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【才能はみだしっ子を育てる②】 やりたいことにまっしぐらな子どもが、思春期を境に変わる。そこからまた、自分を知る成人期へ

今回は、大学2年生の息子を育てるお母様Mさん(東京在住)にお話を伺いました。

下の娘が生まれてからわかった、息子はちょっと違う子だった

私には、子どもが3人いて、大学2年生の男の子、高校1年生の女の子、小学校6年生の女の子です。そのなかで、長男だけがとても手がかかる子どもでした。はじめは、長男しか知らなかったのでわからなかったけれど、下の子どもたちが生まれてから、違いに気がつきました。

長男が幼少の頃は、とにかく「なんで?」といつも質問し続けている子どもでした。そして、聞いたことは一度で覚え、同じことを何度も繰り返し聞いたりはしませんでした。図鑑も読んだ端から全て覚えてしまうのです。

数々の逸話を作った、保育園、小学校時代

息子は、2才から保育園に通い始めました。保育園時代は1クラス10人、その後進んだ区立の小学校は1学年23人と、とても小規模。少ない人数で先生の目が届く環境でした。これはたまたま住んでいる地域性でもあるのですが、息子の性質も見守ってもらえる、とても恵まれた環境だったと思っています。

保育園の先生からは、「保育園始まって以来の大物」と呼ばれていたんですよね。「大物」と呼ばれたのには、数々の型破りなエピソードがあったからです。ある日のお昼寝の時間、息子はトイレに行きたくなったけど、起きていくと時間がもったいないと思って、手の中にウンチをして、そのままお昼寝を続けたのです。お昼寝の時間が終わって、こっそりウンチをトイレに流しに行こうとしたところ、先生に見つかったということがありました。滑り台の上から、どのくらいおしっこが飛ぶのか試したりもしていたりと、数々の伝説があります。

小学校低学年の学校公開で、「みんなで動物のマネをしよう」という授業がありました。彼はジャガーになって、のしのしと歩いていましたが、次の授業になってもずっとジャガーのまま。教室の床に両手両足をついて、歩き回っていたそうです。この様子を見た夫が、普段彼はこどものふるまいが普通か普通でないかということに頓着しない人なのですが、さすがに先生に「いつもご迷惑をおかけしているのでは」と謝りに行きました。

小学校5年生のころの授業では、先生がクラスに質問を投げかけると手も挙げずに真っ先に全て答えを言うので、たまりかねた先生が怒って「何でも分かっているなら先生の代わりに授業をしてみろ!」とおっしゃったそうです。息子は、「そんなこと簡単にできる」と思ったそうですが、やってみたらできなくて、教えることは難しいと学んだようです。

中学、高校時代での変化。ある意味、普通の子になっていく

息子はとても風変わりでしたが、脳天気で明るい性格で、友だちに恵まれました。息子は率先して面白いことを次々と起こすし、それを一緒になって加速的に盛り上げていく友達もいて、日々を最高に楽しんでいたと思います。小学校のその学年は個性的な子が多かったと思いますが、それを「あいつは、ああだから」と丸ごと認める文化がクラスにできていたと思います。

そんな息子の転機は都立の中高一貫校に入った時でした。奔放に生活していた彼にとっては厳しい学校で、様々な細かいルールが息苦しかったのでしょう。友だちと一緒に、いろいろなルール違反をするようになりました。加えて、中2病とも言える背伸びした自意識もありました。中2の時、いたずらがエスカレートして、友だちとともに学校で問題を起こしてしまいました。何があったのかはここでは控えますが、誰かを傷つけようと思ってしたことではなく、本人たちはおふざけのつもりが大問題となりました。本人たちは反省しつつも、事の影響の大きさにとても驚いたようでした。

このことがあってから、息子の「やりたいことはなんでもやってみる」という態度が変化していきました。

その一件以来、保護者としての私自身は、その時にご迷惑をかけたほかの保護者の方々に恐縮し続けてお付き合いせざるを得ない状態なりました。中高一貫校だったので何年も関係が続くため、肩身の狭い思いをしました。そんなとき、夫が泰然としていてくれたのが救いでした。息子が時に大きく道を踏み外すようなことがあっても、ひねくれたり親を攻撃したりはせず、根の部分では常に前を向いて育っていることは良い事だと夫婦共に思っていたので、家庭の中は明るかったのです。

高校生になると、ある意味「普通の」男子っぽくなり、問題を起こすこともほとんどなくなり、独善的な部分や変人的な部分が影を潜めるようになりました。ただ、彼自身は「変人的な部分は依然あるけれど、それを出していい場所と出さない方がいい場所のコントロールができるようになっただけ」とのちに振り返っています。

それまで、やらなくても成績は取れていた勉強に対して、多少は真面目に取り組み始めたのは、中学3年のころ。やり方はもちろん彼流です。筋トレの合間にYouTubeの勉強系コンテンツを2倍速で見るというスタイル。私はひそかに、そんなやり方で本当に勉強になっているかなと思っていましたが、「ちんたら聞いているのは時間がもったいないから、できるだけ早く情報を頭に入れるにはこれでいいのだ」と、息子は言っていました。そして、あまり努力をする様子も見せずに、第一志望の大学に合格しました。勉強に関しては、一度仕組みを理解すると非常に吸収が早く、英語の勉強も「頭の中に日本語とは別の英語のOSを立ち上げれば良いと分かった」と言います。私からしてみると何を言っているのか分からないことを言いながら、どんどん先に進む息子。彼には何か人とは違う力があるのだと、感じることが多かったです。

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写真は、すべて中学時代のもの。
サーフィンにハマり始めたのもこのころ。

「週末は田舎暮らし」を始めたのは、息子のためだったのかもしれない


我が家は、約14年にわたって、東京と千葉の南房総との二拠点居住をしています。はじめたのは息子が6歳になったころからでした。毎週末と夏休みなどの長い休みの間、家族で南房総の家で過ごし、息子は父親と一緒に野山や海をあまねく楽しんで過ごしました。こうして、週末田舎暮らしが始まったわけですが、実は息子の知識欲が高すぎて、東京での暮らしでは満たしてあげることができない、という思いがそこにはありました。

南房総の自然の中で過ごし、「現場の力」はすごいなと思いました。図鑑でしか見たことがなかった様々な生き物に触れ、海で泳ぎ、自然の力に圧倒されながら好奇心を満たす。それは自然の野山の中だからできたのだと思います。

また、息子は小学生の頃から水泳教室に通い、中学高校の部活は水泳部でした。小学校高学年では怠けることばかり考えていましたが、部活で本格的に競泳に目覚めたというかんじです。南房総に通うようになってからは特に、海で泳ぐことが彼を癒すようになっていたのかもしれません。あらがうことのできない自然の力に圧倒され、謙虚になっていたのではないかという感じがします。

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南房総の家で、汗だくになって草刈りを手伝う姿

たぶんまだ、彼はほんとうにやりたいことに、出会っていないのかな、と思う

大学は法学部に進みました。でも、本当は理系の勉強をしたかったようです。高校生の時に進路を真面目に考えずに選んでしまった、法律の勉強は真理を追求する知的興奮がなくて興味が持ちきれない、と言っています。

大学に入ってから、彼は自分よりももっともっと頭の良い人がたくさんいることに気づいたようです。そのなかには、努力を積み重ねて力をつけてきた人がいて、「努力も才能、自分にはその才能が足りない」とも思い知ったようです。彼は苦労しなくても新しいことをすぐ理解し定着させる頭脳を持ってしまっていたので常に成績は良かったのですが、本当にやりたいことにはまだ出会っていないのではないかな、と私は思っています。

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学校で自意識大爆発の状態と、
南房総での状態は、だいぶ違いました

共感することはあっても、もともと息子と私は違う人間として育ててきた

彼のような飛び抜けた頭の良さは、私自身は持ち合わせていませんし、下の2人の子どもも長男とは違います。どうして彼のような子どもが生まれたのかは不思議でしたが、もともと彼は自分とは別の人間だと思って、淡々と育ててきたように思います。

私自身は、子どもの頃から親の期待に応えるように生きていました。でも実は、学校生活や友だちとの関係に心から馴染むことはなく、どこか周りの世界に違和感を持っていました。そして少し変わった子どもだったようで、会話をしていても何段階か先を読んだ発言をしてしまい、担任の先生が親に面接で「たまにとんちんかんなことを言います」と言ったこともありました。自分はちょっと先まで想像して一足飛びの発言をしているだけなのに、先生にはそう見えていたのか、と絶望したのを覚えています。。だから、相手を選んで話し方を変えることが普通のことでした。

違和感をもちつつ自分を抑えて、周囲に合わせ続けてきたことから、自分の中には気持ちのレパートリーがたくさんできたのかもしれません。どこか、「そういうこともあるよね」と、他の人の気持ちに共感して、ものごとを見る部分があるのかな、と。だからかもしれませんが、息子が本当にびっくりするような事をしでかしても、そんな彼に対してもどこか共感できる部分があるのだと思います。

人に合わせて話し方を変える、ということには息子も共感してくれています。彼は友だちによって話すペースを変えているそうです。それは、相手が心地よいであろうペースに自分のモードを持っていくのだと言っていました。ただ、大学に入り、自分よりもはるかにぶっ飛んでいる、すごいペースとテンポと次元で話す人がいっぱいいて、それは本当に面白くて楽なのだそうです。

周りの人に恵まれて、彼自身の個性を大切に育んでもらってきた

保育園、小学校と、たまたま少人数クラスで育てもらってきて、先生の目が届くことは大切なんだな、と実感しました。もちろん、先生にも個性があるし、同じ学校でも先生によって彼への評価は異なりました。ただ、先生ご自身がのびのびと働いていると、子どもに対する指導も余裕が見られて、「こうあるべき」という考えを外して、彼を個人として見てくださるようでした。

私は、一つの価値観にとどまりすぎない方が親も子も楽なのではないかと思います。子どもの性質は教育の良し悪しではなく、持って生まれた素質の部分が大きいのではないかとも思っています。そう考えると親は過度に追い詰められませんから、子どもの個性を伸ばすときには、必要な考え方ではないかとも思います。

息子は他者への競争心がほとんどなく、興味の対象が自分自身に向かっている人だと感じています。組織をまとめることよりは、テクニカルな面を掘り下げて理解したことを他の人に共有するのが得意なようにも思います。そんな力を活かしていけたら良いのかなと見守っています。今まで、ほんとうに友人関係には恵まれてきているので、これからもずっと友だちを大切に生きていって欲しいと思います。

【インタビュー後記 ~酒井の思い~】

Mさんからお聞きした息子さんの最初の印象は、さまざまな大胆な行動をしながらも友だちに恵まれてのびのびと育つ姿でした。けれども、中学生時代の転機となった事柄や、何かあると海に行く様子などをお聞きすると、お母様には見せないご本人なりの葛藤があり、成長の過程であちこち大きくぶつかりながら、ご自分の性質を知り、自らの操縦方法を編み出そうとしてこられているようにも感じました。

また、Mさんがお子さんと一定の距離感を持って子育てをされていることも印象的でした。「大変だった」とおっしゃりながらも、「息子とはいえひとりの人間」という冷静な目を維持し、何か問題があれば全身全霊で守るというどこか経営者が部下を育てるような意識を感じました。

優秀な大学に入学されたことも本人の運と力、それよりもこれからどのように生きていくかだとおっしゃるMさん。きっと息子さんが選んだ道をたとえどんな道でも応援して見守って行かれるのだと思いました。(酒井由紀子)

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