教育ダッシュボードというライトセーバー
教育ダッシュボードという言葉を聞いたことがあるだろうか。
CHAT GPT4に聞いたら、以下の答えが返ってきた。
東京都やさいたま市で運用するぞするぞとめちゃくちゃ煽られており、パイロットケースとして何校か実際に使用しているとのこと。
エビデンス!エビデンス!エビデンス!と叫ばれて久しい時代ではあるが、そうはいっても数字では割り切れない物事が多い学校現場を数値化していくことはかなりの諸刃の刃とも感じる。
使える側面としては・・・とりあえず数値化するので、教員個人に収まっていた(抑えていた?)悪しき部分が外在化すること。複数人でチェックが可能になること。
やばいなという側面としては・・・子供の気分はかなり波がある。さらにそれを惜しげもなく表現してくる場合、その感情に右往左往しなければならなうこと。そもそも数字は客観的だが、その数字自体に客観的な意味がそなわっているのか。入力・・・いつするの?そして、いつ見るの・・・?家庭で背負っている部分も学校が背負うの?などなど。
そして各自治体、「子供たち一人ひとりの資質・能力を最大限伸ばすために・・・」とか「子どもたちの可能性が広がる」というお題目を唱えているが、その背景は学校や教員に対する不信感や、DXという目標に向かっての盲目なまでの加速っぷりである。
教員として誇るべきではないかもしれないが、1つ1つの授業を行っていく中で、「今日はうまくいかなかった~!」とか「全然子どもたちに落ちてない!」と反省する授業も数多く存在する。しかし、何か挑戦しようとしたり、正直体調や気持ちが落ち着かないときにはうまくいかないことも多数ある。
子どもだって、授業内容そのものではなく、何かで集中できなかったり、正直その教員とウマが合わなくて学びが深まらないこともあるだろう。
だけど良し悪し様々なことを経験し、総じて成長していくのが人間だという気もしている。それを子どもからの数値化だけで「改善」できるのだろうか。
もちろん、学びが深まらない授業を続けていくのであれば、それは改善していかなければならないが、それはダッシュボードでなければならないのか。もっと別の意見表明の機会はないのか。
なまじ時間と労力をかけてシステムを構築しているので、走り始めたら、そう簡単には止まれないだろう。それを使っていく我々教員が、反発だけでなくこのツールを使いこなしていく(かわしていく方法も含め)、準備していかなければ、この教育ダッシュボードという武器はあまりに切れ味が鋭すぎる。気づけば自分が切られていないように気を付けなければ・・・。そう、ライトセーバーのように。。。
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