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噺家、三遊亭音波の死

広間中央にいる稀代の噺家、三遊亭音波は4日に渡り眠り続け、いよいよ死を迎えようとしていた。
そして彼らは眠る三遊亭音波を囲んでいた。
一番弟子の三遊亭正弦波は師匠のその傍でじっと顔を見つめている。
三遊亭矩形波は大きな口を一文字に引き結び、しわ深い顔を歪ませる上方噺家の大御所である桂ペンタトニックとその後ろに付き従う桂三度・桂四度はギュッとその拳を握り締めていた。
古今亭ディミニッシュは目を伏せ、立川ミクソディリアンと林家ドミナントはちらりと目を合わせた。
その誰もが三遊亭音波の死を悼み……「音波」の名を次に得る、音の頂点に立つ者が誰なのかを知ろうとしていた。

その殺気にも似た静寂を破ったのはドタンバタンという大きな音だった。「師匠!!」
広間の扉を蹴破る勢いで一人の少年が転がり込んできた。
広間を駆けるその後を慌てて旧式の三味線型ボットが追う。
「ダメだヨ笑声!!」
「うるせぇ!師匠!何でこんななってんだよ!!」
三遊亭正弦波が立ち上がろうとした刹那、音波がその瞼を薄く開いた。
「泣いてる暇があンなら噺覚えろ…」
皆がその声に驚いた。すでに死の床に伏した老人が目を開いたのだ。
「覚えたよ!!」
笑声と呼ばれた少年が叫ぶ。
「じゃァやってみろ…」
音波が言うと、少年はその場に正座した。
「…かくばかり偽りばかり多き世の中に、子の可愛さは真なりけりと申します…」
噺を始めた少年に矩形波は眉をひそめた。『寿限無』は初歩の初歩、前座噺だ。何よりこの噺には魔力がない。何も魔力の動きを感じないのに、何故か目が離せない。
「…タンコブが引っ込んじまったよ」
噺が終わると音波はクツクツと笑いながら言った。
「5点だな、節回しは悪ィし滑舌も悪ィし…でも落語に大事なモン全部持ってやがる」
正弦波が師匠の言葉の真意を計りあぐねた瞬間。
「三遊亭笑声、改め90代三遊亭音波。ここに襲名とする」
広間に爆風のような魔力が吹き荒れ、『襲名』された。

(続く)

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