智の涙

『智の涙』を読んだ皆様の声(白本朋求さん)

1月15日に彩流社から発売した、『智の涙』。
 戦争中、極貧家庭に生まれ育ち、小学生のころから働き、貧しさと苦労が重なるなかで少年事件を起こし少年院へ入院。殺人事件を起こし、78年の人生の大半を刑務所で過ごした著者の自伝ですが、大変ありがたいことに、本作についてご感想をいただきましたのでご紹介いたします。
(※レビューは許可をいただいて掲載しています)

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強盗殺人の罪で無期懲役が確定し服役、現在、仮出所中の著者の、半生記と体験から得た思索あれこれ。

“朝鮮部落”にあった極貧家庭(14人家族!)に育ち、周りからは差別・疎外されて、小学生から働かざるを得なかった境遇を読むと、あまりの悲惨さに安々と同情などできるものではないが、やはり幼少期の体験が著者のその後の人生に大きな影を落としてると思う。

中学卒業後に就職して、転機のチャンスがあっても結局、人を信用できない、まともにコミュニケーションが取れない等で自ら離れて行き、警察の世話になることに。それは出自の問題だけではない。

本でも触れてるが、元死刑囚の永山則夫に境遇が似ている。

外に出て結婚して今度こそと決意しても、また不良仲間とつるんだり、ヤクザの世界に足を入れたりして犯罪に手を染めて獄中へ。

挙げ句の果てには、酔っぱらって知り合いの夫を刺して殺してしまう(興味深いことに刺した時のことは全く覚えてないというが、殺人犯は大抵そうだ)。

警察、検察、司法の対応も含めてトコトン負の無限ループだ。

永山則夫もそうだったが、死刑・無期懲役判決を受けるような徹底したドン底に落ちるまで、このようなタイプの人間には絶望的に悲惨だった状況を立て直す機会は訪れないものなのか。あったとしても、すでに獄中であっていつも遅過ぎる。そういう意味でも、幼少期の原体験はどこまでも影を落とす。

著者は仮出所中だが、獄中にあっても、表現という形で自らの内面を晒すことで重罪犯罪者の魂も輝くことができると思う。“反省”という命題をどこまでも突き付けられた中でも。

でも、それは死刑直前の永山則夫のようにあるイデオロギーに毒されたものではなく、犯罪を起こしてしまった想いを素直に飾ることなくさらけ出すことによってだ。

反省と責任は犯罪者が絶対に抱えなければならない重大な概念だが、ハッキリと現すことができないために外に解るように獲得するのが難しい命題だ。しかし、表現すること、書く・描くことによって、その一端だけでも現すことが可能になるのではないだろうか。

著者も、境遇から仕方ないかもしれないが、待遇改善の獄中闘争に走ったり、政治体制や天皇ヒロヒトへの批判を書く前に、もっともっと自分の内面を穴が開くほど見つめて欲しかったと思う。

亡くなった被害者のためになんて凡庸なことは言わない。

反省なき“悪鬼の所業”と言われて40年を超える年月を獄で過ごしたのだから、犯罪加害者の立場から、人間とは何か?という哲学的命題の基本にも取り組みやすい特異な材料を持ってると思われるし。予想できるようなイデオロギーに走ってしまうのは惜しい。

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『智の涙 獄窓から生まれた思想』
矢島 一夫 著
定価:1,600円 + 税
彩流社より発売中

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