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【第92回アカデミー賞を受賞した『パラサイト 半地下の家族』】と似てると言われた韓国文学『中央駅』について、似てるところを簡単に書いてもらった件

祝!映画『パラサイト 半地下の家族』アカデミー賞 作品賞、監督賞、脚本賞、国際長編映画賞 受賞おめでとうございます!アカデミー賞史上初の快挙!すごい!
私(彩流社ナカノヒト)も観ましたが、正直最初はちょっと怖い映画だなというだけの感想(すみません)だったのですが、後から何人かの書店員さんに「彩流社の韓国文学 キム・ヘジン著『中央駅』に似ている」と言われ、「そういえばそうかも・・・!」と思い直しました・・・!!

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というわけで『中央駅』の担当編集者にも映画『パラサイト 半地下の家族』を観てもらって、似ているところなど含めて感想を書いてもらいました!


 昨今、世界的に注目されている韓国映画がある。『パラサイト 半地下の家族』だ。
昨年末に公開されてからというもの、飛ぶ鳥を落とす勢いである。カンヌ映画祭ではパルムドールを受賞し、アカデミー賞では、その長い歴史上初めて、非英語圏作品で作品賞を受賞するという快挙を成し遂げた。他にも監督賞、国際長編映画賞、脚本賞も同時受賞している。
 この映画に興味を抱いたのはつい最近。弊社既刊の『中央駅』と『パラサイト』で描かれた世界観に共通項があるという話を知人から聞いたのがきっかけだ。たしかに『中央駅』も名作と断言できるが、それにしてもアカデミー賞受賞作品と比肩するというのは些か畏れ多い、とはじめは思っていた。しかし、いざ鑑賞してみると、その考えはあっという間に覆った。そこかしこで共通項が立ち現れてくる。共感のオンパレードである。
 もちろん、未だ映画を鑑賞していない読者もここにはいらっしゃるだろうから、結末を明かすなどという野暮な真似はしない。なるべく作品の核に触れてしまわないよう、この映画と『中央駅』に現れた共通項について、いくつか書き表してみよう。
 まずなんといっても、両作品の主役が貧困層であるというのは外せない共通点だ。
しかし、これについては共通しているようで共通していない。
共通項を書きたいと言いながらいきなり何事かと思うだろうが、これは重要な点だ。
 『パラサイト』に登場する主人公家族は「半地下」という住居形態に家族4人で暮らしている。この「半地下」という住居、日本では馴染みないが、韓国では今もソウルや釜山の裏路地などに残っているそうだ。この「半地下」というのはとにかく賃料が安いらしい。というのも外の道路と居住スペースの天井が同じ高さのため、通行人と視線が合い、車の排気ガスは入り放題で、大雨で路上が冠水などすると大事になる。想像するだけでも住みたくはないが、映画の中では映像を通じてリアルに「半地下」の生活が描かれている。
「4人家族で半地下に住んでいる」という事実がいかに貧困層にいる彼らを生々しいほど描写するか、少しは伝わるだろうか。映画冒頭から、Wi-Fiのタダ乗りをするために悪戦苦闘するシーンは、余計に同情を引く。
 
 では、『中央駅』に登場する主人公はどう共通していて、どう共通していないのか。それは簡単である。
『中央駅』の主人公に住居はないのだ。彼は『パラサイト』に登場する家族同様に貧困層であるが、帰る場所を持っていない。つまりホームレスということだ。
前者はみすぼらしいが、住む家を持っている。後者はそうではない。住む家があるということは住所があり、公的に認識されているのだ。一方で定住所を持たないホームレスは公的には不可視の存在だ。この違いは大きい。
たとえば映画冒頭、主人公家族はピザ屋の配達容器を組み立てる内職をして金を稼ごうとする。家族はこの仕事をどうやって得たか。詳細に描写されていないが、おそらく普段我々がするように、スマホからアルバイト登録をしたのだろうし、いくつか不良品の分減額を食らったものの、給与は正当に支払われた。
 
 その点『中央駅』の主人公はどうだろうか。
 作品中に何度か働いて金を稼ぐシーンが出てくるが、仕事を得る方法はきわめてアンダーグラウンドだ。ホームレスのたまり場となっているインターネットカフェの店主に仕事を斡旋してもらうのである。おまけに日当のおよそ15%ほどは店主へ納めなければならない。とてもまともな労働条件とは言えないが、彼にとっては、これが金を稼ぐ唯一の方法なのである。
公的に認識されているか否かは、こうした部分で差異となって現れるのだ。

 「貧困層」という簡単な言葉で十把一絡げに出来てしまうほど、彼らは一枚岩ではないのである。
 一方でまったき共通する点もある。それは「計画」という言葉が持つ意味だ。
『パラサイト』で主人公家族は息子が立てた計画に従い、とある富裕層の豪邸へあらゆる手を尽くして取り入ろうとする。綿密に「計画」を立て、自分たちの窮状を富裕層に寄生することで脱しようと試みる。しかし、ある事件がきっかけでこの「計画」は崩壊してしまうのだが、この場面で一家の父が何気なく放った言葉は印象的だ。

「絶対に失敗しない計画は何か分かるか?『無計画』だよ」

 そもそも計画が無ければ、失敗などしないと言うのだ。たしかにそうだろう。
 しかし、彼らが取り入ろうとした裕福な家族は、娘息子の教育や将来のため、あらゆることに金銭を惜しまない(そもそも、そうした熱心な家族であったおかげで取り入ることが出来るのだが)。そしてそれは紛れもなく計画と言って差し支えないものだろう。さらに言えば、彼らは計画が破綻するだろうとは露程も思っていない。なぜなら、彼らには自由に使える金と地位があるからだ。
 つまりこの映画の中で、計画とは貧困層に無縁のもの、金と力を手にした富裕層にのみ許されたものと描かれているのだ。

 それを裏づける、もうひとつ印象的な場面がある。夫婦の会話だ。

「パク社長(豪邸の家主)は金持ちなのに優しいよな」
「『なのに』だって? 金持ち『だから』優しいのよ。私だって、もしこの家がぜんぶ自分のものだったら、もっともっと優しくなれるわ」

 ここでひとつ補足したい。このセリフにある「優しい」という言葉、韓国語では착하다(チャッカダ)という。この単語、実は日本語に直すのが難しいものの一つで、「優しい」という意味だけではない。もっと広範な「人として出来ている」ということを表す言葉である。
話を戻そう。つまり、計画を立ててそれに沿って実行していくというのは「人として出来ている」ということだと言えば、納得してもらえるだろう。そして、金も力もない半端な自分たちと計画は無縁だと彼らは言うのだ。

 『中央駅』の主人公もまた同様だ。
彼はあらゆる計画を考える。自分が愛する女と一緒に暮らすために、そしてその女の病気を治すために。
しかし計画を立てる度に、金や酒、一向に良くならない女の病気や自暴自棄、あらゆる要因で全てが破綻してしまう。
彼には計画を維持していくだけの金や力はないのだから。

 ただ、『中央駅』の主人公が教えてくれるのは、完全な絶望など存在しえないということだ。彼はあらゆる計画が破綻しようとも、何度でも別の計画を考え、立ちあがろうとする。それが善行だろうが悪行だろうが関係なく。人が生きる限り、絶望は不可能だということを教えてくれるのだ。
このことは実は『パラサイト』にもよく表されていて、「無計画」こそ肝心と嘯く父親と対照的に、息子は常に計画を考え続けるのである。
 
 ではなぜ父親は「無計画」を信奉するのだろうか。それは父親が半地下まで転落してきた経緯にある。
 彼はいくつかの事業に失敗してきたあげく、この底辺まで落ちぶれてきたのだ。
 ここに韓国社会の闇が見えるような気がしてならない。一度失敗した人間はまるでシーシュポスの岩のごとく、どう這い上がろうとしたところで、元のゼロ地点か、よりマイナスの地点へ戻されるのだ。そしてそれは、この父親が無能だからそうなるのだろうか? 映画を見れば分かるが、とてもそうは思えない。
 
『パラサイト』と『中央駅』、両作品が扱う題材こそ異なれ、韓国社会の貧富構造を見通す視線は通底していると思う。

 非常に簡潔ながら、『パラサイト』と『中央駅』の共通項を浚ってみた。
映画、小説どちらの結末にも触れないよう、非常にうわべを撫でたような文章になってしまったが、実際に両作品を味わってみれば、より深く関係性を感じ取ることが出来るだろうと思っている。

 冒頭にも触れたが、『パラサイト』は世界的に反響が大きいし、近年日本では韓国文学が若年層を中心に広まりつつあるという。
かつて韓流ドラマから始まった韓国カルチャーの流入だが、未だに人気は衰えておらず、より大きく花開いていく予感さえする。

なるほどなるほど。確かに私なんかは「格差社会というテーマは通底している」と思ってしまいがちですが、「ホームレス」と「半地下」というのは大きな差かもしれませんね。担当編集の感想には言及がありませんでしたが、個人的には「におい」についても『中央駅』とすごく似ているところあるなぁと思っています。

あらためて映画『パラサイト 半地下の家族』アカデミー賞受賞おめでとうございます。まだ『パラサイト』を観られてない方、この機会に是非是非~。
そして『パラサイト』を観たけどまだ『中央駅』は読んでない方、是非『中央駅』も読んでみていただければ幸いです。

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『中央駅』
キム・ヘジン 著, 生田 美保 訳
定価:1,500円 + 税


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