高校野球 やまびこ打線〜のびのび野球〜KKコンビの時代
春、夏の甲子園。
始まる前からワクワクして、終わると心にぽっかり穴が開いたような。
高校野球好きになったのは、祖父と一緒にテレビ観戦をしていた子ども時代にありました。
1982年
夏、甲子園で初優勝したのは、徳島県代表 池田高校。
監督は「攻めダルマ」の異名をもつ
名将・蔦文也監督。
池田高校は打撃中心のパワー野球。
付いた呼び名は「やまびこ打線」
金属バットで打って、打って、打ちまくり、甲子園球場に快音を鳴り響かせていた。
「またヒットだ!」
「走れ~!セーフ!」
「入った、ホームラン!」
その活躍は、子どもだった私の目を輝かせ魅了した。
1983年
選抜大会の入場行進曲は
「聖母たちのララバイ」
ヒットしていたけれど「この曲で行進?」 と思ったことを思い出す。
話を戻そう。
選抜大会を優勝したのは昨夏の優勝校、池田高校。
夏春二連覇である。
エースで4番は「阿波の金太郎」こと水野雄仁。
この夏、三連覇がかかっており、池田高校の時代が続くと思われた。
しかし、その三連覇を阻止したのが大阪府代表 PL学園高校。
1年生の桑田真澄、清原和博の「KKコンビ」が現れた。
1年生らしからぬ活躍。
盛り上がるアルプスの応援🎵
人文字で「PL」が浮かび上がる。
もはや芸術。
「おじいちゃん、応援すごいね!」
胸の鼓動が高鳴る。
応援歌を口ずさむ私はアルプスにも魅了されていた。
PL学園は池田高校を撃破し、この夏、優勝。
KKコンビの活躍は衝撃的であった。
1984年
選抜大会、夏春連覇するだろうと思われたPL学園が敗れた。
夏こそはPL学園優勝、と期待が高まる。
しかし、それを阻んだのは名将・木内幸男監督率いる茨城県代表の取手第二高校であった。
「のびのび野球」の選手たちには笑顔がこぼれ、木内監督も笑顔で選手を見守る姿が印象的であった。
今でこそ当たり前の姿であるが、当時(昭和の時代)の常識ではなかった。
決勝戦、取手二高がリード。
しかし「逆転のPL」が得点を重ね9回裏に追いついた。
ここで「木内マジック」発動。
木内監督は動揺するエース石田文樹を一度守備にまわした。その後、落ち着きを戻した石田は再びマウンドに戻る。
延長10回激闘の末、取手二高は日本一に輝き、深紅の優勝旗を手にした。
余談…
当時、挟める下敷き(ハードタイプのクリアケースみたいな)に好きなアイドルの切り抜き(雑誌など)を挟むことが流行っていた。
私が挟んでいたのは…
好きな高校野球選手!
今は亡き取手二高のエース
石田文樹!
水色のユニフォームに爽やかな笑顔が魅力的でした。
1985年
3年生になったPL学園KKコンビ。
選抜大会ではまたしても敗退。
夏、再び甲子園球場に戻って来たPL学園の選手達はさらにパワーアップしていた。
その強さを見せつけ3年連続で決勝に勝ち進んだ。
決勝では、清原が2打席連続本塁打と大活躍。
子どもだった私も祖父と一緒に大興奮。
「甲子園は清原のためにあるのか〜!」という名実況は今も記憶に新しい。
こうして高校野球の歴史に残るKKコンビは、3年間の活躍に幕を閉じた。
筋書きのないドラマ、溢れるエネルギー、感動。
子どもの頃に深く刻まれた記憶が私の礎になっているようです。
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