「演奏する自分」と「レッスンする自分」を比べていた頃の気持ち悪さから脱したかもしれない
「演奏したりレッスンしたりしています」
と自己紹介するとき、いつも、なんだかすっきりしない気持ちを抱いていた。
演奏とレッスン。どちらがメイン?サブ?
わたしはいつも、「演奏したりレッスンしたりしています」と自己紹介する。
プロフィールにも、かならず「演奏」を先に書く。
「レッスン、演奏の仕事をしています」とは言わない。
たぶん、今までで一度も言ったことがないと思う。
が、実際、演奏でお金をいただく割合は低めだ。
とくに出産後は、演奏の仕事はずいぶんセーブしているし、自分から積極的にはたらかない限り、依頼もそんなに頻繁には来ない。
今年なんか、コロナの関係でコンサートはほとんど無くなったし、今も予定はない。
そうなると、「レッスンがメインで演奏はサブです」となるのかもしれない。
収入面、金額面、時間の面だけで言うと、そうなるのかもしれない。
でもそれも「なんか違う」。
すごく違和感がある。
プライドなのか?コンプレックスなのか?
この違和感の正体って何なんだろう。
長年、これってプライドとかコンプレックスのようなものなのかな?と思っていた。
実際、そんなプライドやコンプレックスを持っていた時期もあったことは否定しない。
「演奏だけで稼げないから、レッスンやるんでしょ?」
そんな考え方の人もいるかもしれないし、わたし自身もなんとなくそう思っていたことはある(そしてこれはレッスンという職業、先生に対してとても考えが甘いし、失礼なことだ)。
でも、最近「それも違う」。
わたしはレッスンするのも好きだし、音楽やレッスンを通して人とコミュニケーションすることも好きだし、自分の仕事が100%演奏だけになることをいまは望んでいない。
ではなぜ、「演奏して、レッスンしている」と言いたいのか?
それが最近、はっきりしてきた。
「ピアノを弾く自分」からスタートする
わたしにとって、ピアノを弾く、演奏する、練習するというのは根幹にあるもの。
ピアノを弾かない自分がレッスンするというのは、想像できないのだ。
演奏のレベルや規模は重要じゃなくて、わたしも弾いてる、というのがアイデンティティであり出発点。
だから、「レッスンしてます」だけでは、なにか大切なものが抜け落ちている感覚になる。
「ピアノを弾く自分が、レッスンしている」ということ。
うん、これで、しっくりくる。
「演奏は、演奏」「レッスンは、レッスン」と、別に考えていた時期もあった。
そしていつも、それらを比較していた。
どっちがメインなの?どっちが得意なの?って。
でもそれって、どこか自分の中に空白やひずみのようなものがある。
そうじゃなくて、音楽に対するすべての行動を一貫させたいし、循環させたい。
今はそのことに気づき、無理に背伸びしたり、自分を守ったりすることも減ってきた。
これまで感じていた乖離(かいり)も、最近少なくなってきた。
演奏してる自分と、レッスンしてる自分、の垣根が低くなってきたのだ。
弾きつづける者、でありたい
先月から、このnoteで「サークル」を立ち上げた。
ピアノを弾く人たちがオンラインで集い、
・練習日記をシェアしたり
・目標を立てて発表したり
・ちょっと雑談したり
・ときにはわたしが参加者の方に専門的なアドバイスをしたり…
という、「ちょっとゆるめ、でも思いは真剣なコミュニティ」。
サークルでは、わたしも現役の「等身大でピアノを弾く人」だ。
一方的にアドバイスしたり、教えたりする存在ではなく、メンバーさんと同じように目標を宣言して、練習の成果をアップしている。
・模索するものでありたい。
・探究するものでありたい。
・チャレンジするものでありたい。
この思いを持ち、(ペースはどうあれ)行動し続ける。
そのベースの上に、わたしの演奏活動、そして指導活動がある。
最近気づけたらしい
近年、そしてこのコロナ期間、本当にたくさんのことをやってみた。
そうして、ようやくこのことに気づけたみたい。
「自分らしさ」や「強み」もきっとこの中にあるから、最近あらためて考えこんだり悩んだりすることも減った。
だからやっぱり、これからも
「わたしは演奏して、レッスンしている。それがライフワークでもあり、日々取り組む仕事でもある」と自然体で言うことにしよう。
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