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情報を減らすこと。 安心して「かんじる」にゆだねる。
島に暮らして思うこと。
圧倒的に、情報量が少ない。
それは最新情報に疎くなるとかそういうことではなくて
光や、音や、文字などのいわゆる情報や刺激はもちろん、人の念や雑多なエネルギーも含めて、必要以上の情報が入ってこないということ。
地元でもある同じ市内の四国陸地部にちょこちょこ買い物がてら行くのだけど
そこだって東京に比べたら十分情報は少なくて田舎なのですよ。
それでも街から大三島に着いた途端
街灯もほとんどない、まるで妖怪でも出てきそうな真っ暗闇を走っていても
「ほっ」と心や、細胞がほどけていく。
からだの中に「余白」ができていく。
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このほどける感覚に惹かれて移住すると決めて
わたしが見つけた大切なことは
都会でも田舎でも、どこにいても豊かさは感じられる。ということ。
そして同時に
どこにいても、感じられないときは感じられない。ということも。
だけど一年暮らしてみて気づいたことがもうひとつ。
都会に暮らしていたころは
無意識に降り注いでくる情報量が多いがゆえに、感じるセンサーをあえて鈍くして自分を守っていたなと。
これ以上自分のからだの中に情報を入れないように。
受け取る器を浅くして、必要ない感覚をスルーできるように。
それは現代社会において適応するためのひとつのスキルなのかもしれない。
本当は感じることに繊細な人ほど、あえて鈍くしているのではないかと思ってる。
だけど同時に、ほしい感覚を感じるセンサーも鈍くなってしまいがち。
もちろんほしい感覚はゆっくり味わえばいいのだけど
いかんせん入ってくる情報量、刺激が多すぎるのでそんな余白がない。
まずは余白をつくること。
余白ってなに?
からだに入る情報を減らすこと。
それは物理的な情報を見る時間を減らすことかもしれないし、
予定を詰め込みすぎるのをやめることかもしれないし
自分だけを感じる時間をつくることかもしれないし
そんな環境に身を置くことかもしれない。
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自分を感じることで自分の輪郭をハッキリさせて
不必要な情報から自分を守ることもできる。
だけどそもそもの情報自体が少なければ
安心して「かんじる」に委ねることができるんだ。
毎朝子供を送った帰り道、誰もいない早朝の時間に腕を広げて
朝の光の爽やかさ、、鳥たちの囀りのシャワー、新緑の伸びゆくエネルギーを
全身で浴びながら歩くのが好き。
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まずはできるところから。
なかなか難しい、という方はあえて
そのような環境に身を置いてみる。
母でもなく、妻でもなく、なにかの肩書も背負わず
ただただ余白を味わい、かんじるに委ねる時間。
何かを「する」よりも
最高の豊かさのプレゼントだと思うのです。
現在6月の「かんじるリトリート」参加者募集中です。
くろかわさいこ
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