もし皇室がなくなったら

 どうも!前回は現在議論されている皇位継承問題の改善策や問題点について書きました。今回はもし皇室がなくなったらどうなってしまうのか。考えてまとめてみようと思います。

 よかったらこの2つの記事も読んでいただければ幸いです。

【天皇・皇室方の行為は誰が行うか】

 前々回の記事では皇室がどういう存在なのか、天皇の役割についても書きましたが、おさらいすると天皇にしか出来ない行為で『国事行為』というのがあります。この国事行為には国会から指名を受けた総理大臣の任命や憲法改正・法律・政令・条約の公布、総選挙の公示、最高裁判所の裁判官任命など司法・立法・行政の三権に関する機能を形式的ですが役割をになっています。もし天皇が公務遂行に対して重大な支障がきたした場合どうなるのか。

 その場合の補助として「摂政」という役割が定められています。摂政は天皇が子供・女性の場合や職務が遂行出来ない際の代わりに行う役職です。摂政は古くは飛鳥時代、聖徳太子こと厩戸皇子が初めて就任し、以降藤原家による摂関政治で度々歴史に出てきました。近年では大日本帝国憲法下でも規定され、昭和天皇も皇太子時代にその職務につきました。

 現在皇室典範で摂政職についての規定が記載されています。摂政が置かれる際の前提として天皇自身が意思表示出来ない状態の際に皇室会議を経て、設置されます。摂政とは別に天皇自身が国事行為ができないとわかっている場合(外国外遊や手術を行う等)事前に意思表示を行って、国事行為臨時代行を立てます。この場合皇室会議を経ずに立てることができます。この摂政や臨時代行を立てる場合、対象者は「皇太子・皇嗣・親王・王」の男子皇族、「皇后・上皇后・太皇太后・内親王・女王」の女性皇族にも就任資格があります。

 この摂政や国事行為臨時代行が立てられる場合は三権に関する行為は支障をきたすことはないと考えれますが、皇室メンバー自体先細りし、擁立することが困難な場合はどうするのかが問題になっていきます。

 また皇室には様々な団体が行っている催しのお出ましや名誉職の就任など行っています。この公的行為自体も皇室メンバーの減少して行った場合、取捨選択をしなければならないことになります。そして皇室祭祀についても天皇が中心的な役割をもちます。もし継ぐ方がいなければその伝統的な祭祀は途絶えることは確定します。

【国民の精神的支柱がなくなるとき】

 なぜここまで皇室は日本にとって重要視される存在なのでしょうか。ひとえに長い歴史があるという点や民と寄り添う姿勢が人々の心を動かしていきました。それが大きく発揮したのが1945年の敗戦時のポツダム宣言の受諾や東日本大震災の上皇陛下のビデオメッセージです。国民との信頼を醸成されてきた歴史が緊急事態の際に発揮される、この国民の精神的支柱とも言えるべき存在なのが天皇・皇室だと言えます。

 さて日本の精神的支柱である天皇・皇室が断絶した場合、何が発生するのか考えてみましょう。

  まず政体については立憲君主制から共和制に移行され、国家元首は選挙によって決められます。また日本国憲法は否応なしに改憲が要求されます。この場合アメリカの様に行政権を把握した大統領制・首相公選制、もしくは儀礼等のみの象徴大統領制になるかと考えられます。海外王室との交流はあるかと考えられますが選挙で選ばれた元首なので明らかに国際的序列はパワーダウンされます。

 大きく懸念すべき点は国民統合の象徴が失われることです。皇室の方々は苦難に見舞われる人たちに対し、手をさしのべ我々を勇気づけて参りました。古くは光明皇后(聖武天皇の皇后)が建てた悲田院・施薬院(貧困にあえぐ民衆や孤児を救う施設)、光格天皇の天明の大飢饉時の民衆救済(江戸幕府が定めた禁中並公家諸法度の違反行為)、昭憲皇太后(明治天皇の皇后)による日本赤十字社への発展寄与、最近では上皇・上皇后両陛下のハンセン病患者への慰問など様々な時代で皇室の方々は弱者と呼ばれる方々に手を差し伸べてきました。時の権力者が取りこぼしてきた人たちを皇室はすくい上げてきました。皇室の方々がいたからこそその人達も日本の一員だと感じられた場面も多いはずです。

 これはあくまでも一個人の戯言として捉えてください。天皇・皇室がいなくなれば日本の一つのアイデンティティは喪失することにもなります。このアイデンティティがなくなるということは心に隙間が生まれることにもなります。この隙間に何が入ってくるかわかりませんが、決していいものではないでしょう。

 歴史的な側面でみると日本で当てはめることはやや強引に思えてしまう方がいると思いますが、世界の王室・王朝が崩壊した後、何が起きたか。フランスではフランス革命後、恐怖政治が行われました。ロシアは第一次世界大戦中、ロシア革命が発生し、ロマノフ朝は倒されその後ソ連が発足、スターリンによる大粛清など恐怖政治が横行しました。ドイツは第一次世界大戦敗戦後、ドイツ帝国は廃され、ワイマール憲法下による共和制に移行されるがそこに漬け込みナチス・ドイツが全体主義を敷き、ユダヤ人虐殺が起きました。

 確かに戦争の敗北や国民との信頼関係が構築されていないことによって革命が起きることがありますが、その後の歴史を見るとかなりぐちゃぐちゃになってしまうことがわかります。さすがに日本も同じようなことが起きるかどうかはわかりませんが、国内情勢が不安定になることは考えられます。またこの混乱に乗じて日本に対して敵対する勢力が行動を起こしかねないです。それを陰謀論だと片付けてしまえば簡単ですが、頭に入れといたほうがいいのではないかと思います。

 ここまで長々と書いていきましたが、皇室がなくなるということは日本の土台が崩れることになります。

 ですがそう簡単に崩れることはないでしょう。最後にこのエピソードを。

【民のかまど】

 昔々、仁徳天皇という方がいらっしゃいました。ある時天皇は高い山に登り、民の暮らしぶりを確認しようとしました。

 仁徳天皇は眼下に広がる町をみて、あることに気づきました。

「いまは夕暮れ時、本来であれば夕食時であるのに家々から煙があがっていない」

 「陛下、実は下々の者は貧しいものが多く、食うことにも一苦労でございます」

「そうか、民はそんなに苦しんでおるのか。よし決めた!今日から三年間税金なし!それと民への労役もなし!」

「陛下、それでは陛下の生活が苦しみます!」

「よいよい、民が幸せになれば、私の苦しみなどへっちゃらだ!」

 それから三年間税金は取らなく、労役もなくなりました。民の暮らし向きは良くなり、そして三年後家々から炊事の煙がそこら中、出るようになり、民は幸せになりました。

 その町の姿を見て仁徳天皇は税金を取ることや労役の再開を命じました。

 その間の仁徳天皇の暮らし向きは日に日に悪くなりました。それまで労役によって住んでいた宮殿は壊れていたところなどを直していましたが、直す人がいないので徐々にボロボロになり、そこらから雨漏りをするようになり、しまいには天井が崩れ落ちるありさまでした。しかし仁徳天皇は全く気にしませんでした。

「陛下、これでは雨露をしのげません!早く修繕を命じたほうが」

「よいよい、晴れた日には天井から星空が見えてよいし、雨が降ればその雨で身を清めることもできる!」

 全く気にしていません。しかし日に日に陛下の生活が苦しくなっていることが民の間でも広がっていきました。

「おい、陛下の宮殿がボロボロになってるぞ」

「マジか、そういえば陛下のお召の服もボロボロになってない?」

「そういえば三年の無税の間、陛下は切り詰めた生活をしていると知り合いの家臣からきいたことあるぞ」

「それはまずい、一刻も早く我々で修繕しないと!」

 仁徳天皇の窮状を聞いた民たちは急いで宮殿に向かい、宮殿を直したり、お召し物を作る布を献上したり、これまでのご恩に報いるように勤労に励みました。

 人々は仁徳天皇の時代を褒め称え、のちに「聖帝の御代」と呼ばれる素晴らしい時代と語り継がれていき、その心はこの令和の世にも受け継がれています。

 このエピソードが受け継がれていく限り、皇室と日本国民の絆は消えないでしょう。そのためにも「皇位継承問題」は国民にとっても向き合わなければならない問題だと思います。

 ここまで長文を読んでいただきありがとうございました。

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