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24.10月チェロレッスン①:どうしても聞きたかったこと。

最近、時間を見つけてコンサートに足を運ぶようになった。
そうしているうちに、一つの疑問が浮かんできた。
その疑問が喉に刺さった魚の小骨のように、どうにも気になるようになってきた。
レッスン時、思い切って先生に聞いてみようと思った。

           ★

「Hさんの無伴奏チェロコンサート、聴いてきました。」

レッスンの準備をしながら、先生に報告した。

「Hくんは2年前にドボコンでご一緒したなぁ。
で、何弾いてた?」
先生、興味深そうに聞いてきた。
「バッハは、無伴奏1番を全曲です。」
「へぇ!で、どうだった?」
「端正な演奏だな、と感じました。基本に忠実で、私は好きです。奇をてらう演奏が多い中、彼のような無伴奏は、今では珍しいように思いました。」

先生、うんうんと頷く。
「バッハ無伴奏は、今は原点回帰の傾向にあるからね。でも、当時と今では楽器も弓も違うから、原点回帰はうるさい演奏になってしまうとボクは思うんだけどね。その点、Hくんの演奏はスタンダードで良かったのか。」

「Hさんの演奏、私がセンセから習ったとおりの運指と弓使いでした。だから見ていてすんなり受け入れられる感じがしました。」
「ボクと同じ奏法?彼って、ベルリンの音楽院だっけ?もしかして彼の師は、ボクの知っている人かもしれない。」

ほほう。そういうこともあるかも。

「日本の学校ではバッハ無伴奏は楽譜どおりに弾ければよしだけど、向こうでは奏法からテクニックから徹底的に教えられるんだよ。」

だから、先生はバッハ無伴奏にうるさいのか。
私だって表面的には弾ける。でも、今やっている5番プレリュード、なかなか合格をもらえない。もう1年以上も弾いている。

「センセは誰かのチェロの演奏を聴きに行くことはありますか?」
「チェリストの演奏を聴きに行くことはしないなぁ。自分が演奏するようで、落ち着かないんだよ。ヴァイオリン演奏とか、ほかの楽器なら、大丈夫なんだけど。」

そういうものなのかな。


「センセ、話は変わりますが、聞きたいことがあります。」
「なに?」

先生、何とは無しにそうに聞いてくる。

「私は最近、プロやアマチュアの演奏を度々聴きに行っているのですが、プロとアマチュアの違いはどこから来るのでしょう。
センセやT先生(先生の師匠)、Hさんの演奏は存在感が違います。」

「T先生はともかくボクは全然だから、ボクのことは置いといて。」
先生、苦笑いした。
「いえ。センセもです。
先日、センセのアマオケでセンセがアマチュアの皆さんに混じって弾いているのを見たら、存在感が全然違いました。」

先生、苦笑いをやめて、しばしジッと私を見た。
私は居心地が悪くなって、座っている椅子の上で身じろぎした。

「私、何かヘンなことを言ったでしょうか…。」

先生、「いや。」と言って椅子に座り直した。

「ボクも昔、おんなじことを思ったなって。」
「え?センセも?」
私が驚くと、先生は「ボクにも駆け出しの頃はあったんだよ。」と言って笑った。

「プロとアマチュアの違いねぇ。
それは、経験。」

…やっぱり。そうだよね。

「…って、夜はそんな月並みな答えを聞きたいわけじゃないよね。
ほかに言うなら、覚悟、かな。」

覚悟。

先生、昔話を始めた。

「ボクの留学生活の終わりのほうだったと思うんだけど。Hくんのように、学生時代から演奏依頼はあったんだよ。
方々で弾いていると、カルテットを組もうとか、トラに入ってくれとか、お声が掛かって来るんだ。経験を積めるのが楽しくってね。ボクもホイホイ乗っかるわけだ。」

あー…、今の私かもしれない。
先日、隣町の楽団から声を掛けられた。お返事は保留にしている。

「そんな折、遠回りに、当時の師匠がボクのことを『あちこちでチャラチャラ演奏しやがって』と言っていると耳にしたんだ。直接には言われないんだよ。なんか嫌だよね。
その頃、ベルリンフィルの当時のチェロ首席と演奏する機会を得た。」

ベルリンフィル!?凄い!

「光栄だよね。ボクも最初は浮かれたよ。
隣で弾かせてもらったわけだけど…頭をブン殴られた気分を味わったよ。技量もテクニックも表現も、ボクはぜんぜんダメだった。
その後、レッスンで師匠に『噂で、貴方がボクのことを言っていると聞いたんですが。』って直接聞いたんだ。
師匠はブスッとして『いい気になって他所で演奏する前に、もっと勉強しろ』って言われたよ。まいったね。」

先生、ため息混じりに笑った。

「それからは、もっと真面目にレッスンを受けるようになったよ。寝ているとき以外は、いつも音楽のことを考えてる…いや、寝ているときもかな。夢に見るもの。
ヨーヨー・マは、一日8〜10時間は練習するんだって。あの巨匠が、だよ。

プロの演奏は聴く方々に音楽の素晴らしさを伝えるためのものだ。曲を覚えて楽しく弾けました、では済まない。自分のために演奏するのは趣味であって、仕事ではない。」

壮大な話だ…。
雲の上の話を聞いてしまうと、私の気になっていることなど笑い話に思え、本当に聞きたかったことを言い出せなくなってしまった。
ほかに仕事を持っている私は、仕事上の技術・知識について研鑽を怠らないけれど、24時間音楽のことを考えるなんて、無理である。

隣町の楽団の話は断ろう。

          ★

レッスン。

今日も初めに通して弾いて先生に聴いてもらうのだが、弾き始めがどうにも緊張する。

無伴奏は弾き始めたら止まれない。最後まで自分で音楽をつくっていかねばならない。伴奏付きの曲と比べ、緊張感が1.5倍。
チェロに限らず独奏は皆そうだと思うけれど。
バッハの無伴奏という、超名曲を弾くというプレッシャーもある。

思えば、先のHさんだって、弾き始めの1音を奏でるまでにちょっと時間がかかった。その1分とかからない時間の張り詰めた空気は、自分自身と重なった。

弾き終えると、すぐに先生の指導が入る。

「序奏と本編の弾き方を区別しなさい。
曲全体の構成をどうするか、考えて弾くこと。
今のでは全体がのっぺりとして、つまらない。」

今日もまた、厳しいこと言うなぁ。

「序奏、まだ自信がないのか。そんなふうに聴こえる。
重音が汚いんだよなぁ。一つ一つの音程を確認しなさい。」

基礎からダメなのか…。

「発表会で私のほかに無伴奏を弾く人はいますか?」
「いないね。」

いないのか…。

「じゃあ、もう一度初めから弾きなさい。」

この日のレッスンは、3時間に及んだ。
もちろん、休憩はなし。

           ★

レッスン終了後、発表会が終わったら何を弾こうか、という話になった。

「来年の発表会に向けて、フォーレのエレジーを練習するとして。春先までは別の曲にしようか。
無伴奏1番のサラバンドか、パラディスのシシリエンヌ。」

その2曲、度々提案されてきた…。
サラバンドは先生の十八番。シシリエンヌは先生がチェロを始めるきっかけとなった、先生にとって大事な曲だ。
よっぽど私に弾かせたいらしい。
先生の得意な曲は指導も厳しくなるから逃げ回っていたけれど、もう逃げられないだろうな。

「無伴奏続きはさすがにイヤになるだろう?
シシリエンヌにしよう。大丈夫。すぐ弾けるようになるよ。」

ホントかなぁ。
先生の言う「すぐ」は信用ならない。

           ★

家に帰ってから。
やっぱりどうにも私の気になっていることを先生に聞いてみたいと思った。

真夜中、先生にメールを送った。

あのとき更に伺いたかったのですが…音楽以外を仕事にしている、音楽に向き合う時間が1日の1割ほどの私のようなアマチュアが、「プロの方々のように」とまではいかなくても、それに近いところまでいくことはできるのでしょうか。
つまり、ステージで弾く際、「間違えずに上手に弾けました」を超えて、聴く人の心に訴える演奏をしたいのです。
                  夜

学生だった頃。
自分が天涯孤独なことを思い出して寂しくなったときに、側にチェロがあったらな、と思った。
実際、随分慰めてもらった。
国家試験に向けて膨大な量の勉強をしていたときも、辛かった研修時代も、チェロが良い気分転換になってくれた。

今は、あまり寂しさを感じることはなくなった。

そうなると、自分のためだけに弾くことを超えたい、と思うようになってきた。


メールを送った後ベッドに入ったが、なかなか寝付けなかった。
自分でも難しいとはわかっていても、先生から「そんなのお前には無理だ」と言われたらやり切れない…だったら、最初から聞かなきゃよかった。
そう思って、ちょっと後悔していた。

翌朝早く、先生からメールの返信があった。

否定だったらどうしよう…そう思うと、なかなか開けなかった。
職場に着いてから、車を降りる前にそっと開いた。

「おはよう。メール読んだよ。
夜はここのところ、きちんと練習してレッスンに臨んでいるし、ボクが言ったことを事細かにメモしているから、心境の変化があったのかな、と思っていたよ。

話したいことはたくさんあるけれど、今時期はお互い忙しすぎる。発表会を終えて落ち着いたら話そうか。
とは言っても、夜は僕の答えが気になるだろうから、少しだけ。

まずは、しっかりバッハと向き合って、できる限りことは、やりなさい。

どんなに音楽心があってもそれを伝える手段が無ければ、伝わらないだろう?それがテクニック(技術)。

それを磨くことに努力を惜しまず、日々続けているのが、プロフェッショナルだと思うよ。
どんな職業でもね。

最低限のテクニックはしっかり取得できるようにすること。

例えば楽譜にある美しい和音をそう弾けなければ、聞いてる人に伝わらないだろう?

私の心の中には、こんなに綺麗な和音なんです、と言っても、それを表現出来なければ、伝わらない。だから一生懸命練習するんだよ。

まずは、目の前のことを頑張りなさい。

今日は午前中から本番が入っているから、これから支度をして出かけるよ。

良い一日を。  K  」

…否定の言葉は、なかった。




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