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【才能はみだしっ子を育てる⑧】母自身の「あるべき子育て」像から解き放たれていく、子育ての道

才能はみだしっ子の仲間たち

今回は8歳の息子さんをもつS.T.さんにお話を伺いました。

上の二人のお嬢さんを育てた経験とは、大きくかけ離れた個性豊かな息子さん「Rくん」の子育ては、S.T.さんにとってチャレンジングで困難なものでした。S.T.さんが息子さんにどう接してあげたら良いのだろうと思い悩んでいたところ、知人から「Rくんの特性はギフテッドでは?」と声を掛けてもらい、「才能はみだしっ子の育て方」を紹介されたそうです。そのご縁から、今回のインタビューとなりました。

上のお子さんたちとは違った子育て

Rくんは日本人のS.T.さんと外国籍のお父さんの間に日本で生まれました。当時S.T.さんは45歳でした。上のお嬢さん二人は既に独立しており、子どもが授かるとは思っていなかったそうです。運命のようにRくんがやってきて、十月十日過ぎた予定日に安産で出産をしました。

Rくんのユニークさは生まれたときから始まりました。産声を上げてから泣きやまないことが多く、一晩中泣き通しで翌日は声がかれていたこともありました。小さな音にも過敏に反応し、右の胸で授乳していて、左に変えようとしたらそのタイミングが気に入らなくて、怒って手がつけられないほど泣いたこともあったそうです。夜は一人では寝てくれず、立って抱っこをしないとぐずり続けていました。生後1年2ヶ月で断乳するまで眠らない子どもでした。とにかくRくんに手が掛かったことから、S.T.さんはRくんのお父さんへ細やかな対応ができなくなり、夫婦仲が徐々にぎこちなくなってしまいました。

当時、S.T.さんは会社を経営してフルタイムで働いており、Rくんを生まれてすぐから小学校にあがるまで保育所に預けていました。Rくんは保育所へ行くと別れる際にひどく泣き、保育中も他のお友達とは違うことをしていたり、先生やお友達と意志の疎通ができないと廊下で寝転んで一人バタバタしながら泣いていたりしていました。先生方もRくんにどう対処してよいか分からず困り、放置するしかないようでした。

Rくんは子どもっぽいことが嫌いで、みんなと飛んだりはねたり、お遊戯したりといったことがとても嫌いで、5歳のお遊戯会の時にはヒヨコの衣装が赤ちゃんみたいだと着たがりませんでした。保育所にいた3歳頃から今に至るまで人前で着替えることが恥ずかしく、自宅でもお母さん以外の前では裸になれず、今在籍している学校では特別に着替えるカーテンを用意してもらうほどでした。

自分の育て方が悪いと思ってしまっていた日々

保育所の先生方もRくんのことをなんとかケアしてあげようと思って下さったのですが、集団に引き込もうとすると強く嫌がることから先生がとても悩まれ、その先生の悩みや不安がS.T.さんにうつりS.T.さん自身もRくんの様子に不安を強く感じるようになっていきました。

そして、S.T.さんはRくんが5歳くらいの頃に「この子がわがままなのだ。直してあげなくてはいけない」と思うようになりました。そう思ったきっかけはRくんが厳格な態度で接するお父さんの言うことは素直にきいていたからで、自分に対してだけわがままに振る舞っていると考えたからでした。

Rくんの父親にも「貴女の前でだけわがままに振る舞っているのだから、貴女自身の問題だろう」と言われたそうです。その後保育所へ行くことを嫌がるRくんとS.T.さんは毎日言い合いをするようになり、Rくんは「ママ、僕のこと好き?」と1日に何度も聞くようにもなりました。しばらくするとRくんはS.T.さんの話に耳を貸そうとしなくなり、何かを真面目に諭そうとするとRくんは「あぁ。長い。うるさい。いつ終わるの」と言ったり、時には物を投げたり、叱ると激しく泣いたりしました。

小学校に入学するまで

やがてS.T.さんは少しRくんには発達障害的な特性があり、さらに自分との関係が原因で「嫌なことは嫌」と主張しているのではないかと思い始めました。

Rくんは保育所では一人を好むことが多かったけれども、お友だちを差別したりはせず親同士が仲の良い友だちとは普通に付き合っていました。ただRくんは大勢の子どもが怖かったようで、急に何かをされたり、大きな声を出されたりするのが嫌で、それは保育所を出るまで続きました。反面、Rくんは身体に障害がある子どもや小さな子の手を優しく引いていつも一緒に過ごしていたそうで、そうした子どもたちにはとても慕われていました。

S.T.さんとRくんは保育所時代に月に一回、市のカウンセリング施設に通いました。先生のうちの一人がRくんの好きな神社仏閣についてよく話を聞いて下さり、Rくんの性質を理解した上で「現在通っている保育所ではRくんには合わないかも知れない。小学校はRくんの個性を活かせるグローバルなインターナショナルスクールのようなところが良いのでは」とアドバイスを下さいました。その先生はRくんと常に対等な立ち位置で話をしてくれたので、Rくんも心を開いて信頼していたそうです。

S.T.さんはRくんが小学校に入る前にRくんのお父さんと離婚しました。その時は、とても繊細な心の持ち主であるRくんに関する全てを、この先は自分一人で決めていかなくてはならないことを、つらく大変なことだと思われたそうです。

カウンセリングの先生から頂いたアドバイスやRくん自身の性格から、将来海外と関わる方向へ進んだ方がよいのではないかとS.T.さんは思い、公立の学校ではなく私立の小・中・高等学校一貫校をRくんのために選びました。授業の50%を英語で受けられる学校でした。

小学校での様子

通い始めた小学校は事前にRくん自身も体験に行っており「ここに行きたい」と本人が言って入ったので、入学後はしばらく嫌がらずに通っていましたし、宿題も最初の1年間は、時間はかかるけれども一生懸命やっていました。ただ、クラスメートと同じような行動はできないようでした。

2年生の後半に、学校のカウンセリングの先生からRくんはディスレクシア(書字障害)の可能性があるからテストを受けてはどうかと言われました。
同時に習い終えたことを何度も反復する宿題への抵抗はどんどん強く拒否するようになりました。

R君の小学校1~2年生のころの様子を挙げてみましょう。

1年生の時
嫌なこと、興味のない事はしない。立ち歩く。身の回りを散らかす。気をひこうとして同級生にしつこくちょっかいをする。思い通りにしようとして注意されるとわーっとなる。移動の時に整列しない。授業中に問いには答えるが書く活動をしない。ペアワークを嫌がる。動画は集中してみる。

2年生の時
1年生の時のような頻繁な立ち歩きはない。担任の見ていないところで同級生とトラブルがある。消しゴムを隠す。トイレのスリッパを全部隠す。一対一だと勉強する。支援の先生がそばにいないと書こうとしない。興味のある活動はする。英語は書くのがとても苦痛な様子。語る時は立派な内容が語れるが、書こうとしない。単語のスペルの間違いをすごく気にする。英語は読むのは苦手、聞いて話すのは得意。英語の文章を写すことはできるが、自分で文章を書く事はできない。日本語は読むことはできる。おしゃべりはとても達者。クラスの話し合いなどは積極的に参加する。

学校の先生の所見では、耳から聞いていることは殆ど習得できている様子だけれども読み書きに困難が見受けられるとのことでした。さらに本人になぜ学校に行きたくないのかを聞いたところ「先生や友だちは好き。学校も嫌いじゃない。授業が退屈でつまらないのでじっと座って待つことに耐えられない。なぜ一度習った足し算が何回もテストに出るの? 漢字の書き順は必要? 興味があることに時間を使いたい。友だちは僕が話すと知らん顔するから悲しい。(会話がかみ合わない)」と答えたそうです。また、信頼できる人にだけ心を開いている様子とのことでした。

学校のカウンセリングの先生からは、「Rくんは人懐こく、いろいろなことがよく分かっている。大人が話を分かって聞いてあげると楽しいと思うが、おそらく同級生とは話が合わないのではないか。愛着障害の傾向もやや見受けられる」とのことでした。

少しずつ変化し始めた視点

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Rくんは3年生になってからは不登校気味で、自宅では世界の文明、歴史、神道、宇宙の謎などについてのYouTubeを観たり、LEGOで遊んだりして過ごしているようです。

2年生の終わり頃にS.T.さんは、Rくんの祖父(S.T.さんの父)のRくんへの高圧的な態度に対して強い抵抗を感じている自分に気がつきました。自分が子どもの頃にされたことを思い出し父にたいして強く不快に感じるようになりました。

そして、同じ頃に学校で算数検定があり、他のお友だちが解けないような難解な問題をRくんがスラっと解いたのを見て、「あれ?もしかしたらこの子は頭が良い子なのでは」と思い、1年生の終わりに受けたWISC検査の結果からギフテッドではないかと言われていたことをS.T.さんは思い出しました。

Rくんの行動を、わがままで意思が強いと捉えていたS.T.さんのRくんに対する評価が変化し始めました。実はこの子は頭が良く、繊細で大人びた感情を持ち合わせた子どもで、S.T.さんの「こうあらねば」という枠にはめた育て方がRくんの性質を複雑にしてしまったのではないか。今通っているような通り一遍の学校ではRくんに合う教育は得られないのではないかと考えが変わり始めました。

親子で始めた環境を変える試み

S.T.さん自身は、大人になっても親の意見に従うように教育をされてきて「やらねばならないことをクリアしてこそ周囲に認められる」と考えていました。そのため、Rくんに対しても学校の課題をこなすなどの大前提を求めていました。

けれども、Rくんは成績はふるわなくても、一回言えば大抵のことを理解する力をもっていることにS.T.さんは気づき、一般的な評価枠にRくんを当てはめている自分に対して「何か違うかも」と思うようになり始めたのです。

S.Tさんはある時、Rくんと一緒に環境を変える事を試してみました。自然の中にある不登校の子ども向けプログラムに10日間滞在する体験をしたのです。それは大自然の中で子どもたち一人一人が、魂のありのままに生きるような環境でRくんはたちまち順応していきました。「生まれて初めて自分を認めてもらえた、自分の生き方が正しいと考える人や仲間を見つけられた」と言って、帰路に着くときには別れがつらくて泣いたそうです。

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S.T.さんは、Rくんに合う環境を見つけられたことはとても嬉しかったのですが、反面、人は物質社会に生きており、このように時間も行動に決まりなく自由な環境で過ごすことが果たしてRくんのためになるのだろうか。もっと今ある知識欲を伸ばしてあげなくてはいけないのではないかと考えると、迷って苦しくなることもありました。

異なる年齢の存在が共存しているかのよう

Rくんは家ではS.T.さんと怒鳴り合ったり、言い合ったりすることが多くて言うことが聞けないのでとても心配していましたが、実は外に出るととても礼儀正しい子どもでした。

電車の中や泊りにいったお友だちの家などでは、その場でのルールはきちんとこなします。自分が知っている人(テレビに出ている人や偉人なども)にはかならず「さん」をつけて呼びリスペクトを示します。人に対して失礼なことは言わず、周囲の友だちに見下されるようなことがあっても「人には良いところがあれば悪いところもあるから」と相手を許します。そんなRくんがS.T.さんの目には、ある意味魂のレベルが高いように感じられ、あたかも異なる年齢の存在が一人の子どもの中に共存しているような状態だと思うこともあるそうです。

親子で言い合ったとしてもしばらくして必ず「ママ、ごめんね。僕は自分の事がコントロールできないんだ。嫌な思いをさせてごめんね。生まれてきてごめんね」と言うそうです。そんな言葉を聞くとS.T.さんは自分が全て悪いと感じてしまい反省するばかりでした。

Rくんは学校では周囲に必要とされていない感じがして孤独を感じると言います。けれども学校に行くのは義務だから行かねばならないとなんとか行こうとしているのだそうです。そんなRくんをみて「あなたはあなたのままで大丈夫。選択肢は他にも沢山あると思う」と最近S.T.さんは言えるようになってきました。

親子で探し求める道

小学校3年生になって学校に行けなくなってからのRくんは、気持ちにゆとりができたのか、以前にも増して大人同士のような心が触れ合う会話ができるようになってきました。S.T.さんは小さい時からのRくんの純粋なこころや考え方に触れて、彼が自分のところに生まれてきてくれたことがとても幸運なことと感じるようになりました。

ある日、Rくんは「ママ、僕は生まれる前にとても高い、あたり一面真っ白いところにいたんだよ。そこから僕はママを見つけて、ママはとても美しくて心が綺麗だったからあの人のところに行こうって思ったんだ。ママの右と左に綺麗な女性がいたから、あれはお姉ちゃんたちだったんだね」と話してくれました。RくんがS.T.さん自身を変えるために自分のところに下りてきて、みずからの行動により様々な事柄に気づかせてくれていると、S.T.さんは最近感じています。

学校に行きしぶる毎日を親子で戦っていた生活から離れ、Rくんは落ち着いた時間を取り戻せたのか「山には愛がある、だから疲れたら山の中に行きたくなるんだ」と言います。そんな心の中の言葉を聞けるようになって良かったとS.T.さんは思っています。

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Rくんの言葉を聞いてS.T.さんは、今まで自分は何もしないことは悪いこと、望まないことでも頑張ってすることが生きる価値と思っていたけれど、生きていく上で大切なことはそこではないと思いました。生まれて初めて仕事を少し休んでRくんと心の声に従って動いてみたいと、今は考え始めています。自分の父親との関係やRくんとの軋轢で悩んでばかりだった生活に光が見えてきたと、S.T.さんは語ります。

これまでS.T.さんは、今までは厳しい親にされて嫌だった高圧的な態度を、無意識的にRくんにもしてしまっていました。それが、Rくんはある意味自分が子どもの頃にこうしたかった(親のいいなりではなく、自分の意思表示をする)というお手本を見せてくれているように最近感じ、彼と共にいることで自分を理解し、変わることが出来るのではないかと思い始めています。

S.T.さんが今一番不安に思うことは、自分一人ではRくんに合う学びの環境をナビゲートできないのではないかということです。彼の感性や知識欲を伸ばしてあげたいけれど、やり方や受け入れてくれる場所がわからない。のびのび自由にといっても放置して良いわけでもない、無理に押しつけるのも違う。Rくんは興味のない事、納得できなことはがんとしてやらない、でも時には力任せにやらせることも必要なのではないか。自由にさせることで自堕落な子どもにしてしまったらどうしよう、でも学校に行っているがために自堕落な態度になってしまっていることもあると悩みます。

シングルマザーとして全てのことを決めて用意してあげることが責務であると、どこかで思っている自分がいるとS.T.さんは言います。試行錯誤ではありますが、これからはRくんの声をきき対話を重ねて、彼にとって良いと思われる環境を周りの方に助けてもらいながら一つ一つ試していこうと思うと最後にS.T.さんはおっしゃっていました。

Rくんが小さい頃から、この子は何かを見つけたら早くに自立して親元から離れていくのでは、と感じてきたというS.T.さん。彼女はその時が来るまでにたくさんの魅力ある人と触れ合い、感動するチャンスをRくんに与えてあげたいと今感じています。

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インタビュー後記~酒井の思い~


S.T.さんとお話をしていて感じたのは、Rくんの成長と共に現在S.T.さん自身も大きな変化の時を迎えているということでした。

S.T.さんは、厳しいお父様に育てられ、口答えをせずに社会の中で成果を出すことを目指して生きてきました。それはどこか自分の意思を抑えて親に従うという行為であり、実はご自身の中に葛藤を抱えて生きていたのだと思います。そんな彼女にRくんは自分の気持ちや感覚に素直に生きることの大切さを改めて考える機会を与えているように感じました。

S.T.さんは、Rくんのとても純粋で清らかな心や、好きなことに一生懸命に向き合う性質に気づいています。そして「何が自分に合うのか」が感覚で分かっているRくんに寄り添いながら彼にとって必要な環境を用意してあげたいと思っています。成長と共に異なる環境が必要となってくることもあり、試行錯誤は続くかもしれませんが、二人で向き合いその時のベストを選びながら進んで行かれればと思います。

最後に、息子さんがギフテッドであるかどうかについて、S.T.さんは私に尋ねました。私は、ギフテッドの特性とあてはまる点が多くみられるように感じると答えました。認定などはないけれど、ギフテッドの子どもにあったケアやサポートの方法を更に専門書などから学び、Rくんに対して接してあげてほしいとお伝えしました。得意の周囲にある苦手を克服する必要はあるかもしれないけれど、できないことの克服だけに集中しない方が感性豊かなRくんにとってより充実した人生になるのではないかと私は感じています。(酒井由紀子)

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才能はみだしっ子の仲間たち
このページは、書籍「才能はみだしっ子の育て方」の出版後、著者・酒井由紀子が直接お話を伺った方々のインタビュー集です。様々な角度から才能はみだしっ子たちの姿を探っていきます。  (シェアは歓迎ですが、記事を許可なく転載もしくはコピーして配布することを禁じます。)