卒業証書の意味と価値

次女と小学校に行き、卒業証書をいただいてきた。
子供の意思を尊重し、卒業式には参加せず、
式が終わった後、個別で校長室にお伺いした。

当初、いつも連絡をとっている教頭だけかなと思っていたら、
なんと校長や担任、保健の先生など総出(5名ぐらい)で待ち受けていて、
よく言えば賑やか?でもある意味、子供には大きなプレッシャー。

そして形式上、渡された卒業証書。

「おめでとうございます」
という言葉にも違和感を覚えるし、
そもそも教頭から「どうしても」と言われ、
渋々もらっただけのこと。

そんなに重要だろうか?

「卒業証書」がないと中学にも高校にも行かれない。
非常に不便で生きにくい社会人となる。

確かにそうなのかもしれない。
今のままだと。

ただ、本当に5年後、10年後も、
今の状況が続くのだろうか?

働く時に、通常は学歴を書いた履歴書が必須ではあるが、
本当にそれだけで採用・不採用が決まるのだろうか。

なぜ、そこまでして学校の先生たちは、
学校に来させようとして、
授業に出る、通知表で良い成績を取る、
しっかりと高校や大学に行くことを「ぜん」としているのか。

涙も感動も、別れの悲しみも一切ない、
形だけのやり取りに意味や価値はあるのか?

教頭が「また中学でもいいスタートが切れるように」と言い放った言葉が、
強烈に頭から離れないでいる。

何を持って「いいスタート」と言っているのか?

入学式には参加しようと思っているから、
それのことを言っているのか?
当たり前のように学校に行く、来る前提で、全て語られている。

何度も伝えてきたはずなのに。。。

結局、人の意見や話などには耳を傾けることはせず、
自らの意見と行動を良しとし、
「相手のため」という偽善を持って接してしまう。

確かに、私にも今は自信もないし、確信もない。

小学校の「卒業証書」をもらわないリスクは多分にあるかと思う。
でも、今となってはいらない、もらわなくてもよかったのでは、
逆にいただいたことに若干の後悔すらある。

致し方ないとはいえ、こんな状況にしている親の責務でもある。

子供たちが安心して、将来や未来に向けて輝く日々を送り、
最高の環境で最高の教育を受け、
世界に羽ばたける人格と教養を身につけるために、
親として最大限のことをしていきたい。

否、親子関係を超えて、それが私のミッションの1つ。

こんな紙切れには何の価値もない、
そう言い切れる日を目指して、
親子共々、邁進していきたい次第です。

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