況を見ると依然感染者数が多いです。日本と海外、一体どんな違いがあるのでしょうか。今回はこのテーマで書いていこうと思います。読んでいただければ幸いです。

ワクチン接種者やマスクの着用者がなぜ多いのか

 日本国内見回すとマスクをしている方が大半で未着用の方はごく少数です。またワクチン2回摂取した人の割合は77.9%(12月19日時点・NHKより)と高い割合を維持しています。一方感染が拡大しているイギリスでは68%、アメリカでは60%と日本よりも早く接種が始まっているのに接種率は日本のほうが上回っています。またフランスではワクチンの接種義務を実質的に課せるように向かっています。

 また欧米ではマスクをすることに対して拒否反応を示す人が多いと言われています。ではなぜ日本ではこれほどまでワクチンの接種やマスクの着用に積極的なのでしょうか。衛生観念が高いこと(町中がきれいであったり、手洗い・アルコール消毒に積極的だったり)も理由としてあるのではと思いますが、私は「人の目」を気にしている部分が大きいのではと思います。では詳しく見ていきましょう。

日本は「社会的スティグマ」傾向が高い

 社会学の用語で「社会的スティグマ」というものがあります。これはアメリカの社会学者ゴッフマン(1922~1982)が提唱したもので「スティグマ」とはギリシャ語で奴隷・反逆者・犯罪者という意味です。これはある特性が恥ずべき特性でその特性をもつ人は尊敬されず、社会から受け入れられず排除されるような状態を指します。いまの日本では公の場でマスクをつけない人やワクチンを打たないことを自ら選んだ人を禁忌し、避ける方向性が強いです。ではそのスティグマ傾向が高い原因はなんなのか。日本特有の事情があるのではと考えます。

1.「個人」より「公・集団」を優先する
 海外、特に欧米は個人の意思や考えを尊重する傾向が強いです。なので公共の場でマスク着用義務やワクチン接種の義務についてはデモ活動や暴徒化し治安当局が対応する事態までになっています。一方日本では大きな事態に発展せず、マスク着用やワクチンの接種に積極的行っています。これは考えるに世間の合意形成が取れており、その合意に対して個人が素直に従う状況になっています。集団から逸脱するようなこと、みんながそうしていることに逆らわない、波風を立たせたくない心理状況が働いているのではと考えられます。

2.「空気」を読むことを大切にする
 また日本特有の考え方、「空気」を読むことを重要視、大切にする考え方も強いです。集団に属している中でその流れや考え方を止めたり、乱すようなもに対して日本人は敏感に反応し、排除しようとする動きになりやすい点があります。ではこれはなぜ起きるのか。

3.相互監視するような制度が古くから存在していた
 歴史的な観点から考えてみましょう。奈良時代にさかのぼると律令といういまで言う法律があり、その中に「五保」というものがあります。これは5つの戸(いまでいうに世帯あたる)を一保とし、そのなかで税金の徴収や治安維持、相互扶助を負い、もし一つの戸が逃げたり、不祥事を起こした場合はその残りの4戸が連帯責任を負うものです。
 この制度は一度廃れますが江戸時代に徳川幕府が「五人組」という形で復活し、また戦時中には「隣組」という名称で戦時下の相互扶助を目的とした制度を立ち上げ、住民の思想統制や相互監視を担っていました。このように日本社会として相互を監視するような制度を作り、無意識的に監視させるような風潮を作ってきたのではと私は考えます。

 このような点で日本では「スティグマ」を人に付けやすい状況を作ったのではと思います。

「人の目」や「集団圧力」を行き過ぎさせないようにするには

 今回のコロナ禍では諸外国に比べ、幸い感染者や死者数は少なくこの圧力が現状の結果では良い方向に作用しているのではと考えられます。無論何十年、何百年の歴史家たちが良いと考えるかどうかはわかりません。
 しかし日本の歴史を遡ると空気や集団的圧力で破滅に向かった事象もあります。特に太平洋戦争は日本を取り巻く国際情勢などを考えたとしても、結果的に失敗と言わざる負えない部分もあります。一説では国民感情をマスコミが煽ったり、軍部も加担して煽っていたがそれが統制できないほど大きな「空気」となり戦争に突入した部分もあります。殊に日本人は熱しやすい部分があり、どんちゃん騒ぎをしてしまう節があると思います。ではこのような部分に対してどう抑えていくべきか、これに対してこんな答えを出した方がいます。
 評論家の山本七平(1921~1991)が「空気の研究」という著書の中で「空気」に抗うためには「水を差すこと」が重要だと述べています。ではこの「水を差す」にはどのようにすればいいのか。私が思う「水の差し方」です。

1.データ・理論による反証
 正攻法としては理論的、科学的なデータや数値化したものを提示していくことが必要だと思います。数値化されたものは動かぬ証拠にもなり、現実として目の前に浮かび上がってきます。しかしこのデータ・理論の実証は時間がかかる上、元データなどがなければ証明が難しい部分もあります。また人は感情で動く生物でもあり、いくらデータや理論を並べたとしても実際に起きてなく、目に見えなければ気持ちは動きません。「空気」というものは「感情」の塊でもあります。それでも変えなければならない時はどうすればいいのか。
2.仲間・同志を集める
 経済用語で上位2割が全体の8割を生み出す考え方「パレートの法則」というものがあり、そこから派生した「2:6:2の法則」があります。これは2割が優秀な層、6割が中間層、2割が下位の層になります。また人間関係でも2割が自分のことが好きな層、6割が中立、2割が自分のことが嫌いな層に別れます。
 これでいうと極端な意見でなければ考え方でもこの「2:6:2の法則」が当てはまるのではと思います。たとえば菅内閣の末期(2021年8月)の支持率でも29%(NHK世論調査)はありました。つまり最低でも2割から3割は自分を支持する人やこの考え方を支持する人たちがいると考えられます。そこからどう6割の層を味方にするかが鍵になります。そこで大切なのは影響力の強い人を巻き込み、「空気」を変えるきっかけを掴むことが大事です。またその意見を述べる際も高圧的に意見するのではなく、人々に寄り添うような意識が大事です。そして好意派を過半数超えさせれば「空気」は変えられると思います。

 今回は日本はなぜワクチン接種者、マスク着用者の多さから日本の集団主義、行き過ぎた空気の崩し方を書いていきましたが、最後にこの言葉で締めたいと思います。

「過ぎたるは猶及ばざるが如し」

 今回も駄文を読んでいただき、ありがとうございました。


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