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「才能はみだしっ子の育て方」を書いたきっかけ、の話

本を出版してから、多くの方に感想を伺う機会をいただいています。そのときに、なぜ私が「才能はみだしっ子の育て方」を書いたのか、と問われることがとても多くあります。本の「はじめに」にも書いた、幼なじみのことだけが理由とは思えないほどの熱を感じる、とも言われることもあります。


確かに、初めのきっかけは幼なじみでした。彼女の学校や社会での生きづらさを、近くから遠くから、ずっと見守ってきたからです。それと同時に、彼女に対して私は多くの共感を持って接していたことも事実でした。

あらためて、なぜ私が才能はみだしっ子についての本を出版することになったのか、書き記しておきたいと思います。

母の話の中には、発達に凸凹がある子どもたちがよく登場していた

私の母は元幼稚園教諭で、後に児童心理学を学び、保健所で児童心理相談員をしていました。母が専門にしていたのは自閉症(現在の名称は「自閉スペクトラム症」ですが、以下自閉症と表記します)でした。私が幼いころから、母は自閉症の子どもたちと保護者の方々と触れ合いカウンセリングを行っていました。

そんな母から、よく聞かされていたのは、「自閉症の子どもたちは、学校の勉強の範囲ではないかもしれないけれど、それぞれ好きな分野に対して素晴らしい興味と関心を持っている事が多く、その才能を開花させてあげられたら良いのに」という話でした。私が子どもの頃から、今で言う発達障害の子ども達の話題に触れることが日常的でした。私にとって発達の凸凹がある子どもが存在するということは、ある意味あたりまえのことだったのです。

そんな私が幼なじみをきっかけに才能はみだしっ子について調べ始めると、どうも海外でギフテッドといわれる子どもたちは「特定の分野において突出した能力のある才能児」「子どもなのに大人のように何でもできてしまう子ども」だけではないのだと、徐々に分かり始めました。調べ始めるまで私は、才能はみだしっ子は突出した能力を持つ子どもであり、日本の学齢制でしばる教育ではその能力を伸ばしきれないために不幸になってしまっているのだと、仮説を立てていました。やる気を伸ばせないことだけが問題だと思っていたのです。

それが調査を進めると、実はとても敏感で傷つきやすく、苦手なことを併せ持つ多面的な性質のある子どもたちであることが分かり始めました。他の子どもと違うためにいじめに遭ったり、環境に合わないがために不登校になったりする子どもも多いと知りました。

調べるうちに、才能はみだしっ子は「自分自身のことかもしれない」と気づいた

才能はみだしっ子たちの苦手な性質の事例を調べれば調べるほど、私自身の子ども時代の記憶がよみがえってくることに気づきました。最初は新しいことを知りたいという好奇心と、学びの欲求を抑え込まれている子どもを救いたいという正義感から調べ始めたのに、事例が自分の過去の記憶に刺さってきたのです。

小学校から大学まで学校生活がとてもつまらなかったこと。
友だちから嫌われないように話が合わない事を隠して機嫌が良さそうなふりをして過ごしていたこと。
学校での一つ一つの学習の「学びの意義」が理解できず、 なぜこんなことをしなくてはいけないのだろうと教室の窓から空ばかりを見ていたこと。
帰宅すると眠くて仕方がなくて、猫と一緒に寝てばかりいたこと。
人がたくさんいる場所に行くと、ひどい頭痛とめまいがして怖かったこと。
窓が開かず空気が悪い乗り物に乗ると、酸欠になるのではないかとパニックになったこと。
どうなるのか知りたいと思うと自分を止められず、小学校で非常ボタンを押して消防車や救急車が来たことをぼんやり見ていたことなど。
些細なことかもしれませんが、子ども時代が鮮明によみがえりました。

時々、どうしても学校に行きたくなくなることがあり、はっきりした理由もないのに学校を1週間単位で休むこともありました。そんな私を母は「行きたくないこともあるから家にいたら」と受け容れてくれました。もし、「休んじゃダメ」と言われていたら、私はきっとどうにも学校が苦しくなり、もっと行けなくなっていたのではないかと思います。

才能はみだしっ子を調べる過程で「これは人の事ではなくて自分の事でもあるのかもしれない」と思い始めたのです。

高校時代に向かえた「学びの転機」が、今の私を形成する

私の父は海外転勤の多い銀行で働いていたので、私は米国で生まれました。とはいえ、生後2ヶ月で帰国して、その後は日本で育ったので、米国生まれなのに英語が話せないことにコンプレックスを抱いていました。英語を話す機会もなく、テストの点数で実力を測る日本の英語教育にもなじめずにいました。そんな高校一年生のときに父の香港転勤が決まり、私は香港で英語を勉強したいと親に頼み、現地の学校で学ぶチャンスを得ることになります。それまで日本にいたときは、どうしても勉強の意義が納得できなくて全ての科目で成績は低迷していましたが、香港に行き「英語で学ぶ」という経験が、大きな転機となり英語で考える力が身につきました。問いを立てて、その解を求めるという現地の教育の内容が自分に合っていたのかもしれません。

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その後、英語という道具を身につけた私は、不器用ながらもその道具を使って今まで生きてくることができました。独立して10年近く仕事をし続けられたのも、私に何かの力があったのだと思います。才能はみだしっ子がもつ、ものすごく突出した能力は私の場合は「少しだけ人とは違った能力」ということなのかもしれませんが、自分の中の凸凹を知ることになりました。特に凹の部分については共感することが多く、幼なじみに対して感じていた「共感」も、ここに由来していたのだと気づきました。

私の学校生活はとてもギクシャクした我慢の時間でした。学ぶ意義が理解できていて、敏感な部分についてもっと自分で理由が分かっていたら、違う道を歩んできたかもしれません。学校の先生や親にも理解をしてもらっていたら、もっと自己肯定感の高い人間に育っていたかもしれません。けれどもそのような道を通ってきた私だから、凸凹をもつ子どもの心を理解できて、支援することができるのだと、今は思うのです。

私は、日本でまだほとんど認知されていない才能はみだしっ子たちが、感受性豊かな子ども時代に好奇心を満たし、前向きな試行錯誤をしながら育っていってほしいと、心から願っています。それは私自身が子ども時代の私にそんな時間を過ごして欲しかったと感じているからなのかもしれません。




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