約66年間、道徳に隠された秘密

本当に驚愕というより他にない。

言葉に表しきれないショックとも言えるし、
溜め息を超えた落胆と、どうしてだろう?という、
不思議で、疑問だらけの事実を突きつけられた。

以前から気づいていたのだから、
もっと早く確かめておくべきだった。

改めて確認して、言葉を目にして、
「現実」を突きつけられた時、
この国の根本的な過ちがここにありと確信した。

「嘘・偽り」で埋め尽くされてきた歴史。

それをここで事細かく言う必要はなく、
すでに多くの人が暴露していること。

日本の戦後教育がすでに時代遅れであり、
現代にマッチしていないのは誰の目にも明らか。

しかし、それを変えようとする動きは少数。

私自身も多くの欠点や不満を目にし、
実の子供たちもそこに苦慮している。

不登校問題がなかなか解決されない中、
学校に行っても、行かなくても、
どっちにしても、「ジレンマ」という苦難が待ち受けている。

前置きが長くなってしまったが、
もともと、「老子」が全てだと確信していた中で、
さらなる確信を深めると共に、
未来を担う子供たちに、最も足りていないもの、
そして最も重要で、大切にしていかなければならないもの。

「道徳」

この素晴らしい名前と目的を持ちながらも、
根本的なミス、意に反する真逆の教育というのは、
それ相応の結果が出ているのも致し方ないと言える。

中国の二大思想と言われる「儒教」と「道教」。

そのうちの「道教」の教典とも言える「老子道徳経」から用いられた、
「道徳」という科目。

この「老子道徳経」は「聖書」の次に世界中で翻訳されている書であり、
多くの研究者が世界各国で著されている。

日本でも知る人は多く、関連する書籍も少なくはない。

それなのに、この長い年月に渡って。。。

誰も気づかなかったのか?
指摘できなかったのか?
正しいと思っていたのか?

私流に簡単に述べるならば、「儒教」も「道教」もどちらも大事で、
それぞれのバランスを保つことが良いと考えている。
ただ、どちらが優先かと問われれば、もちろん「道教」だ。

「儒教」はどちらかといえば「性悪説」からなっていて、
人は律するべきルールが必要で、それに則って生きることで、
組織や団体などがうまく治っていくということ。

「道教」はどちらかといえば「性善説」からなっていて、
人はルールなどに縛られなくても、自然と良き選択をしていくことができ、
無理に作為的なことをするより、無為に生きることが大事と説いている。

そして、この「道教」のバイブルとも言える「老子道徳経」は、
著者の「老子」が、アンチ「儒教(孔子)」として書いたとも言われている。

それぞれが相反する思想なので、当然のことなのではあるが、
その「儒教」に批判的立場で書かれた「老子道徳経」。

この「老子」さんの教えに反して、
学校の「道徳」は「儒教」ベースになっているという事実。

これはもう、学校の教科書はもちろん、
学習指導要領などをネットで見れば明らかなことで、

「空いた口が塞がらない」

というのは、まさにこのことだなと感じた。

たまたま娘の通う中学で三者面談があったので、
国語の先生ということもあり、このことについて聞いてみたが、
もちろん、知る由もなく、申し訳なさそうに謝っていた。

先生たちが悪いわけではない。

そもそも、誰も科目の意味や語源なども知らず、
ただただ、言われたこと、教えるべきことを伝えてきただけ。

「道徳」が大事じゃないなんて言う人は皆無だと思われるのに、
この語源や意味を考えることなく、むしろ、
その意に反することをしてきたという事実。

古人に対する冒涜とも言えるし、
ある意味で「詐欺」に近い沈黙のベールを被っており、
なぜこのまま放置され続けてきたのか、甚だ疑問でしかない。

「道徳の復帰」

色々と細かいことはあるとはいえ、
根本的なこと、基本的なことを抜きに、
何も進めることは出来ない。

まずは、ここからだろう。
シンプルに。

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