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モデルと広報、結局どっちになりたいの?5年後、私が出した答え

「さいまりはさ、モデルと広報、結局どっちになりたいの?」

5年前、当時勤めていた会社の社長から評価面談の時に聞かれた。

重ねて問われる。

「5年後、10年後どうなっていたい?」

……そんなこと、考えたこともなかった。

当時27歳の私は、モデル事務所に所属しながら、ゲームベンチャーのバックオフィスとして働いていた。

当時はまだめずらしかった「副業」する会社員。
その多くは会社員業をメインに、得意分野を活かして副収入を得るタイプ

私はモデル業をメインに、副業として会社員を選択したさらに稀なタイプだった。

職業、モデルです。

その2年前、私は25歳(ギリギリ)で突然思い立ってモデルオーディションを受けた。某ファッションECの専属モデルオーディションだった。

昔からの夢、というわけでもない。
毎日やりたいこともなく働いて、恋愛のことしか考えていなかった自分が心底嫌になったのだ。

募集要項を見たら年齢的に最後のチャンスだったのでエントリー。結果は不合格だったが、審査員だったモデル事務所のマネージャーから、後日運営経由でスカウトを受けた。

……普通に「詐欺かな?」と思った。

後日オフィスを訪れ、開口一番尋ねた。

「私には、夢のために投資できる時間もお金もありません。経験のない私に、職業としてのモデルは可能でしょうか?」

夢をエサに、登録料やレッスン料を搾取する事務所もどきはたくさんある。そ、そのつもりなら無駄だからな!という自分なりの牽制だった。

結果、ちゃんとした事務所だったので、私の方が偉そうで失礼なヤバい奴になってしまった。(本当にすみませんでした)

かくして私は職業「モデル」を名乗ることになった。

収入0円でも、モデル?

オーディションで大きな仕事が決まることはほとんどなくて、レギュラーの現場一つひとつを大切にこなしていた。

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▲大変お世話になったECサイトのお仕事。200カットとか撮っていた。

ぶっちゃけ全然仕事がなくて「モデルです」と名乗ることが恥ずかしい……と思っていたこともある。

節約家ゆえ生活に困窮することはなかったけれど、月によって収入が異なる上に、支払いは基本2ヶ月後(※)なので、年金支払いや奨学金の返済が滞ってしまうのには困った。

※代理店やキャスティング会社等から事務所に支払いがあった、さらに翌月の支払いなるので、モデルは生活設計が結構難しい。

しかしこの職業、アルバイトをするのも容易ではない。基本的に、スケジュールをまるっと事務所にお預けするので、予定が立てられないのだ。

暇なのに、働けない。奇跡的に声をかけていただいた編集のバイトがなければ、収入が2ヶ月0円なんてこともあった。

生活も友だちも、全てを賭けられるか

オーディションや現場の多くは、前日まで合否の連絡がない

クライアントやスタジオ、カメラマンに商品の物流などの関係各所のスケジュールが確定してようやく本番日が決まるので、不合格通知は最後の最後なのだ。これはもう仕方ない。

さらに「XX月XX日〜XX日のいずれか1日」とカレンダーを帯で抑えておかねばならないことがほとんど。

逆に「明日決まったよ!やったね!」なんていうチャンスもあったりするので、融通のきくバイト探しにはみんな苦労していた。

アルバイトどころか、誇張なしで「親の死に目にも会えない」可能性すらあった。莫大な損害が発生するので、決まった現場には穴を開けられない。大雪でバスが止まっても、歩いて駅まで向かった。

友だちの結婚式を前日キャンセルしたこともあった。最低である。泣いて電報を打った。(可能性は事前に伝えていたけど、失礼すぎるので以降結婚式は欠席するようになった)。

9割決まらない仕事のために、何もかもを賭けられるか?考えるようになり、

奨学金の本気の督促状(もう待てません、一括返済してねのやつ。震えた)を受け取った時、「人として、、これはあかん」となった。

安定した基盤と、やりたいこと

そんな時「会社員」として働かないかと声をかけてくれたのが前述の会社だ。

アットホームを絵に描いたゲームの開発会社で、私は雑務全般(採用/広報/総務なんでも)をやる人として採用された。

(このタイミングで、ある程度スケジュールの融通をきかせてくれる事務所に移籍した。懐の深い、ステキな事務所だった。)

26歳にして初めて手にした“自分の名前の入った保険証”は輝いて見えた。(実は学生でもあったので親の保険証だった。そのくらい、ずっと年間収入が低かった)

試用期間後、問題がなければ正社員登用もしてくれることになっていたので、私は休学していた大学を辞めた

やりたいことをやりながら、生活も安定させられる。こんな素晴らしいことはない。なんてありがたいんだ!という気持ちで、日々目の前の仕事に向き合って働いていたので、

5年後、10年後なんて考えたことがなかった。(ようやく戻ってきた)

収入が多いほうが、本業?

モデルと広報どっちになりたいの?という質問は、つまるところ

今後どちらを本業としてキャリア形成していくのか?という問いである。

何の経験も資格もない、イチアルバイトである私個人の成長と、会社の成長を結びつけて考えてくれる素晴らしい社長だった。大好きな会社だった。

改めて考えてみると、収入も、働いている時間も明らかに「会社員」である自分の方が多い。(フルタイムだった)

モデルを本業とするかどうかは、もはや自称するかしないかに委ねられていたのだ。

モデルを続けるため、生活のために始めた会社員だったけれど、気づけば2年働く中でやりがいや目標を見つけ、

プレスリリースから求人票作成、採用サイト立ち上げ、全社集会の幹事も担っていた。表彰されたりもした(ベンチャーっぽい)。

どちらが本業かなんて、選べなくなっていたのだ。

「複業」という選択

「先のことは分からないけれど、今私はどちらかを本業とするつもりはありません。双方にシナジー生めるようがんばります!」的なことを答えた気がする。2年の人事・広報経験で、即座にそれっぽいことが言えるようになっていた自分に驚く。

言葉遊びに近いけれど、「副業」ではなく「複業」を宣言した。

モデルの自分、広報の自分、どちらも自分自身を構成する要素として、不可欠なものになっていたから。

その結果、私はアルバイトのままということになった。理由は明白で、「フルコミットしているメンバーとの区別」だった。

社内には正社員を目指して、全てを賭して働いているメンバーがたくさんいた。そんな中、見る人によっては「腰掛け」の私が正社員登用されては示しがつかない。

その理由に私は納得したし、その上で他に居場所を探すことにした。(この時どうしても正規雇用になる必要があったのだけど、それは別の話)

全てを賭けなければ、何も得られない?

アスリートが青春を犠牲にするように、

何者かになりたい若者が心身の健康を害するように、

皆、何かを犠牲に得た成功を美談にするし、持てる全てを賭けなければ何も得られないかのように言う。

要領よく、そこそこで、どっちも!というのを人は嫌う。保険をかけている者に成功は許されないのだと。

たった1つ、全てを賭けたいことがあるように、譲れないことがいくつあっても良いじゃないかと私は思う。

「仕事と私、どっちが大切なの?」

そんなのどっちも大事だ。異なる事柄を比較することがおかしい。

このケースがうまくいかないのは、どちらかを犠牲にすることが前提だからだと思う。

綺麗事なんかではなく、仕事と私どちらかを選べなんて言っていないのだ(話が逸れてきた)。

デート中にスマホ触んなとか、接待の2日酔いでドタキャンすんなとかそういう話なのだ。(?)

要はコミュニケーションを怠らず、抑えるところを抑えようということ。(伝われ)

キャリアは積み上げ式?掛け算式?

話を戻して5年後の今、私は少し形を変えつつも、モデルも会社員もどちらも続けている。(さらに、母親にもなっていた…)

大きなリターンのためには、全てを賭けなければならない時があるのも真実だと思う。

でも私は「超売れっ子モデル」になりたかったわけでも、「業界No.1広報」になりたかったわけでもない。

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自分らしく、生きたかった。

これは、果たして中途半端なのだろうか?

「自分らしさ」なんて何か分からない。ただ、やりたいと思ったことには挑戦したいし、できるなら諦めない方法を探したい。

もちろん、一つのことを積み上げてやり遂げる人もカッコイイ。それはその人のキャリアの形。

私は、「私」の上に「私」というキャリアが積み上がって構成されている。

ブログを書くのが好きな女子高生だった私
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編集アシスタントだった私
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ビールを飲み過ぎていた私
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プロモデルだった私
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採用人事だった私
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広報だった私
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夫が大好きな私
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フリーモデルになった私
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ランサーズの採用広報だった私
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母親になった私

ワークもライフも関係ない。これが私のキャリアのカタチ。人生のカタチ。

「週末モデル」広報へ

この夏、モデルと会社員を続けてきた私は、「週末モデル」を運営する会社の広報になった。

「週末モデル」は会社員、 看護師、 主婦などの職を持ちながら、 モデル活動をはじめとした複業に取り組みたい女性と企業をマッチングするサービスだ。

え??私では??週末モデル=私では???

自分が意図せず何年も続けてきた働く形が、サービスになっている。見つけた時は衝撃だったけど、まさか自分がそこで働くことになるなんてさらに想定外だ。

こんな形で2つのキャリアが一緒になるなんて、「どっちになりたいの?」と聞かれた5年前は、想像もできなかった。

これはどう考えても、「私にしかできない仕事」だった。
中途半端に思われた7〜8年間は、このための日々だったのかー!感(鳥肌)。

自分らしく働くことは、自分らしく生きること

「モデルと広報のどちらになりたいか答えられなかった私」は、
5年後「週末モデル」の広報になりました。

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0か100か、どちらかを選ばなくても良い。

20:80、50:50、30:40:30だって良い。


その割合が、途中で変わったって良いし、きっちり分けなくても良い。

もっと自由に働く選択肢を作ることが、自分らしく生きることにつながると信じて。

そんな一歩を踏み出すサービスを作る会社へ入社しました

ということでモノクロムは、”私らしく働く自由”をつくるメンバーを募集しています!!


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