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19世紀〜現代までの英米カナダ文学作品にみる 「レズビアン表象」の変遷、レズビアン文学ブックガイド『女同士の絆』刊行記念! 一部試し読み

本日4月7日発売した『女同士の絆』刊行を記念して、様々なレズビアン小説、映画を紹介している本書コラムの一部を公開いたします。
(※書影、画像は彩流社ナカノヒトが記事用に入れました)

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■アナイス・ニン

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 『ヘンリー&ジューン』(一九八六)
[杉崎和子訳、角川文庫、一九九〇年]

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『インセスト アナイス・ニンの愛の日記 一九三二―三四』(一九九二)
[杉崎和子編訳、彩流社、二〇〇八年]

 パリ生まれのアナイス・ニンは夫の転勤でパリに移り住み、そこでアメリカ人小説家ヘンリー・ミラー、彼の妻ジューンと運命的な出会いをする。アナイスは異性愛や結婚制度、近親姦のタブーなど、性の欲望を制限する制度や慣習を度外視し、奔放な性関係を求めていく。
 『インセスト』において愛の中心となるのはアナイスの実の父親である。子ども時代に自分と母を捨てて出奔(しゅっぽん)した父とフランスで再会。父娘は互いの中にそれぞれの理想像を見出し、たちまち愛に溺れていく。アナイスは二人の濃密な性の営みを詳細に綴っていく。しかし、まもなく自分に執着する父を見限り、彼女はヘンリーの元へ戻っていった。ヘンリー、父、精神分析家のオットー・ランクなど、夫以外の幾人もの男性との情事は、決してアナイスの軽薄さからの行為ではない。アナイスの日記は彼女がいかに素朴で欲望に忠実であったかを物語っている。
 こうした男性遍歴の間を縫うように、アナイスはジューンにも強く惹かれていく。『ヘンリー&ジューン』ではジューンを初めて見たときの衝撃を、「この地上でもっとも美しい女性に出逢った」(二三)と書いている。そして「男みたいに、彼女の顔にも躰にも恋をしていた」(二三)と続け、ジューンへの愛を自覚する。ヘンリーとジューンをともに愛するアナイスは二人に対して嫉妬を感じるが、ジューンに対する嫉妬は女として、ヘンリーに対する嫉妬は男としての嫉妬である。「ジューンの愛が欲しかった。そのために自分の中の男性が、はっきり見えたことを、私は喜んでいる」(七七)のである。しかし、二人がベッドで愛(あい)撫(ぶ)しあったとき、アナイスはジューンに裸身まで見せるが、ジューンの方は「わざとレズビアンのふり」(『インセスト』五七)をした、とヘンリーに言い放っていた。それでもジューンはアナイスにとって唯一愛した女性だったのである。
女二人の愛はヘンリーへの愛の延長にあるのだろうか。ジューンがヘンリーの一部だったから、私は彼女を愛したのか。違う。お互いの価値を認めあったから、私たちは似ているから、二人の間に愛が生まれたのだ。(『インセスト』五八)
[平林] 

■ジューナ・バーンズ『夜の森』(一九三六)

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[河本仲聖訳『集英社ギャラリー「世界の文学」4 イギリスⅢ』所収、集英社、一九九一年]
「夜の森」は原始の闇や人間の心の根源を探求する物語である。自称男爵フェリックス・フォルクバインはユダヤ人であることから社交界で疎外感を味わっていた。あるとき、無免許の産婦人科医マシュー・オコーナーからロビン・ヴォートを紹介され、二人は結婚する。しかし子どもを産んだロビンは家を出ていき、アメリカで文学サロンを開いているノラ・フラッドと知り合い、同棲を始めた。ノラの愛にもかかわらず、放浪癖が止まないロビンは夜の町を徘徊(はいかい)し、見知らぬ人と関係を持ってはノラの待つ家に帰ってくるのだった。ノラはロビンとの関係に絶望的になっていく。そんなとき、四度の結婚歴がある中年の未亡人ジェニー・ペサブリッジがロビンに関心を持った。ジェニーは他人の持ち物に執着するあまり、最後には自分のものにしてしまう女で、ロビンもノラから奪い取る。ジェニーとロビンはともにアメリカに渡ることになったが、関係は長くは続かず、ロビンは相変わらず彷徨(さまよ)っていた。
 ロビンがいなくなり絶望状態になったノラは、自分の出生時に立ち会ったマシューの元を訪れる。トランスジェンダーの彼は女装して恋人を待っているところだった。ノラはロビンに対する思いをマシューにぶつけるが、彼から慰めを得ることはできなかった。
 ある晩、ノラは飼い犬の後を追って、小さな教会へ入っていった。祭壇周りでロビンと犬が吠えながら噛み合いながら、追いかけ合っていた。犬は後ろの二本脚で立ち、ロビンは四つ足で這い回り、犬と人間は一体となって最後に倒れた。ロビンの獣性が何を意味するのか曖昧なまま物語は終わる。
相手が少年であれ少女であれ、われわれが倒錯者にたいして抱くこの愛とはいったい何だろう。子どもの頃読んだあらゆる物語の主人公こそ、そういう少年であり少女だったのさ。[……]王子を王子──一人前の男でなく──たらしめているのは、少女の中に潜む少年であり、少年の中の少女だったからだ。(六三〇)
[平林] 

■『オルランド』(一九九二)/サリー・ポッター監督

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 原作はヴァージニア・ウルフによる『オーランドー──伝記』であり、タイトルが示しているように、エリザベス朝から二十世紀まで(一九二八年)生きてきたオーランドーの伝記である。エリザベス一世は屋敷をオーランドーの父に贈り、彼は女王の寵臣(ちょうしん)となる。テムズ川が凍り付いた冬、オーランドーは許嫁がいるにもかかわらずロシア大使の娘に恋し、失恋する。彼は七日間眠り続けて目覚めると、詩作に没頭する。しかし敬愛していたニコラス・グリーンに自分の詩を風刺された後は、国王大使としてトルコへ赴く。ところが彼の地で暴動があり、オーランドーは七日間眠り続け、女となって目覚めるのである。彼女がイギリスに戻ると財産相続の問題が起こる。一方でロンドンの社交界にデビューし、スウィフト、ポープらの文人と知り合う。十九世紀に入り、オーランドーは時代特有の結婚願望にとりつかれ、偶然出会った軍人の船乗り、シェルマーダインと結婚。南西の風とともに夫は海に戻り、一方の彼女は詩作を続け、その作品は出版されて文学賞を授賞する。二十世紀になり男の子を出産。車を自ら運転し、飛行機から降りるシェルマーダインを出迎えるところで物語は終わる。

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担当編集者所蔵の日本公開時の映画パンフレット 

四百年近く生きているオーランドー(映画ではオルランド)の人生をることは、イギリスの文化史をることでもある。六章構成の原作に対し、映画では時代ごとの関心を、「死」(一六〇〇)、「愛」(一六一〇)、「詩」(一六五〇)、「政治」(一七〇〇)、「社会」(一七五〇)、「性」(一八五〇)、「誕生」と章題に示し、七章構成になっている。伝記作家の語りに代わり、オルランド自身がカメラを通して観客に直接語りかける手法は、斬新(ざんしん)である。「死」を別の章立てにしたのは、映画ではエリザベス女王の役割を強調したかったからだと思われる。彼女は「若さを保ち老いてはならぬ」ことを条件にオルランドに屋敷を贈った。つまり、中心舞台となる屋敷とオルランドの若さは一体なのである。さらに、エリザベス役を男優クウェンティン・クリスプが演じたことも重要である。女王に並んで、男性オルランドを女優ティルダ・スウィントンが演じていることを考えれば、映画の冒頭から性は特定不能なのである。オルランドが女性の身体に変わったときも、「まったく変わっていない、性が変わっただけ」と語る。人間の個性は身体の変化を超越するという両性具有の考え方が、映画の方ではいっそう強調されている。
 とはいえ、女性になったオルランドは十八世紀のイギリスの社交界でポープやスウィフトから、父親か夫がいなければ価値がないなどと性差別の言葉をぶつけられる。また男性時代を知るハリー公から「私がイングランドだから貴女は私のもの」と女に対する所有権を主張されたり、男子を産まなければ屋敷は没収されたりする女性蔑視に激怒したオルランドは、(空間的に)迷路園を駆け抜け(時間的に)十九世紀に突入していく。映画のオルランドは結婚願望に罹(り)患(かん)することもなく、たまたま落馬した男性に彼女の方から求婚する。しかし結婚生活や家庭に縛られたくない冒険家のシェルマーダインの意向を尊重し、また自分自身の自由な人生を考えて、彼が旅立つのを見送る。
 原作のエンディングは一九二八年だったが、映画は一九九〇年代。オルランドは娘とともに屋敷に戻っていく。二十世紀末という時代を反映しているせいか、シングルマザーの彼女はユニセックス風の服を着て、満足気な表情を浮かべている。
(平林)

外出自粛で大変ストレスフルかと思いますが、読書のご参考になれば!
書籍ももしよければ是非手に取っていただければ幸いです。

女同士の絆 レズビアン文学の行方
BETWEEN WOMEN : The Future Of Lesbian Literature
平林 美都子 編著

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定価:2,500円 + 税

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