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【才能はみだしっ子を育てる ④】 「何度でもやり直せる」ということを子どもに伝えたいけれど…

インタビュー第4回は、才能はみだしっ子が大人になったときの姿を、探ってみました。28才の長女、14才の次女の才能はみだしっ子たちの子育てについて、Aさんにお話を伺いました。

言語発達は早かったけれど、お友だちとのコミュニケーションが難しくなっていった幼稚園時代

長女は、言葉を発し始めるのが早く、生後8カ月ごろから単語を、1才で二語文を話すようになりました。ほしい食べ物などをすらすらと伝えてくるので、言語発達の早い子どもだなとは感じていました。それでも、特に他の子どもと違いがあるとはあまり意識はしていませんでした。

ただ、2才になったころから、地元の児童館に連れて行くようにしましたが、他のお友だちがみんなでお絵かきをしたりゲームをしたりして遊んでいる中に入っていくことができず、別のところで一人で遊んでいることばかりでした。

長女の3才下に長男が生まれたこともあり、長女は児童館で他のお友だちと遊んでくれたらいいのにと思っていましたが、結局2人の面倒を同時に見なくてはならず、とても大変でした。

その後、幼稚園はモンテッソーリ教育の幼稚園に通わせることにしました。ひとりひとりの個性を活かす教育は、娘の性格にも合ったようでした。彼女は手先が器用なこともあり、いろいろな物を作ったりして楽しく過ごしていました。

幼稚園ではよかったのですが、園外でお友だちと一緒に遊ぼうとすると、娘がお友だちを押したりたたいたりというトラブルを起こしてしまい、ママ友と私の関係が難しくなってしまうことがありました。娘は、言われたことをするとか、空気を読むといったことができず、急に怒り出したりすることがあったのです。

娘が怒ってしまうときに「どうして怒ったの?」と聞くと、必ず彼女なりの理由がありました。「相手に決めつけられた」、「最初にみんなで決めていた遊びを急に別の遊びに変えられてしまった」、「自分なりの理由を説明しても相手が聞いてくれなかった」という具合です。私は彼女の気持ちも受け入れてあげたかったので、「そうだったのね。あなたが言うことは正しいよ。でもね、怒ったりたたいたりしてはいけないよ」と話すことが多くありました。

こんな風にお友だちとうまく付き合えないことなどから、発達相談を受けたことがありました。でも、「人の目を見てちゃんと話しているし、コミュニケーション力があるから問題ない」といわれたのでした。

とてもしっかりしている小学生時代。絵を描くことが好きで、研究熱心な姿

小学校入学のころは都心に住んでいたこともあり、周りの雰囲気から娘も私立の小学校を受験しました。合格して電車で通学を始めた時には、とても混雑している池袋駅の乗り換えもひとりで問題なくでき、たまに電車を乗り過ごしてしまったりしても周りの人に聞いたりしながら一人で帰宅できました。彼女は、とてもしっかりした子どもでした。

その後、離婚したことをきっかけに、私の実家がある地方都市に戻り、その地元の小学校に通い始めることになりました。そのころから、学校とあまり合わなくなってしまいました。いやなことがあると上履きのまま帰ってきたり、下級生が言うことを聞かないと言って怒ってどこかへ行ってしまったり、ということがありました。この子はなぜこんな風に行動するのかと、私としてはとても不思議でした。

中学校では不登校。でも、家庭教師との出会いが転機に

長女は中学2年生ぐらいから不登校になりました。友だちとは興味の対象が異なり、打ち解けられなくなっていたようでした。学校には行きたくなくても、外に出るのがいやな訳ではなかったので、電車で好きなアーティストのコンサートにひとりで行くこともありました。家庭教師の良い先生との出会いもありいろいろと話を聞いてもらっていたようです。

高校は中高一貫校でしたのでそのまま進学しました。家庭教師の先生のアドバイスもあり、自分の将来を考えると学校には通った方が良いのだと気づいたようで、通学するようにはなりました。
長女は、絵を描く事が好きで、時間を忘れて没頭していることがよくありました。また、関心のあるテーマを見つけるとそのことに徹底的に興味を持って調べあげるのです。中学生の頃、娘は「日本髪」について興味を持ちました。異なる種類の髪型の絵を描いたり、髪型ごとの歴史的背景や民俗学的な意味合いを調べたりして、スケッチブックまるごと1冊分の研究内容をまとめていました。それは学校の課題とかではなく、自発的に好きでやっていたようです。

私は、彼女には日本の教育が合わず苦しそうだと感じていたので、高校2年生の時に留学をすすめました。そして、彼女はロータリークラブの交換留学生に応募して、タイに10カ月間の留学をする機会を得ました。

タイへの留学、語学力を発揮。研究テーマは「宗教」

タイではロータリークラブの会員のタイ人のご家庭にホームステイをして約3ヶ月おきに家庭を変わるという滞在の仕方をしました。家庭内では英語でコミュニケーションを取り、学校は現地の公立校に通いタイ語で学ぶという形です。長女は言語能力がとても高く、数カ月でタイ語での読み書き、会話もできるようになりました。

主催者から、「留学の目的は外国語を学ぶことではなく、外国で何を学ぶか自らテーマを決めること」と言われたこともあり、彼女は宗教について学びたいと思ったようでした。この背景には、私立小学校のときと中学高校時代でキリスト教の教えを受け、地元では神社の巫女さんのお手伝いをしていた経験もあり、「宗教」というテーマにスイッチが入ったようでした。

当初、10カ月間の留学予定で8月から現地入りしたのですが、翌年の2011年には東日本大震災が起きてしまい、日本の家族のことも心配だからと、少し早めに5月に帰国しました。

留学中に震災が起きたので、タイで交流のあった南米やヨーロッパの学生に呼びかけて、震災の被害者に対する寄付を募り被災地へ送り、寄付してくれた方にはピンバッジを作ってお返しをするという活動をしていました。ロータリークラブからはこの件で表彰をしていただきました。

その後、大学には1年浪人の形をとり、半年間勉強をして大学に進学しました。推薦枠の入試では、外国の宗教と日本の神道について論文を書いていたので、その内容をプレゼンしていました。

勉強ではすぐれていても、日常生活では、波乱万丈な側面が

大学時代にはベトナムの大学に半年間交換留学をしました。ベトナムでは、授業は英語、現地では学生寮でベトナム人の学生と交流があり、非常に難解といわれるベトナム語の読み書き・会話もすぐに習得してしまいました。現在は英語、タイ語、ベトナム語に加えて中国語を勉強中ですが、ベトナム語と比較すると中国語は簡単だと言っているようです。

勉強の面では抜きん出た力を持っていましたが、日常生活では苦手なことがいろいろとありました。入試の書類を書く際、先生から「文字の間違いはあったらいけないよ」と言われたことでとても神経質になってしまい、申込書に書き間違いをしては書き直すということを繰り返していました。送付の締め切り日になって、大量の書き損じをした申込書を前に、「書けないから提出しない」とパニックになっていました。たまたま、私が仕事先から娘がいるところに立ち寄ったらそんな状態で、「修正ペンを使っても大丈夫。そんなに気にしなくても良いよ」となだめて、なんとか提出できました。

ベトナムに留学をした時も出発当日に、パスポートをコンビニでコピーして、そのままコピー機にパスポートを忘れてしまうということがありました。そのために羽田からの飛行機に遅れ、翌日成田から出発したということもありました。携帯電話もよくなくします。彼女の人生は波瀾万丈です。

「親の期待に応えられない自分が苦しい」と言うことが出てきた


大学では人文学部の比較文化を専攻していました。大学を卒業するあたりから長女に「期待をされることが重くて苦しい。自分の好きなように生きたい」と言われるようになりました。

就職は学生時代からアルバイトをしていた日本語学校に、自分で決めてきました。日本語を外国の方達に教えてあげたいという意欲を持って働き始めたのです。

でも、語学の先生としての仕事以外に、空港への送迎など事務的なことまで何もかもしなくてはいけないという職場の環境に、精神的に追い詰められて結局辞めてしまいました。その後はなかなか良い職場に出会うことができず、国際系の仕事場でも上司のパワハラに遭ったそうです。

彼女はひらめきを感じたら、行動力が素晴らしいのです。でも日本国内ではなかなかその力を活かすことは難しそうだなと、私は感じていました。私は日本を離れて海外で働く方が長女には向いているのではないかと感じているのですが彼女にとっては、私がそんな風に思うこと自体が重荷なようです。

親の期待に添いたい気持ちがあるけれども、添いきれない自分が苦しいと言っていたこともありました。私は長女が他のお友だちとは違う個性があると小さいときから分かっていて、言語などの強みを活かして生きていくと良いのではと思いアドバイスをしてきたつもりでした。けれども、彼女にしてみると、それがつらかったのだそうです。今となっては、彼女が持つ生きづらさやトラブルの原因は全て母親である私にある、と思っているようです。

長女は何カ所かで働いた後に精神科を受診し、障害者手帳を取得しました。それは、他の人とは違う自分を理解するために必要な、自分なりの手段だったのかもしれません。現在は、発達障害として障害者認定を受けて、障害者雇用でパートタイムの仕事をしています。

私も彼女の主治医と話をしたことがありますが、彼女には発達障害だけとは言い切れない部分があるとおっしゃっていました。大切に育ててきた娘がこのように生きづらさを抱え、またその原因が私にあると言われてとてもつらいと話すと、「彼女の考え方の特徴として白か黒か考えがちな部分があり、お母さんが悪くないとなれば自分が悪いと自分を責めてしまう傾向がある」ともお聞きしました。それを聞いて、本人が納得できるまでは私のせいということにしておいても良いのかな、と思うことにしました。

長女とは彼女が大学の寮に入った以降は、一緒に暮らしておらず、現在は私自身とは直接の交流が一切ありません。長女は14才年下の妹とは交流があり、妹も姉の家に泊りに行き仲良くしているので下の娘を通して近況を聞いている状況です。

首藤さん 中面

 次女の作品。仮面に直接ペンで着彩。

長女とのつながりを作ってくれている次女にも、才能はみだしっ子の傾向が


長女の14才下の妹は、長女・長男にくらべて学校が大好きです。長男も中学校の時に不登校を経験していたので、この子は「普通の子」だと、最初は思っていました。

とはいえ、感覚過敏はありました。靴下の中に表の刺繍の糸がたまっているような箇所があるとすごく嫌がったり、食感が受け付けない食べ物も多く、粒の入ったミカンジュースがとても嫌いだったりしました。物事の考え方はしっかりしていて、話をしていても社会のことなどもよく理解できていると感じます。主要教科ができなくても、本人には別の才能があると私は思っています。

次女は、中学一年生の夏に、奨学金を得てアメリカに1週間滞在するプログラムに参加しました。そのプログラムではSDGsのテーマの中から1つ選び、選んだテーマとスポーツを結びつけて研究をするという課題がありました。

次女はLGBTQと水泳を結びつけて、ジェンダーレスな水着をデザインすることを考えました。短い期間ではありましたが、現地でLGBTQの方々に取材をしたり、実際に水着をデザインしたりしました。滞在の最後には、シリコンバレーで日本語でのプレゼンテーションもしました。次女は人前で話したり表現をしたりすることがとても得意なのです。

帰国後、そのプロジェクトについて注目され、日本でもプレゼンテーションの機会があり、私も聞くことができましたが、冒頭のアイスブレークで聞く人の心をつかむようなエピソードを紹介したりと、我が子ながらすごいなと思いました。

次女も絵が大好きで、絵を描き始めると没頭します。中学校に入ってからは、課題や宿題があっても絵を描き始めてしまうと他のことが手に付かず、勉強が追いつかないようです。絵を描くことは、高校に上がっても部活などで続けるのではと思っています。

ただ、私が次女にアドバイスしたのは、絵だけで食べていくのは難しいから、情報発信をするためにも語学力を身につけた方が良いよということです。今はまだ語学には強い興味はないみたいですが、いつかはやらなくちゃとは思っている様子です。

2人の娘たちの気質は違っても、伝えたいことは同じ。「道はいくらでもある」

親として娘たちに伝えたいことは、生きていく上で「道はいくらでもある」ということです。仕事にしても、1つのことをこれしかないと思い詰めないでほしいと思いますし、人生はやり直しがいくらでもできることも伝えたいです。

私自身は、3回の離婚を経験し、転職もたくさんしています。専業主婦の時代もありましたが、起業もしています。そんな経験から、道はいくらでもあると思っていますし、何歳でも新しい道は開けるとも思っているのです。


【インタビュー後記】 ~酒井の思い~

Aさんとお嬢さん達との関わりをお聞きして感じたことは、子育てとは本当に難しいということでした。親は自分の経験を子どもに共有して自分よりも先に進んで欲しいと思うことがあります。Aさんは豊富な社会経験を通して、人生はいくらでもやり直しがきく、選択肢も無数にあると気づかれました。自ら気づいた学びを子ども達にアドバイスすることで役立ててほしいと思われたのではないかと思いますし、それは親であればきっと誰もが考えることではないかとも思います。

ただ、才能はみだしっ子である長女の方にとっては、Aさんがもしかしたら軽い気持ちで言ったかもしれないアドバイスの一つ一つがとても大きな意味を持ち、子どもとして親の意見に従わなくてはならないと思い込んでしまったのかもしれないと感じました。繊細で、相手の考えている事を敏感に察知できる才能はみだしっ子ならではの反応かもしれません。

別の才能はみだしっ子の方からこんな話を聞いたことがあります。子ども時代に親が自分の得意分野を活かすように強く勧めてくれたけれども、自分の得意分野=好きな分野ではなかったためにとても辛かった、と。周囲は、得意なこと=好きなことと思ってしまいがちですが、そうではないこともあると学びました。子ども自身が何をしたいかという意思を成長の過程で都度確認することも大切なのだと感じました。子育ては文字通り試行錯誤の連続ということなのだと思います。





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このページは、書籍「才能はみだしっ子の育て方」の出版後、著者・酒井由紀子が直接お話を伺った方々のインタビュー集です。様々な角度から才能はみだしっ子たちの姿を探っていきます。  (シェアは歓迎ですが、記事を許可なく転載もしくはコピーして配布することを禁じます。)