【才能はみだしっ子、自分を語る】 「ギフテッド」という概念に出会って、「私だけじゃない」と知ることができました
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【才能はみだしっ子、自分を語る】 「ギフテッド」という概念に出会って、「私だけじゃない」と知ることができました

これまで、「才能はみだしっ子の仲間」では、保護者の方や、支援団体をご紹介してきましたが、今回はギフテッド当事者の方にお話を伺いました。

子どもの頃からどこか周囲の友達と自分との違いを感じていて、高校生でギフテッドという言葉を知り、自分を理解し始めることができたと言う土居綾美(どいあやみ)さん。現在は大学院でギフテッドに関連した研究を進めています。子ども時代のエピソードから、お話していただきました。

周りが自分よりもずっと幼く感じていた子ども時代

保育園時代 友達と「おもしろい」の観点が違うと感じていた

自分で思い出すことができるのは、保育園時代からです。保育園のころから、友達と「おもしろい」の観点が違うなと感じ、みんなが楽しいと言っている遊びには楽しさを見い出せませんでした。

友達が考える「ごっこ遊び」が苦手だったことを覚えています。警察役とどろぼう役に分かれて演じる遊びがあって、手を縛られてもいないのに「動けない」と演じている友達をしらけた気持ちで見ていました。避難訓練の時も、友達がその気になって「燃えてる!」と騒いでいる様子を見て、「訓練だし。なんでそんなに盛り上がれるんだろう…」と思ったりしていました。

自分が楽しいと感じながら友達と遊んだ記憶はあまりないのですが、お花を色水につけて花びらの色を変えたり、路地の溝がどこにつながっているのかを探検したりする遊びが楽しかったのは覚えています。

それでも気の合う子は何人かいて、賢い子や大人びた子と一緒にいました。その子たちとは、どこかはみだしている感じが、私とリンクしていたのかなと思います。

小学生時代  好奇心を満足させることができなかった
保育園が面白くなかったから、小学校に入るときは、きっとたくさん面白いことが勉強出来て、友達が増えるから自分と気が合う友達もできるのではないかと期待していました。でも、あまり状況は変わりませんでした。私は保育園時代に自分でローマ字の読み方表を作り、アルファベットも読める状態だったのに対して、友達がひらがなも読めない様子を見て「どうして周りの子はできないのか」が不思議でした。

学校の勉強はすぐに分かってしまうので好奇心を満足させることはできず、あまり期待をしても仕方がないと早めに諦めた気がします。そして、退屈な時間をしのぐため、周りの子どもたちが何を考えているのかに関心を向けるようになりました。授業中も「この子達は何を考えているんだろう」とひとりひとりを観察して、みんな楽しそうに振る舞っているけれど、本当は私と同じように退屈さを感じているのかもしれない、と思いながら見ていました。

家族と過ごした日常の思い出

私には妹がいるので、家庭では私がひとりになることはありませんでした。両親が共働きで、学校から帰ると祖母の家で過ごし、祖母とはサスペンスドラマや水戸黄門、ニュースをよく観ていました。新聞に載っているクロスワードパズルを一緒に解いたり、「忍たま乱太郎」や「まんが日本昔ばなし」などのアニメも観ました。しっかりと構成されたサスペンスや歴史的な要素の入った番組が好きで、NHKの大河ドラマの「利家とまつ」が大好きでした。それで、両親に前田利家・まつのお墓参りに金沢まで連れて行ってもらったこともありました。

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学校では、目立たない生徒になろうとしていた

学校のテストに関しては、小学校のころは勉強した記憶がありません。学校は面白い場所ではなかったけれど、祖母に世話をしてもらっているという意識があったから、学校に行かないことで祖母や両親に迷惑をかけないようにしなくちゃと、がんばっていたように思います。

先生の目からは、隠れるというか潜るというか、とにかく目立たないように心掛けていました。迷惑をかけないように振る舞ったので、(指導するのが)楽な子どもと受け取られていたと思います。自分で「このくらいだったら、標準の子どもとして扱ってもらえるだろう」という目安を立てて行動していました。

目立たないようにしようと思い始めたのは、きっかけがありました。授業中に先生の質問の答えをつい口にしたら、周りから「分かるんだったら手を挙げたらいいのに」と言われたのです。私だけがわかって、私だけできる子と見られた経験がとてもいやでした。目立たないほうが、周りから「負の意識」がかかってこないものです。人と違うことが大きなストレスとなるため、あまり目立ちたくないと思うようになりました。

小学校では、ほかの子たちは「○○ちゃん」と名前やニックネームで呼び合うのが普通だったのに、私はずっと「○○さん」と名字に「さん」を付けて呼ばれていました。みんなに無理をして合わせていることは、友達も感じていて距離感を持っていたのかもしれませんね。

仲良しの友達はあんまりいなくて、低学年の時は近所だから学校に一緒に行く、というような友達ぐらいでした。高学年ではグループに属さないと目立ってしまうので、一緒にいて楽そうで近所の子が多いところに入ってやり過ごしていました。

子どもの頃に楽しかったことは、年長から習っていたピアノ。楽器の演奏は楽しかったです。学校の勉強はやらなくてもできてしまうので、自分が得意ではないことをできるようになりたいと思いました。高1くらいまでピアノのレッスンは続けて、中学・高校では吹奏楽部で打楽器を担当しました。今でも、社会人の吹奏楽団に所属しています。

中学校、高校時代も「目立たないように」というスタンスは変わらなかったけれど、まわりの女子たちも成長して言葉がたつようになり、衝突することが増えました。相手が間違っていると感じると、私も黙っていられなくなり、「こっちの方が正しいし、効率的だ」と主張してしまう、という具合です。私は正しいと思っているから引かないし、相手も私の言っていることがわからないから納得できず引かないのです。こうして孤立することが多かったように思います。ただ、孤立しても弱気になることはないので、いじめのターゲットにはなりませんでした。

学校の先生に対して思うこと

テストで点を取れば問題はなかったので、授業中は目立たないように勉強ができないふりをして隠してきました。その中で救いだったのは、先生がときどき「作文コンクールがあるよ、出してみよう」などと声を掛けてくれたこと。賞をとったりすると、とても嬉しかったです。長い経験のある先生はわかっていて、目をかけてくれているのかもしれないと思いました。

教育現場でギフテッドの子どもの対応をすることは難しいとは思うけれども、ほんの少しの配慮で随分救われることもあると思います。私が教育実習で訪問した学校の先生は、課題のプリントの表には全員が取り組む内容、裏には表が終わって余力がある子どもがチャレンジする内容を記載していました。早く解き終わった子への配慮があって良いなと思いました。

「ギフテッド」という言葉との出会い

高3のときに東京大学のROCKETの活動の特集番組をみたのをきっかけに「ギフテッド」という言葉を知りました。自分の性質が説明不可能なものではなく、説明できるものだと知って、安堵しました。「自分だけじゃないのだ」と。

それまでは、周囲との違和感から自分は発達障害なのではないかと思ったこともありました。やることがないからキョロキョロしていたのも多動だからではと考えたり、忘れ物をとてもよくすることにも何か原因があるのではないか思ったり。ただ、行動は発達障害の傾向と合っているけど、原因が違いました。自分の中に意思や考えがあって、他のことに注意が逸れてしまうからです。

ギフテッドについて知った後は、ギフテッドそのものよりも、自分に似た存在について知りたいと思い始めました。ギフテッドを育てているお母さんのブログを読んで、私に近い!と思うことがあり、その感覚は非常に嬉しいものでした。

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母が、私の悩みの理解者だった

ギフテッドを知った日に母に伝えると「ああ、ほんとだ。これだ」とふたりで確認できました。

家族の中では、母が私のことをよくわかってくれていたと思います。これはギフテッドについて知ってから気づいたことですが、母もギフテッド傾向がある人なのです。中学生時代、周りと衝突した時に、母や祖母に相談したことがありました。母がよく話を聞いてくれて、私の悩みの吐き出し口となってくれました。

母は私の悩みに「ああ、そういうこともあった。私もそうだった」と言ってくれましたが、一方で母は衝突を拒まない人だったので「あなたのほうが私よりも周りとうまくやっているんじゃない?」と言っていました。

文転して大学進学。大学で「ギフテッドの定義」の研究

高校時代、大学進学を考えた始めたときには数学が大好きで、人間嫌い・人への苦手意識をずっと持っていたことから、猿とか魚の研究をしたいと思っていました。けれども、ギフテッドを知ったときに、自分が理解されうる、説明可能な存在なのかもしれない、私のような存在が理解される社会にできるのではないかと、逆に人間に興味が出始めて、高校三年生の夏休みに文系に転向しました。

私自身も本当は、周囲に理解して欲しいと思っていたのかもしれません。私の異質性があたりまえのものならば、私は異質な存在ではなくなります。生きづらさを感じている異質性をもつ人に対して「そういう人もいるよね」という世の中になればいいなと思います。

大学では文系へ転向したので学ぶ内容が変化して面白いです。特に私は本などの活字を読むのが苦手なのですが、苦手だからこそ努力のしがいがあって面白いです。今まで努力せずに勉強など常に上位2~3番がとれてしまい、何事もほとんどできてしまったからこそ、今は努力しなくてはならないことに魅力を感じています。

自分を知るということを含めて、当事者研究を論文テーマに

私は記憶力、理解力が高くて、効率よく物事を進めるのが大好きです。数学やパズルもそうですが、私は感覚的に答えが導き出せてしまうという能力を持っているようです。大学に入り、思考を積み上げてきた人に出会ってみて、感覚で判断する自分はそういう人たちには叶わない、いつか抜かれてしまうという思いもあります。そういう意味でも大学に入ってからは、苦手なことなどに対して努力で積み上げることを心がけています。

大学の卒論では「生きづらさに着目した日本におけるギフテッド定義の再検討」というテーマを取り上げました。ギフテッドについての文献研究をしっかり行い自分に目を向ける意味もこめて当事者研究をしました。文献から学んだアメリカの概念は、キリスト教的な考えに基づいており「神から与えられた才能」という考え方です。これは日本では受け入れられにくいのではないか、「突出した能力」のみがクローズアップされて、生きづらさの部分が理解されにくいのではないかと考えました。

現在は大学院で、引き続きギフテッドに関連した研究をしています。最近思うことは「ギフテッド」という言葉を使っていく難しさです。ギフテッドという言葉からは、どうしても「才能」が連想されてしまいがちです。しかし、私は、ギフテッドの子どもたちの異質性や能力、さらにはそれによって生じうる困難や生きづらさも含め見える化することが大切だと考えていて、「ギフテッド」という言葉でない表現があればいいと思っています。才能だけをとりあげて選び出して伸ばすという考え方には違和感がありますし、多様な性質を持つ他の子どもと勉強する機会を与えられるべきだと私は考えています。

感覚を共有できる場、当事者会のこと

現在は、18歳以上のHSPとギフテッドの当事者会を運営しています。会合は月に1回定期的に、10名ほどが参加して開催しています。実は、以前他のHSPや枠組みのない当事者研究会にいくつか参加したことがあるのですが、ギフテッドについて他の参加者の方達が知らないことから、自分の話をしたときに一瞬場が凍るというか、そんな感じがすることがありました。「あ、理解されなかった」と感じることがあって、受け入れてもらえる場なのだけれど、受け入れてもらうまでに自分の特性を説明しなくてはならないという状況で、とても疲れてしまったことがありました。それが、現在主催しているHSPとギフテッド・タレンティッドの会ではお互いに「わかるわかる」がたくさんあると感じます。感覚を共有できる場で、自分と似たような人がいると分かるだけで気持ちが全然違いますし、相手のことも受け入れやすいと感じています。

基本的には自助グループなので、研究という観点に置いては自分自身について洗い出していく場にしようとしています。他の人を見ていて感じたのは、ギフテッドという枠組みで集まっているけれど、日本では定義がないのでギフテッドと判定されたわけではないという葛藤が各人の中にあるということです。私自身、当事者会活動をしていても、ギフテッドというラベルを自分自身がを使っていいのかと悩むときもあります。

女性でギフテッドであること、そして働くことについて

中学生ぐらいまでは、女子のコミュニティにいてうまくやらなくてはと思っていたので、自分がやりたいことがあっても「アクセルを踏まず浮遊する」ように自分をコントロールしていたように思います。ふわふわと流動的な態度にしておいて、できるだけ居心地のよい方向に進むように調節していた感覚を覚えています。

でも、中学の吹奏楽部にいたころに、男の子といるほうが楽だと気がつきました。吹奏楽部では男子がひとりしかいなくて、2年のときは男の先生が顧問で、男子と顧問の先生にまざってごはんを食べたりしていました。この2人とは今でも仲良しです。このあたりから、女の子たちと無理して過ごすよりも男子や男の先生と関わるようになりました。大学でも男性の多いコミュニティに入るようになってからは、伸び伸びしていられるようになりました。大学に入り、周囲の友達の精神年齢が追いついてきたり、勉強ができる人が集まっている場であることから、友達と付き合いやすく楽になってきたと感じています。

まだ、大学院1回生ですが、そろそろ周りは就活を始めています。働くことに関しては正直とても悩んでいます。一般的な企業に入り、関心がないかもしれないことをして週に5日働くというのは自分にはできないかもしれないと思うこともあります。また、そうは言っても社会を経験した方が良いのではないかと考えることもあります。社会貢献や社会問題に関わることやギフテッドの子どもの支援もしたいとは思いますが、1人でそれをやり始めることができるのかなど心が揺れています。これから時間をかけて考えていきたいと思います。

土居綾美さんが主宰されている当事者会「Co-Ring」は、毎月第4土曜日に開催、こくちーずにて参加者を募集しています。今後は、子ども支援や遊び場も企画していかれるそうです。
詳しくは、Twitter  Coring1072 またはCo-ringホームページをご覧ください。

【インタビュー後記 ~酒井の思い~】

綾美さんは当事者として子ども時代の生きにくさ、ギフテッドという言葉に出会ってからの心境の変化などを詳しくお話し下さいました。海外の情報ではギフテッドの女の子は「under the radar=レーダーで探知できない低空飛行。転じて、一般に認識されない、目立たないように振る舞う」傾向があると言われています。同調圧力が強い日本ではギフテッドチルドレン=才能はみだしっ子は見つかりにくく、特に女子に関しては目立たない存在となりがちです。ギフテッドであるという自分を説明してくれる言葉にもしも出会わなければ、自分だけが世界でただひとり違う存在なのだと思い悩む子どもたちがたくさん存在すると想像しています。

綾美さんは「ひとりではない」自分を知ったことから、自分や人間に関心を持たれました。私は日本国中の人に「ギフテッド=才能はみだしっ子」について当たり前のように知って頂き、性質を理解し彼らには仲間がいることを知って欲しいと願っています。

また、綾美さんがおっしゃっていたギフテッドの定義づけについて、厳密にスコアなどを決めて分類をしたりせずに「傾向がある」「特性に該当する部分が多い」などの状態でも良いのではないかと、私は考えます。大切な事はギフテッドであるというラベルをつけて特別視することではなく、ギフテッドの特性に対して必要なケアやサポートを当てはめて試行錯誤しながら育てていく姿勢だと思います。多様な個性を認めるインクルーシブな教育に、才能はみだしっ子という個性が加わって欲しいと思います。

成長期に1日の多くの時間を過ごす学校で、才能はみだしっ子たちが伸び伸びと力を発揮して友達と相互理解をしながら、共に学び合うような環境が実現できればと期待しています。

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このページは、書籍「才能はみだしっ子の育て方」の出版後、著者・酒井由紀子が直接お話を伺った方々のインタビュー集です。様々な角度から才能はみだしっ子たちの姿を探っていきます。  (シェアは歓迎ですが、記事を許可なく転載もしくはコピーして配布することを禁じます。)