見出し画像

12月チェロレッスン2回目:ほとんどおしゃべりだった。

(世の中Xmasですが、今回の内容は重いですよ。気持ちが落ちている方は読まない方がいいデス(^^;;)

最初からのろけ話で恐縮だが、私のダンナは私に対してとても優しい。
お砂糖たっぷりのミルクココアにさらにマシュマロを乗せたみたいに甘くて優しい。

ただし、私の感情の揺れにはとても敏感である。特に抑うつな感情に。

結婚して数年経ったとき、私が精神的に滅入る出来事があった。
私には珍しく激しく落ち込んだ。

そんな私の感情に、ダンナは引きずられた。
私はしばらくして回復してきたが、ダンナは深い落ち込みからついに精神病を患ってしまった。
仕事は続けられていたが、しばらく薬が手放せなかった。

以来、私に関する負の出来事をダンナに話さなければならないときは、言葉を慎重に選ぶ。
患者さんに説明するように整然と、オブラートに包んで、「心配しなくていいよ」という言葉を添える。

2週間前から心に引っかかっていた今回のことも、そういうふうに話した。

★★★★

今回のレッスンは、私が1番目だと知っていた。
1月にはどうしても先生にバレる。
だったら、「何でもっと早くに言わなかったんだ」と言われる前に話しておこうと、早目に音楽教室のレッスン室に到着した。

「先週、東京旅行しました。お土産の鳩サブレです♪どうぞ。」
「鳩サブレ、久しぶりだなぁ。ありがとう。」
と先生。
先生は11月下旬から室内楽の全国ツアー中でだいぶ忙しそう。表情が疲れ気味だ。

「ずいぶん早目に来たな。何かあった?」
「センセ、鋭いなぁ。実はですね…。」

先生はダンナと違って、私が感情のままに話をしてもブレることがない。つまり、安心して話せる。
先生は私の脆いところも、ご機嫌なところも、怒るところも、ズルいところも全部知って受け入れてくれている。何も隠すことがなく、気持ちが楽だ。
親が居ない私にとっての親代わり…本人は「それを言うなら兄だろう。」と言うけれど。

話し終えると「それはなかなかハードな話だなぁ。」と先生。
あまり深刻な様子をしないでくれる。
根拠のない「大丈夫」という言葉を使わないところが信頼できる。

「うん。今の状況は分かった。辛いのがまんしなくていいから。今後何かわかったら、すぐに連絡して。」と。

ものすごく安心した。

★★★★

それからは、たわいのないおしゃべり。
私は東京旅行で聴いてきたコバケン第九の感想を話した。

「第九は毎年やるけど、結構重労働だよ。
僕はベルリオーズの幻想交響曲をコバケンさんの指揮で弾いたことがあるよ。」

へえ!

「その時コバケンさん、高熱で。それでも本番で振るって、舞台袖にお医者さんが控えていたよ。」

じゃあ、先生が高熱でも本番乗らなきゃいけないときは、私が舞台袖で控えますね。

「サントリーホールでマーラーの5番を弾いたことがあるよ。〇〇(先生が何て言ったか忘れた)ってイタリアの指揮者が振ったの。
サントリーホールは設備が整ってるし、快適に弾けるよ。公共施設よりずっといいコンサートホールだね。」

先生が楽しい話を饒舌に語るのは、私を気遣ってのことに違いない。

★★★★

その後課題のバッハ無伴奏5番のレッスンを受けた。
バロックのリズムになかなか乗れない。

「このリズムはね、理屈で覚えるより、こういうもんだと覚えてしまった方が早いよ。」
と先生。

「じゃあ覚えるので、センセも一緒に弾いてください。」

単に私にとって子守唄代わりの先生のチェロを聴きたかっただけだ。
きっと先生にはバレバレだったと思うけれど、「いいよ。」と言ってくれる。

バッハに続いて、オケで弾くモーツァルトレクイエムの難しいところも教えてもらう。

おしゃべり中心になり、レッスンは通常1時間のところ、30分ほどになってしまった。

先生は次の生徒さんを入れるために扉を開けようと立ち上がる。

その前に、私の寝ぐせ頭を抱いて
「モツレク、乗れるといいな。」
とポツリ。

私は「うん。」とだけ答える。

★★★★

レッスン後は先生の家のレッスン室を借りた。
モツレクの練習をする。

先生が「弾きながら泣けるよ」と言っていた意味がよくわかった。

モーツァルト、やっぱり好きになれないけれど、こんなに時が経って時代が変わっても人を泣かせてしまう曲を残しただなんて、すごいな。

合唱の録音と合わせてエテルナムを弾きながら、どうしようもなく泣けてしまった。