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映画史を語る上で60年代とは最も重要な年代の1つと言って間違いないだろうと思われます。それは混沌の時代であり、変革の時代であり、そして復活の時代でもありました。
特にハリウッドという界隈に限って考えてみると『クレオパトラ』(1963)の記録的な大失敗に見られるように従来のスタジオ・システムが破綻していることが目に見えた、「終わりの時代」であると共に屡々”Hollywood Renaissance" とも呼ばれる「再興の時代」でもあったのでした。

そんな時代を象徴する映画として今回は『イージー・ライダー』(1969)に着目し、最もこの映画は既に充分に魅力が語り尽くされた映画ではありますから、如何に激動の時代のクロス・ポイントとして様々な映画の影響が集約されているのか、或いは60年代という時代が如何にして総括されているのか、という映画史的な観点からこの映画を観察していきたいと思います。
具体的には本作を60年代に起こった特に大きな3つの変化、
1) ヨーロピアン・シネマ、特にヨーロピアン・アート・シネマの受容
2) ロウ・カルチャーへの歩み寄りと通俗性の再定義
3) 過度に進んだ様式化からの脱却と新たな表現への挑戦
これらの観点から『イージー・ライダー』という映画の複雑な性格を炙り出していくことになるでしょう。

Easy Rider (1969)

さて、60年代の映画を広い視点で眺めた時、やはり真っ先に語られるべき作品は『勝手にしやがれ』(1960)になるのではないかなと思います。ヒッチコックがハリウッドで『サイコ』を監督したのと同年、ジャン=リュック・ゴダールはフランスで、恐らく映画史上で最も革新的なのではないかとも思われる本作を製作しました。

一般的に「ヌーヴェル・ヴァーグ」と呼ばれる運動を代表するこの映画は、軽量化されずっと小型になったカメラを携え路上に繰り出し、行き当たり的な即興演出と同時録音によるロケーション撮影をその大きな特徴として持っています。
これは当時のハリウッド映画にしてみれば全く考えられないことで、特にミュージカル、コメディ、メロドラマといったジャンルの映画が中心にあった為でもありますが、映画製作に於いては35mmのフィルム・カメラをどっしり構えて動作は滑らかに、3点照明(Three-Pointing Lighting)によって極度に様式化された映像とミザンセン(mise-en-scen)と呼ばれるフレームの入念な作り込みによる洗練された物語法が当時のスタンダードでありました。
計算し尽くされた空間と照明は必然的に演劇的な演出へ、或いはアクターズ・スタジオ一派を中心とする演劇からの影響と捉えることも可能かも知れませんが、ともかく演出を前提とした製作は作品を純リアリズム的な方向へ、即ち非リアルに基づいたリアリズムへと導いていきました。

例えば『欲望という名の列車』(1951)に関して、この映画の舞台となるアパートはセットとして組み立てられたもの、詰まりロケーションで実在する家屋ではないのですが、監督エリア・カザンは四方の壁を移動可能になるように製作させています。映画が進行し、ヴィヴィアン・リー演じるブランシュの精神錯乱が深まるにつれて壁がそれぞれ前進し、室内がより圧迫された空間として表れるというわけですね。対してカメラは全体を通して変わらず控えめにコントロールされており、過剰な意味づけをすることを拒んでいるように見えます。
その結果生み出された空間は非常に整然としたものとなっていて、直線が美しくデザインされ、役者たちが演技する場所には無駄がありません。詰まりはカメラの前で起こる出来事に対して作為がしっかりと働いており、それが最も自然に見えるようにコントロールされているということです。
ですから人物AがXの場所からYの場所へ移動する際にはその通路は綺麗に片付けられており、また運動はカメラに対して直角/並行になるように設計されているでしょう。これはある1つの動作の最も完璧な表現であり、即ちその動作の最も純然たる形(=非リアル)を示すことで、逆説的にリアリズムを築いている訳です。しかしながらそうした純然な動作が結果として如何に非リアルなものであるかは言うまでもありません。
下のショットはマーロン・ブランドがヴィヴィアン・リーの目の前を横切る、という何気ない一幕からですが、それを見ると2人の間にしっかりと中心線が引かれ、且つセットのデザインはラインがしっかりと整えられている様子、更には身長も異なり、奥行き的にも異なる位置に立っている筈の2人がフレームいっぱいに等価に収められている様子が確認出来るかと思います。これはすれ違いという動作の最も美しい表現方法の1つであり、しかしながら余りにも完璧に表現された動作はその為に動作としてでなく、最早表現の領域から離れることが不可能になってしまっています。「すれ違う」という行為のリアリティではなく「すれ違うという表現」のリアリティとしてしか私たちは語ることが出来ないだろうということですね。その結果何ら非現実的な側面のないシーンにも関わらず画面からはどこか作為的(アーティフィシャル)な空気が感じられ、結局の所それが映画的な表現へと昇華されるというそのプロセスが垣間見えるショットなのではないでしょうか。

A Streetcar Named Desire (1951)

こうした従来のハリウッド的に表現に対して『勝手にしやがれ』は全く反対のことを、即ちリアリズムに基づく非リアルの構築をやってのけています。
既に述べた通りロケーション撮影を主とし、手ブレも多い撮影からは現場的/ライブ的なリアル感が伝わってくるでしょう。その一方で唐突に死とは何かについて議論が交わされたり、或いはウィリアム・フォークナーの引用が挿入されるなど、全編に渡ってどこか気取った空気が漂っており、それは全く以てリアリズムと呼べるものではありません。
それは高度に編集された意味の集合であり、故に解釈される為に作られた意味のまとまりではなく(表現に従属した動作のリアリズム)、本質的に解釈され得ない重層的に構成された意味の上にある何かへの表現であるのです(その点に鑑みて"Breathless"(息を切らして)というタイトルは非常に巧妙さと言わざるを得ません)。
スーザン・ソンタグを始めとする当時の知識人はこうした根本的に異質な映画の全く新しい表現に熱狂したのであり、ゴダール、アントニオーニ、ベルイマン、アラン・レネなど多くのヨーロピアン・アート・シネマに属する映画監督たちが60年代を通してアメリカ人に「発見」されることとなったのでした。

こうした経緯を踏まえて『イージー・ライダー』を見ると、その年代に起こった変化が忠実に反映されていることが理解出来るのではないでしょうか。
物語はほぼ全編がデニス・ホッパーとピーター・フォンダ(部分的にジャック・ニコルソン)の2人がバイクで旅する様子をカメラに収めているのみで、当然ながら撮影はロケーションで行われており、直線の揃え方を考慮したり、或いは壁を移動させて距離感を変更したりというような作為は施されていません。
ライティングも自然光に頼った部分が多く、カメラの動きも比較的自由となって純粋性への追求は放棄されているように見えます。ですから彼らが移動する時、その運動は何らかの意味の下に解釈される為のものではなく、寧ろ風景と合わせ、音楽と一体となり、映画という表現の一部として我々に投げ出されているでしょう。
こうした変化は1つには小型カメラという技術的な革新の結果であり、または千人規模のエキストラを使って壮大なスペクタクルを生み出す必要は必ずしもないのだという態度的な変化の結果でもあり、更には観客を笑わせたり感動させる為には厳格に定められたプロットと従って意味づけされたアクションの存在は不可欠ではないという気づきがもたらした結果でもあり、これらの全てはヨーロピアン・アート・シネマとの交流なしには生まれ得ないものでした。60年代という時代の初めと終わり、『イージー・ライダー』と『勝手にしやがれ』はそうした意味で1つの直線上に位置付けて語ることが出来るのです。

Faster, Pussycat! Kill! Kill! (1965)

ところで上に述べた様な変化をもたらした要因はヨーロピアン・アート・シネマという言って仕舞えば高尚な、或る一定のオーディエンスに向けた特定の映画たちだけではありません。
ラス・メイヤーに代表されるエクスプロイテーション・ムービー(B級映画)の流行もこの時代を象徴する1つの大きな動きでありました。

そもそもの出発点として、映画は大衆娯楽という位置付けでした。Vaudevilleと呼ばれる高級劇場なども早くから設立されてはいましたが、少なくとも米国内では映画が庶民にまで行き渡る仕組みが1920年頃までには整っており、地域別、価格帯別に優先順位は付けられていたものの周回遅れといった形で流行の大作映画でさえ比較的に安価で鑑賞が可能となっていたのです。
これは絵画や演劇といった他の芸術と比べて画期的なことで、絵画並びに彫刻に於いては中世以降保有の価値が重視されるにつれブルジョワ社会の権威の象徴として価格が上昇して行きましたし、宗教・政治上の意味合いが強かった演劇に至っては古代ギリシャの時代から盛んであったにも関わらずそのアクセスが開かれたのはずっと後になってからです。対して映画はその出発点から(比較的)敷居が低かった。

こうした視点から映画の大衆性という側面はある程度無視出来ないものだろうと思われますが、産業が発展し、短編からフィーチャー・フィルムへと長さが延長されていくにつれ、映画はその性格に「壮大さ」を求めるようになっていきました。出演する役者には箔を与えて彼らはスターとなり、セッティングは巨大化して豪華絢爛な一種の芸術になった。映画は言ってしまえば(依然として)庶民/全員の為の偉大な芸術となっていったのです。
そこで全員に向けて、という普遍性を投げ捨てる代わりに偉大さというハリボテも投げ捨てて芸術としての可能性に挑戦することを選んだのが前述のヨーロピアン・アート・シネマだとすれば、普遍さを維持したまま偉大さ、尊大さの解体に挑んだ映画たちがエクスプロイテーション映画ということになるでしょうか。
その歴史は案外古く、正確な歴史は分かっていないものの1920年代頃には既に巨大化を始めていたメインストリームに対するカウンターとして定着していたようで、最も古い例の1つとしては"Damaged Goods" (1914)という映画を挙げることが可能でしょう。これは1901年に製作された演劇を下に改編を加えて製作された作品で、そのテーマは梅毒を扱ったものと当時の飛躍的な医療の進歩と公衆衛生への関心の高まりを反映したものとなっています。
当然ながらセックスと病など当時の(或いは現代でも)主要な表現対象ではありませんでしたから非常な低予算で製作され、主演を務めたリチャード・ベネットもこれが映画初出演、相方の女優役は実の妻といった具合でした。しかしながら映画の評判は非常に高く、というのも既に述べた通り医療への関心の高まりを反映したタイムリーな作品だったのであり、何度も各地で再上映がなされ、その中には米軍による啓蒙活動の一環としての上映なども含まれていたようです。

このようにエクスプロイテーション映画とはその原義に於いて大衆が関心を持っている、しかしながらハリウッドというメインストリームの偉大さが興味を示さない領域外のテーマについて個人を中心として非常に低予算で製作された映画という側面があったのでした。
これが変化してくるのは1950年ごろからで、特に1956年、The Motion Picture Production Code、俗に言う所のヘイズ・コードですが、これが改変され不倫や売春といった行為が表現対象として認められるようになります。『インモラル・ミスター・ティーズ』(1959)を先駆けとしたnudie-cutiesと呼ばれるセクスプロイテーション映画が量産されるようになり、それを受けてヘイズ・コードは次第に形骸化、1968年に遂に完全に廃止されるに至ります。
この中でエクスプロイテーション映画は「通俗性」という側面のみが強化され、『血の祝祭日』(1963)のような現代でもイメージされるような形にジャンルが進化/変化していく訳なのですが、これが金銭的にも観客の印象的にも無視出来ない程の勢いを持っていた。視聴者獲得を巡るテレビとの激しい競争や若者のクラシックな映画離れ、ヨーロッパ諸国からの良質な映画の流入など様々な要因のために苦境を強いられていたハリウッドにとってエクスプロイテーション映画は自国の業界内に於ける大きな悩みの種であり、そして最終的に彼らが選んだ道は互いに共存するというものでした。

The Wild Angels (1966)

これが60年代にハリウッドに起きた大きな変化で、怪獣映画、セックス、ドラッグなど当時の若者が目新しさを持って眺めたジャンルにメジャーなスタジオが積極的に挑戦し、より堂々と取り組んでいくようになっていきます。主要な例としてはコロンビア・ピクチャーズから発表された『コレクター』(1965)が性描写にも果敢に挑戦していたり、ブラックスプロイテーション映画の流行は1970年代を待たねばなりませんがシドニー・ポワティエを主演にこれまたコロンビアから『招かれざる客』(1967)が公開されるなどしています。

さて、こうしたエクスプロイテーション映画からの影響は『イージー・ライダー』に於いても明白で、ロジャー・コーマンは1966年に『ワイルド・エンジェル』という映画を『イージー・ライダー』にも出演することになるピーター・フォンダを招いて作っているのですが、これは当時流行していたバイカー・カルチャーを取り上げた映画なのでした。
ラス・メイヤーの『モータ・サイコ』(1965)、nudie-cutieとのシナジーも感じる『地獄の暴走』(1968)など本当に数多くの類似作が当時は製作されており、そうしたbikers=outlawなイメージを総括すると共に1つのアメリカ文化の典型にまで押し上げたという点で『イージー・ライダー』が果たした役割は大きかっただろうと思われます。仮にこの作品がなかったとすれば(即ちエクスプロイテーション映画のみが存在していたならば)チョッパー・バイクで排気音を高らかに響かせるあのスタイルにアメリカ的な空気が感じられることはなかったかも知れませんし、保守のイメージが付随することもなかったのかも知れません。映画の本旨を考えると皮肉な話ではありますが。

更に同じロジャー・コーマン監督の映画で『白昼の幻想』(1967)という映画がありますが、こちらは妻との離婚を間近に控えた広告監督がLSDを服用したことによる幻覚作用で妄想や自身の記憶、実際の出来事の区別がつかなくなってしまう、という映画になっており、なんと脚本はジャック・ニコルソン、主演はピーター・フォンダ、相方役はデニス・ホッパーということで『イージー・ライダー』との関連を思い浮かべない方が難しいくらいの作品になっています。
確かに『白昼の幻想』に関しては全編が異常なファストカット/クロスカットで繋ぎ合わされており、そのタッチは幾分『イージー・ライダー』とは異なりますがそれでもLSDによる幻覚を見るシーンなどは参考にしているのではないかと考えて良いでしょう。

このようにヘイズ・コードの緩和、廃止に伴い急速に通俗性を獲得したエクスプロイテーション映画と苦境にあったハリウッドの歩み寄り、という文脈が60年代には確かに存在しており、特に主題の面から『イージー・ライダー』にもその影響を伺うことは出来るだろうと思います。

"Scorpio Rising" (1963)

最後に様式化からの脱却という点についてですが、既に述べた通り60年代というのはハリウッドが打ち立てたスタジオ・システム、大規模なセットを打ち立て、著名なスターを雇い、大量のエキストラを起用する、言わば「金のかかる」映画システムに陰りが見えた時代でした。
それは勿論エクスプロイテーション映画やヨーロッパからの映画など競合相手が増えたことも理由ですが、より直接的には当時のカルチャー、60年代は政治の季節などとも呼ばれますが、そうした時代背景の中で若者たちが従来からの高尚なスタイルに興味を(比較的)示さなくなったことが挙げられるだろうと思います。

映画の中では『ウッドストック』(1970)などがそうした空気をリアルに伝えていますし、或いは間接的には『俺たちに明日はない』(1967)や『暴力脱獄』(1967)といった映画が映し出したような厭世観、暴力性、そういった要素がより広く社会に受け入れられるような、そうした土壌が特に若者たちを中心に形作られていったのです。
その背景にはよく知られているようにベトナム戦争に対する国民からの違和感や公民権運動の高まり、コミュニズムの流行など社会的に政治がリアリスティックな方法として関心を持たれていたという部分があり、勿論それは必ずしもアメリカ社会全体が政治的だった、政治的に一枚岩だったということを意味する訳ではありませんが、少なくとも政治が大きな関心を集めていた時代に表面的で楽天的なコメディ/メロドラマが人気を集めにくかったというのは事実として言えるのではないでしょうか。

ですから知識人からすれば実存、アンガージュマンといった単語と並べてベルイマンやアントニオーニは受容しやすかった訳ですし、非インテレクチュアルにとってはより刺激的で暴力的なエクスプロイテーション映画が魅力的に映ったということがある訳です。
メジャースタジオはこうしたニーズを当然組み上げようと試みるのですが、どうしてもそこに時間差は生まれるというもので、そこに先待って現れたのがニューヨーク、グリーンヴィレッジを中心とする実験映画家たちでした。彼らは芸術家(と自らをそう自負する者たち)の集団であり、反体制的な態度を保持しつつも前衛的な表現を理解しようと思う最低限の精神的意欲があった。ですからドラッグ、ヒッピー、ロックといった流行に自らが積極的に共犯者となりつつもそれを如何にして新なフォーマットで表現するかという芸術のゲームに参加する意思も持ち合わせていた。

その代表格として挙げられるのはやはりシーンの中心に立ったアンディ・ウォーホールであり、今回の『イージー・ライダー』との関連ではケネス・アンガーということになるでしょうか。
1963年に発表された『スコーピオ・ライジング』はB級映画作家たちよりも早くにバイカーズ・カルチャーに着目した作品であり、前衛映画が如何に流行のアンテナとして当時は機能していたかということが伺えるのではないかと思います。現代では奇を衒うことが前衛とされがちですし、その影響からすっかり関心も持たれなくなっているジャンルではありますが、本来は管理された芸術から抜け出して革新に先立つ、というのが前衛の目的であり、バイク映画とその記念碑的作品である『イージー・ライダー』に先立ったという意味で本作は真の前衛映画と言えると思います。

他にもLSDや部族の問題など様々な角度から本作には前衛映画の影響を指摘することが可能であり、特にトリップ・シーンのサイケな色使いはアンディー・ウォーホルの”Exploding Plastic Inevitable" (1966) など当時の作品群に見られたaesthetics(美学)と共通するものでもあります。
その影響は前述の2つほど大きくないとは言え60年代という時代に前衛映画が非常な意味を持っていた、または期待を込められていたことは事実であり、そうした混沌とした歴史を象徴する存在として『イージー・ライダー』はヨーロピアン・アート・シネマ、エクスプロイテーション映画、前衛映画の3つの流れを汲む傑作なのです。


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