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「そう感じていること」にOKを。 〜”繊細”を活かした暮らし方〜


息子がHSPかも。と調べ始めたら自分ががっつり当てはまっていたことに気づいた話。


HSPの中にもいろいろ種類があって・・・とか今まとめられてるものを挙げたらキリがない。わたしは専門家じゃないのと、個人的には細かくカテゴライズすることにはそこまで興味ないので割愛します。


今日は私ってそうなんだ!と当てはめてみて、改めて自分を振り返ったこと。


これって私だけ? 人と違う自分がおかしいんだ。

HSPに限らず、カテゴライズせずとも多かれ少なかれそんな風に思っている人がたくさんいるんじゃないかと。


例えば私はもともと内向的で、人の多い場所が苦手。

最近知り合った人からすると、時に大勢でのイベントを主催したり、初対面の人とも楽しげに話すわたしの印象が強いのか「そんな風に見えない!」と驚かれることが多いのだけど。

小さい頃は親や先生の発する言動から「内向的」はダメで「社交的」が良い。そんな刷り込みが植え付けられ、それを分かっていても周りの友達のように明るく社交的にできない。どうしても大勢の前で発言ができない。そんな自分はダメなんだ。とものすごく自分を恥じていた。

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人の目をものすごく気にして、その場の空気感の変化にとても敏感。

慣れない場では常にここではどう振る舞うのが良いのかに神経を集中させていて、その感覚を客観的に振り返ると、さながら一歩でも選択を誤れば喰われてしまう小動物のよう。

言葉にされてなくても肌触りというか、空気感で相手の気持ちの動きが見えるようで。ビクビクしているその態度が逆効果になっていたこともあるかもしれないし、気にしすぎと言われる。
もちろん人前で何かを披露する時に実力がなかなか発揮できない。


五感の中で言うと特にが気になる方で、音から伝わる「圧」のようなものをすごく感じてしまい、あちこちで違う音が複数鳴っている場にいると辛い。でも他の人はケロッとしてたりする。


他にもあげればキリがないけれど

これらは自分にとってはどうしようもできない当たり前の感覚。でも「他の子」みたいにできない自分が悪い。
今振り返るとHSPの特性とモロかぶりだけど、子供の頃はそんな概念もない。

「繊細」とか「感受性が高い」のような表現はされることがあったけど、どうしても良い意味には聞こえなかった。


だからこそ得意なこと。

HSPのことは知らなくても、大人になると自分のことを客観的に見られるようにもなる。
繊細だからこそ、感覚と思考の乖離が激しいことに苦しさを感じ、無理をし続けるとますます苦しくなる。強制ストップも入る。

でも裏を返してみたら繊細だからこそ得意なことに目が向き始めたきっかけでもあった。

わたしの感性を取り戻す。

最初は自分の感覚を取り戻すことからスタートした。

何が嫌で、何が心地いいのか。
どんな場所が好きで、苦手なのか。

最初はよく分からなかった。人に合わせてばっかりの時は伝えることもほとんどなかったし、自分は鈍いのだと思っていた。
でも今思えば、繊細な感性だからこそあえてシャットダウンすることで社会に適応しようとしていたのかもしれない。

ノートに書いてみたり、1人で泣き叫んでみたり、思い切って大事な相手に伝えてみたり、常識から外れることを選んでみたり。側から見てると不安定に見えたかもしれないけれど、できる限り自分が快適な場所や、人間関係や、仕事の仕方を選んできた。この過程がなかったら今の自分はない。


見えない感性を信じてみる。

変だと思われてもいいや。どうせ変なんだから。

自分の感覚を大事にし始めたら
身体の中のあらゆる場所がおしゃべりになったかのようだった。
1人の自分の中なのに、それぞれに違う主張があったり、こだわりも違う。

さらにはこれからやってくる赤ちゃんとつながる感覚があったり
妊娠したらしたでお腹の胎児とおしゃべりし始めたり

それは世間一般から見たら眉唾ものだってことも分かってたけれど
それを気にするよりも自分が楽しい方がいい。見えない感性を信じてみたら逆に納得できることもたくさんあり、毎日がずいぶん豊かになった気がした。

それにわたしの中ではこの感覚は「スピ系」と一概に別物視されるようなものではなく、当たり前に誰もが持っている感覚の延長線でしかなかったから。

HSPは障がいでもなく、特殊能力でもなく、一つの特性。

その表現がしっくりくる。
本を読んでいると、HSPの人の中には直感が強すぎて霊的な体験をする人も、見えないものの存在を認識したり声を聞いたりする人もいるということも書かれていて。

どこまでの感覚が当たり前で、どこからがおかしい人といった線引きがあるのではなくて、やっぱり感覚はつながっているんだと思う。

それはどこからがHSPでどこからが普通だといった明確な線引きも本当はないのだと思う。何かに自分を当てはめようとカテゴライズするよりも、今ここにいる「わたし」の感覚をそのまんま見てあげること。


心地よい環境に自分をいさせてあげる。

人に合わせようとすることに頑張りすぎることをやめて
自分自身の感覚に正直にいることに対してはものすごく頑張った。

もちろんいきなり全部を理想的な環境に変えることは難しかったので
職場や家の環境や人間関係・1人の時間の確保など、少しずつ。少しずつ。

全部の仕事を自分だけでやろうとせず、何が得意で何が苦手かを伝えられるようにもなってきた。


頭から意識を外す習慣

小さな刺激も繊細に拾ってしまって情報処理が追いつかないというのはやはりHSPの特性らしいのだけど、放っておくとすぐにあーでもない、こーでもないとグルグル思考が回り続ける。
細かいことがすぐ気になるので、気が散りやすく集中できない。

だからあえて、思考を休ませる時間をとりたい。
そう意識していたわけじゃないのだけど、直感でやりたい!と思ったmanakiという気功が自分にとってはぴったりで毎日続けている。
manakiは瞑想的な要素もあるけれど、意識を頭から外し、イメージだけでなく体感覚をリアルに捉えることで、あちこちに散らばった気を自分自身に戻す効果もあるのだそうだ。


自分の輪郭をはっきりさせる

自分と他人との境界線がぼんやりしていると
どれが自分の感じていることで、どれが相手の感覚なのかわからなくなってしまったり、必要以上に自分の中に相手の感情が入り込みしんどくなってしまうこともある。

上記でやってきたことは、全てぼんやりしていた自分の輪郭・他人との境界線をだんだんはっきりさせていくトレーニングだったなぁと思う。

さい手


「繊細」を活かした暮らし方。

なんだか真面目に綴ってしまったけれど
気づいたら人前に出ることも話すことも平気になっていたし、人の多い場所でも気疲れが少なくなっている。

人の目も前に比べたらかなーり気にならなくなってきた。
生きづらいと思っていた社会での暮らしがだんだん楽しくなってきた。

詳しくはプロフィールにも


でもやっぱり今でも

外出の予定が詰まっていると急にガクッとくる時があるので1人の時間の確保は必須。自分の感覚だけに戻る時間がないと、意識が上ずってきて落ち着かないし息苦しくなる。

ついあちこちに気が散りやすく、人に見られてると集中に入りにくいというのも改めて最近自覚してあちゃーとなったり。


とは言え自分の特性が分かってきたので
そのずれている自分にも繊細に気づく。そして気づけば早めに対処できる。

繊細だからこそ気づく感覚があり、それを表現することで喜んでくれる人もいる。このnoteも、普段やっている施術やセッションもその一つだ。

そして自分に合うもの、合わないものを嗅ぎ分けるセンサーも鋭いので自分が良いなと思うものには絶対的な自信がある。

繊細なのも悪くないな〜と思い始めてから現在は「繊細」という言葉に嫌なイメージはない。


「そう感じていること」にOKを出す。


わたしが大切にしていることは

わたしの内側で起こっているそのまんまを見て、わたしだけは「そう感じていること」にOKを出してあげることだ。

まずは第一歩。ではどう行動するか?はその次のステップ。


HSPだからこんな風に感じてるんだ!と枠にはめることで安心することもあるし、実際そうする時もあるけれど

「〇〇だからこう感じる(だからしょうがない)」じゃなくて

HSPだろうがそうじゃなかろうが

わたしは、こう感じる。


ただ自分が感じることに
もっともっとシンプルでいたい。


くろかわさいこ
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