21 Lessons ハラリ著 第Ⅲ部 絶望と希望 要約
第10章 テロ、第11章 戦争
『パニックを起こすな、冷静になれ』
クラウゼヴィッツによると、『戦争とは国家の政治目的を達成するための手段』です。この定義に従うのであれば、現在は旧来の戦火を交えた戦争は起こりづらいと考えられます。なぜなら、そこから得るものがないからです。今日の国際政治による他国との競争とは、要はポジション取りに他なりません。自国が相手国よりも優位なポジションを取るために、日夜政治家や官僚が汗水を流している(と信じたい)。そして、今日におけるポジションの優劣は、他の国よりも経済的に豊かになることです。
20世紀前半までは富は物質でした。物質とは工業製品の原料、石炭・石油などのエネルギー資源、農業資源用の土地などです。しかし、現在における富とは技術力と組織ネットワークであり、その両方を持つテック企業が最高の富の源泉です。さらに突き詰めて言うと、現在の富の源泉はテック企業を構成する高機能な人材になります。
このため、ある国が他国よりも優位なポジションを取りたければ、自国内に住み心地の良い環境を用意して、より多くの高機能人材を確保すればよい。人材を湯水のように消耗する戦争という行為は、優位なポジションを得るために最も不適当な手段と言わざるを得ない。
例えば、中国が日本に有利なポジションを取りたければ、尖閣諸島を奪うのではなく、日本人技術者のために魅力的な働き口を提供して、中国国内を外国人が住みやすい環境にするだけでよい。これだけで、富が自動的に日本から中国へ勝手に移動していきます。今後は政治手段としての国家間の戦争は起こらないと考えられます。
ただ、意思決定をする人間は愚かさを甘く見てはいけません。政治の意思決定者は身体を持つ人間や集団であり、それらの利益を守るためにしばしば国家の利益を犠牲にします。このため、戦火を交えない戦争が合理的な選択ではないとわかっていても、そのような選択をしないとは限りません。このような一部の統治者による暴走を阻止するために、意思決定には何重ものチェック機能が設けられています。民主主義もそのチェック機能の一つです。
私達は国家の意思決定に直接かかわることができませんが、常に統治者の行いをチェックして、フザケタ選択をした場合、適時ツッコミを入れていかなければ、統治者の暴走を許してしまいます。政治を人任せにするのではなく、私たちの生活に関わるものとして、監視していきたいですね。
第12章 謙虚さ、第13章 神
これらの章では、著者は『神』という言葉を使っていますが、これは絶対的な権威という意味で使っています。一神教における神は日本人である私達には理解しにくいところもあります。ただ、この『神』を『権威』に置き換えると、一神教の信仰心が薄い日本人にもわかりやすいかもしれません。
神や権威は社会秩序を維持するために用意されたものです。社会の構成員が『オレがNO.1だ!』と人の迷惑を省みずに振る舞うのではなく、絶対的な権威に平等に従うことが秩序を維持することに繋がります。そのためには、私達一人ひとりが神や権威の前に謙虚になればよいのでしょうか。
『謙虚さ』の逆の意味の言葉は『傲慢』です。『傲慢』とはフロイトによる『ナルシシズム』に由来していて、他者の排斥・暴力的な虐げに繋がる傾向があります。そして、しばしば国家もナルシシズムに陥ります。そのような国家を『全体主義国家』と言います。
第二次世界大戦中、ドイツ、イタリア、大日本帝国は全体主義にはしり、周辺国を侵略しました。我々に関係が深い大日本帝国はその時にアジアの国々を侵略していました。
このため、苦しみを生み出さないためには『謙虚さ』を常に意識する必要があります。謙虚さを担保するためには、絶対的な正しさを持つ権威である『神』の目が必要です。
『自分はこのように思っているが、神の目から見てどうだろう?』
このような問いかけが謙虚さに繋がっています。日本では神はいませんが、換わりに世間の目がありました、あるいはお天道様の目がありました。2022年現在、そのどちらも日本にはありません。
しかも、この権威は一部の人間にしばしば都合よく使われている。人を攻撃する時、『世間では~』とか『普通は~』、『日本古来の伝統では~』とか、その人だけが知っている権威を持ち出してきます。
このように現在の日本では規範となる権威が失われています。しかし、人々は欲望のままに行動して、秩序がないかというとそうではありません。権威は秩序を担保していると思われがちだが、ほぼすべての機能している国家は秩序を維持しています。秩序を維持するために必要なものは、みんなが従わなければいけない、でっかい『権威』ではなく、一人ひとりが持つ規範の方が重要なのです。それはお互いがお互いのことを気に掛けるという道徳的な振る舞いです。
道徳的な振る舞いは、社会集団の生存確率を高めるためことに役に立ちます。実際に、社会集団を形成するチンパンジー同士でも、お互いを気遣う道徳的な振る舞いが見られます。道徳的な振る舞いとは人間固有のものではなく。社会的な動物の本能であると言えます。
現在の社会の文脈では道徳な振る舞いとは『苦しみを減らすこと』であると言えます。苦しみを減らすためには、権威に従うより、苦しみを理解すればよい。そして、共同体の構成員同士でお互いの苦しみを減らす振る舞いをしていけば、社会全体から苦しみの総量が減っていくでしょう。
このため、秩序を維持して暮らしやすい社会を構成するためには、権威にすがるよりも、友達、仲間の苦しみを理解して、その苦しみに共感をしていくことが重要である。そうすれば、もっと暮らしやすくなるでしょう。
第14章 世俗主義
とはいえ、権威という寄る辺がない状態で、秩序を維持するのは難しい。そのために、お互いが生きやすくするために行動指針が必要となる。それが真実、思いやり、平等、自由、勇気、責任である。とはいえ、我々人類は感情の動物なので、常に間違える可能性がある。結局は自分が絶対的に正しいと考えずに、個人レベルでも国家レベルでも常に謙虚に振る舞う必要があるということである。
参加する読書会への誘い
毎週月曜日~金曜日 20時からYoutubeライブでライブ読書会を開催しています。
ライブ読書会では私と参加者で、課題本を1週間かけて読んでいきます。一人で読書が難しい方でも、みんなで読めば継続できます。本の内容について、他の人の意見を聞いてみるのも理解する助けになります。
●当日はYoutubeでライブ形式で読書会を行います。
当日の進行は、(10分読書→10分で意見共有)×3セットという流れで1時間程度を予定しています。
参加前に本を読んでいなくてもOKです。ただ、参加する際には課題本を電子版でも紙版でもお手元にご用意ください。
当日に一緒に本を読んで、概要を理解するために役立ててください。もちろん、事前に読んで意見をお持ちの方は、ライブ中にコメントしてくれれば、お答えしていきます。
開催は下記のYoutubeチャンネルで行いますので、事前にチャンネル登録をお願いします。
https://www.youtube.com/channel/UCcOBX1qIPW2RDjUmSUnCNrg
どうぞ、お気軽にご参加ください。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?