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如何賞・2020年5月|受賞作発表

如何賞(いかん-)は、物書きVtuberの如何屋サイとが、作家応援を兼ねて、個人的に推したいと思った作品(主にweb小説など)を選定しました。
あくまで独断のため、こちらから作者に連絡することはありません。

如何賞は毎月1日の夜に発表されます。
賞金はありません。

期間

2020年5月1日~5月31日に読んだ作品

2020年5月期の如何賞・受賞作

鈍感じゃない俺はラブコメ主人公にはなれない

作・かしわもち

如何屋サイと評|バーチャル旧世界オタクの殺人現場

俺はゲーム実況を見るのが好きです。
ゲーム実況とはプレイ画面を共有しながら感想を述べる形式の動画および配信コンテンツで、実際に実況しているわけではありません。
スポーツ番組の実況は言葉で状況説明をしていますが、ゲーム実況における実況とは状況説明であり、解説であり、感想であるわけです。
で、俺はゲーム実況のように読書を実況しています。
本作を読んだ経緯も毎月はじめに募集している読書実況へのご応募からでした。
ほぼ毎日21:00からAmazonが運営しているライブ配信サイトTwitchで、1時間あまり読みながら話す活動をしています。
読書自体は実況以外でも読んでおり、紙と電子あわせて少なくとも50作品は読んだはずです。
それでも本作は今月読んだ中で最も推したいと思ったので受賞としました。

さて本作は、ヒロインたちからの好意を自覚する恋愛下手な高校生を主役としたライトノベルです。
本作が受賞に至ったポイントを解説します。

まず、設定の使い方が良いと思いました。
相手の感情が分かるというサトリの異能力を持った主人公を単に恋愛下手として描いている点です。
他人の心が分かりすぎるから人生が上手くいかないという贅沢な悩みも、きっとこれから描かれていくのでしょうが、物語の導入でこの設定を恋愛事情にのみフォーカスした作者の判断を高く評価しました。
意外と新しいんです、この切り口。
サトリ設定は世の中にあふれかえっていて、それをどう描いていくか、という試みはたくさんなされています。
たとえば今年入ってからTwitterで頻繁にバズっている声の出せない少女とサトリの少女の百合マンガも、声の出せない少女にカメラを置いてサトリの少女のリアクションを楽しむという風に、サトリ設定を外から描くという手法でもって新鮮味あるアイディアへ昇華させていました。
小説の中でもとりわけラブコメは前衛的な分野です。
あらゆるジャンルとの掛け算が試されており、本作もまたそうした流れの中にある今読むべき作品の一つであると感じました。
特にサトリ設定をありきたりなものにしないために、感情しか分からないという設定とそれが額の上に(デスノートの死神の目のように)表示されるエモートというのが本当におもしろいです。
言葉は解釈ではなく理解すべきものだと俺は思いますが、140字など短い文量では相手の善意に丸投げするしかなく、だからこそ画像ツイートでの良い意味でくだらない応酬がバズツイにぶどうの房みたいに成っています。
額の上にエモートが表示されているのは、映像的にもきれいですよね。
そうした見た目のおもしろさ(クドさの無さ)だけではなく、エモートだけのサトリは言葉そのものを理解できるわけじゃないから、主人公と読者には常に中途半端な情報が記されることで、先を読む楽しさを作っています。
これ、同じ物書きとしては「やられたな~!」という気持ちです。

また、これも非常におもしろいと思った点で、物語の序盤においてヒロインたちは極めてステレオタイプなキャラクターとして描かれているのですが、第二章の冒頭では幼馴染ヒロインを視点とし、人間くさく内面を描写している部分が見受けられました。
いわゆるside使いという手法です。
ただ、これも本当に使い方の上手さがあり、side視点を用いる作品の多くがキャラクターをキャラクターとして一貫して書くことで、主人公格のキャラクターとのアンジャッシュ的すれ違いを描いたり、本音を言えない人物の恥じらいを書くなどキャラクター設定の掘り下げを行うものに終始します。
ところが、本作はside視点によって人間くさい面を描き出します。
つまり、キャラクターの二面性、いや、三面性といった立体的な書き方をしていて、二次元的なキャラクターの枠組みから逸脱しているように感じました。
そもそも序盤においてヒロインたちはステレオタイプなキャラクターとして主人公および読者の前に登場しているのに、その人物がside視点になると唐突に役を演じるのをやめて人間的な部分を出してくるというのが、めちゃくちゃとんでもない新しさとおもしろさを持っていて、配信外で読みながら「AKB48の舞台裏とかVtuberの人間味とか、小説でやるとこんな感じなのか!」と膝を打って喜びました。
そういえば今年の電撃大賞は声優ラジオを題材にした作品でしたね。
でも、本作は元からステレオタイプなキャラクターを書いていたから、読者が彼女たちに向ける視線は「攻略対象」でしかなかったと思います。
それをくつがえす、というほどではないにしろ、人間くささが垣間見えたside部分の使い方は、小説の書き方に新しい風を吹き込んでくれたように感じました。
思えば、人間というのは相手によって違う側面が見えてくるものです。
俺は旧世界のオタクなので、この子はそうじゃない……、きっと俺に対しても大好きって気持ちを持ってくれるんだ……、という幻想にとらわれたままでいると、新世界では痛い目にあうのかもしれませんね。
香織は俺の嫁になってくれる女だったんだ(遺言)

作品リンク

https://ncode.syosetu.com/n8042ge/

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