見出し画像

#0008

60年代というのは映画史を考える上で(映画史だけに留まらず広くカルチャー全般に関して言えることかも知れませんが)、本当に面白い年代だという風に思います。

フランスではヌーヴェル・ヴァーグが吹き荒れ、1968年カンヌ国際映画祭粉砕事件に至るまで政治運動が盛り上がっていきます。東欧各国や南米でもこうした動きと呼応して民主化を後押しするような映画作品が作られていくでしょう。
アメリカでも政治運動とカウンター・カルチャーは盛り上がりを見せ、ハリウッドに関しては表現の規制緩和が進むと共に、『卒業』(1967)や『イージー・ライダー』(1969)などの所謂「ニュー・シネマ」が盛り上がっていきます。アンダーグラウンドではジョナス・メカスらに引き入れられた実験映画が無視できない勢力として頭角を表していきました。

そして今回のテーマ、イギリスです。音楽、ファッション、映画、ラジオ、テレビと多方面に同時多発的に発生した文化的ムーブメントはその中心となったロンドンの活気を捉えて、「スウィンギング・シクスティーズ」、或いは「スウィンギング・ロンドン」と呼ばれるようになりました。
今回はそのマルチな側面に着目しつつも映画的に如何に大きな影響を持っていたのか、そしてそのレガシーについて考えてみることにしましょう。

"Blow-Up" (1966)

さて、「スウィンギング・シクスティーズ」ですが、この運動に関して真っ先に着目すべきポイントはその名前に時代を関した文化運動である、という点でしょう。似た様な例としては19世紀末に見られた世紀末芸術(fin de siècle)などがあるかと思いますが、あちらはウィーンを中心としつつもパリやロンドンなど全ヨーロッパ的に広がっていったのに対し、こちらに於いてはロンドンにその舞台が限定されています。つまりは60年代のカルチャーは世界の他の何処でもなくロンドンに於いて最先端を行っている、とそれくらい力強く認知されていた訳ですね。この影響力の強さと時代気分を代弁する様なスケールの大きさ、この点に於いて「スウィンギング・シクスティーズ」は特異なものを持っていたと言えるでしょう。

それでは具体的にどの様な印象で以てこの運動は受け入れられていたのか、同時代的な空気を感じ取る為にも今回はTIME誌に掲載された"Great Britain: You Can Walk Across It On the Grass" (Friday, Apr. 15, 1966) という記事を適宜引用しながら解説していくこととしましょう。この記事はswingingという単語を用いて運動を体系的にまとめた最初の記事として知られています。

In this century, every decade has had its city. (…) Today, it is London, a city stepped in tradition, seized by change, liberated by affluence, graced by daffodils and anemones, so green with parks and squares that, as saying goes, you can walk across it on the grass. In a decade dominated by youth, London has burst into bloom. It swings; it is the scene.

"Great Britain: You Can Walk Across It On the Grass"

その記事は上の様な文章から始まっているのですが、何が書かれているのかと言えばどんな時代にもそれを代表する都市があったのだ、と。世紀末にはウィーンがあり、1920年代にはパリが芸術家たちの都となり、世界恐慌の後にはバウハウスとブレヒトの演劇でベルリンが台頭した。40年代にはニューヨークが、50年代にはローマが脚光を浴びてきたが、60年代に関してその栄を有するのはロンドンである、とこの記事では述べています。"It swings; it's the scene"(スタイルを生み出す;これがシーンなのである)と。
これは前述の60年代の文化的中心=ロンドン、という言説を高らかに歌い上げている記事の書き始めな訳なのですが、それではこうもはっきりとロンドンこそが時代の中心であると豪語させたものは何だったのでしょうか。記事の中では時代を代表する文化的流行が列挙され、そしてそれらがロンドン市民に留まらず世界中の人々を惹きつける新しさによって都市を再創造しているのだと語られています。

In a once sedate world of faded splendor, everything new, uninhibited and kinky is blooming at the top of London life.

同上

「一度は栄光に翳りも見えた堅苦しい世界で、全く新しく、奔放で倒錯的なものたちがロンドンの頂点で花開いているのである」と言うことですね。ここで「栄光に翳りも見えた」と書かれているのがポイントで、一応イギリスは第二次世界大戦の戦勝国ということになっているのですが、その実情としては第一に経済を立て直すのに時間が掛かったこと、そして何より世界中に抱えていた植民地の殆どを手放す結果となり、それは世界の覇権をアメリカに手渡すことに繋がったという事実がありました。GHQの支配があって、憲法が改正され、という様な直接的な危機ではなかったものの、日本とは全く違った形でイギリスも国体の危機を迎えていた訳です。
そこに併せて旧時代的な、厳しい大英帝国的な文化から今日にも通じる様なswinging(スタイリッシュな)文化のテイクオーバーが起こっていたのであり、それを記事の中ではイギリス史上の出来事に準えて「第二の無血革命(名誉革命)」が進行中であると述べています。

Bloodless Revolution. Today, Britain is in the midst of a bloodless revolution. This time, those who are giving way are the old Tory-Liberal Establishment that ruled the Empire from the clubs along Pall Mall and St. James's, the still-powerful financial City of London, the church and Oxbridge. In their stead is rising a new and surprising leadership community; economists, professors, actors, photographers, singers, admen, TV executives and writers—a swinging meritocracy. What they have in common is that they are mostly under 40 (…) and come from the ranks of the British lower middle and working class, which never before could find room at the top. Says Sociologist Richard Hoggart, (…) : "A new group of people is emerging into society, creating a kind of classlessness and a verve which has not been seen before."

同上

少々長くなりますが興味深い部分ですので通して確認しておきましょう。

無血革命、今日英国は無血革命の最中にある。この度は巨大な帝国、ポール・モールからセイント・ジェームス(ロンドン中心部の超一等地)にまたがる紳士クラブや未だに金銭的な力を持つロンドンの街、そして教会群とOxbridge(オックスフォードとケンブリッジの総称)に及ぶ巨大な帝国を支配する保守-労働党体制が道を開ける番なのだ。代わりとなるのは立ち現れた新しく、そして驚くべき指導者たち - 経済学者、教授、役者、写真家、歌手、広告屋、TV執行役とライターたちによる - のコミュニティである。彼らに共通するのは彼らが殆ど40歳を下回っているということ、そして英国の下位中産階級/労働者階級の出自であるということだ。彼らが最上階の眺めを拝んだことはこれまで終ぞなかったことである。社会学者のリチャード・ホガートは「新たな集団が社会の中で当確を表しつつある。彼らは無階級制の様なものを創造しつつあり、これまでには見られなかった活気を生み出している」と語っている。

ここで注目すべきは引用部の最後、「無階級制の様なもの」という部分でしょう。現在でもアメリカ等と比較してイギリスは階級社会の名残が根強く残っている国ではあるのですが、その影響力は特に1970年頃までは非常に強力で、ここで示されている通り保守-労働党体制が設立した大英帝国成立以降常にこの国の文化を形作ってきたのでした。その結果としてアメリカが映画やラジオを媒体に次々と新しいカルチャーを生み出し、或いは大陸でデカダンな芸術が花開く中イギリスの文化は厳しい、古臭いといった印象を与える、よく言えばauthentic(正統派な)もの、という見方が定着していきます。
例えば1960年、アメリカではヒッチコックが『サイコ』を発表し映画界に革命を起こす訳ですが、それではその2ヶ月ほど前、イギリスでも類似する映画が作られていたことはご存知でしょうか。そう、マイケル・パウエル監督による『血を吸うカメラ』(1960)です。本作も暴力的な描写に精神異常という主題、猟奇的な映画構成という点で『サイコ』と共通しているのですが、それでもあちらほど当時の評価が高くなかった/新しいという印象を与えなかった理由としては、1つに階級社会の影響が余りにも強く感じられ過ぎており話し方や衣服、英語の語法などを含めて「クラシック」で鼻に付く印象があったからなのだろうと思っています(冒頭、コンビニエンスストアでの"What are you looking for, sir?" みたいな会話とか)。

"Peeping Tom" (1960)

ここに見られる様にイギリスの文化/社会とは取っ付きにくいもの、という印象が根付いていた中で、その堅苦しさを内側から破壊し、解体してしまう動きが現れたのですね。それこそが先に出てきた新たな指導者たちのコミュニティによる「無階級制の様なもの」の創造であり、その衝撃なのでした。

Who are these men and women? Many of them come from the Midlands, from Yorkshire, Manchester and Birmingham, sporting their distinct regional accents like badges—it is no longer necessary to affect an Oxford accent to get ahead.

同上

それでは彼らは一体何処からやって来たのか。記事によれば「彼らの多くは中部、ヨークシャー、マンチェスターやバーミンガムから現れた」ということであり、そして彼らは「独特の地域のアクセントをまるでバッジを見せびらかす様にまとっており、それで最早オックスフォード・アクセントを取り入れる必要は出世の為にはないということだ」と書かれています。

つまりロンドン以外の農業や工業などが主要な地域で上流階級ではない下位中産階級または労働者階級に生まれた若者が戦後社会の中でのし上がり、彼らの出自を隠すことをしなくなった。彼らが社会の中で優位に立ったことにより、ロンドンの中にはクラシックな文化とより新しい若者文化が混在する様になり、その対立の中からスリリングでエキサイティングなカルチャーが次々と誕生していった。
こういったアウトラインが「スウィンギング・シクスティーズ」という運動を捉える上で引けるだろうと思います。そしてこの流れは50年代末から盛り上がった映画運動、ブリティッシュ・ニュー・ウェイヴとシンクロしているということも言い添えておきましょう。
60年代のイギリスはロンドン的社会からの脱却、階級社会への反逆によって特色づけることが可能なのです。

"Rolling Stones"

それでは具体的にどの様なカルチャーが見られたのか、その具体的な例ですが先の記事では次の様に書かれています。

The city is alive with birds (girls) and beatles, buzzing with minicars and telly stars, pulsing with half a dozen separate veins of excitement. The guards now change at Buckingham Palace to a Lennon and McCartney tune, and Prince Charles is firmly in the longhair set. In Harold Wilson, Downing Street sports a Yorkshire accent, a working-class attitude and a tolerance toward the young that includes Pop Singer "Screaming" Lord Sutch, who ran against him on the Teen-Age Party ticket in the last election. Mary Quant, who designs those clothes, Vidal Sassoon, the man with the magic comb, and the Rolling Stones, whose music is most In right now, reign as a new breed of royalty. Disks by the thousands spin in a widening orbit of discotheques, and elegant saloons have become gambling parlors.

同上

真っ先に挙げられているのはビートルズですね。終わりにローリング・ストーンズの名前も確認できますが、他にもキンクス、ザ・フー、ヤードバーズなど多くのバンド、一般にロック・ミュージックを形作ったと言われる多くのアーティストが誕生しました。
この中で最も知名度が高いバンドは勿論ビートルズで間違いありませんが、「ロックスター」というイメージで重要なのは寧ろローリング・ストーンズとザ・フーの2つだと思われ、前者はキース・リチャーズとミック・ジャガーという元祖破天荒ロックスターとも呼べるタレントを2人も抱えて人気を博します。後者は音楽性のパワフルさもさながら、特に楽器破壊のパフォーマンスで有名であり、近年ではフィービー・ブリジャーズがギターを破壊して話題になりましたが、そうした「ロック」的なイメージを生み出したバンド、クリシェの生みの親として重要だと言えるでしょう。

それではビートルズが重要ではないのかと言えばそんなことはなく、彼らのカルチャー的な影響力は2本の映画、『ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!』(1964)と『ヘルプ!4人はアイドル』(1965)の中で確認することが出来るでしょう。
前者はブリティッシュ・ニュー・ウェイヴ的な一本、後者はよりスウィンギング・シクスティーズ的な軽快さに溢れるポップな作品ということで作品にも振れ幅がありますが、それは例えばマイケル・ジャクソンがジョン・ランディスとスリラーのMVを製作したり、最近ではテイラー・スウィフトがERA Tourを映画化したりしたのにも通ずる、「マルチメディアで露出して人気を集め、世界を取りに行く」というような動きにも見え、その知名度と人気が伺えるかと思います。

"Help!" (1965)

ファッションという側面に移りましょう。
メンズから確認してみると、真っ先に流行したのは「モッズ」と呼ばれるスタイルです。これはModernists → Mod(ernists)s = Mods として成立した単語だと言われており、原義ではテーラード・スーツを実用的かつ現代的に着こなすファッションのことを指していました。
先に挙げたキンクスといったバンドの様なモダンなスーツの着こなしがベースとしてあり、その上にクラシックなトレンチ・コートではなくハードな質感のレイン・コートやミリタリー・ジャケットなどを合わせてバイクにまたがるスタイルがテンプレートでしょうか。特にミリタリー・ジャケットの深い緑色はスタンダードと定着し、「モッズコート」などと呼ばれる様になっていきます。

また60年代の後半にはビートルズが音楽性を大胆に変化させ、サイケデリックな方向へと向かわせます。T. REXやCreamといったバンドがそれに続き、それを更に発展させてピンク・フロイドなどのプログレッシヴ・バンドが人気を集める様になっていきました。
ファッションの上でもこうした動きに呼応する様子がみられ、黒やグレー、ベージュが主だったスーツ・ルックからよりカラフルな色使いのカジュアルな格好がメンズの間にも広がっていきます。また髪を比較的長く伸ばし、口髭を蓄える格好も(ヒッピーとはまた違ったルックで)流行するなどしました。

この辺りのカルチャーを反映していたのが1971年発表、スタンリー・キューブリック監督による『時計仕掛けのオレンジ』だと言えるでしょう。
上のシーンでドルーグたちと闘っている不良少年を見ると、彼らは皆軍用服を身に纏っており、極めて「モッズ」的だと言えると思います。対してドルーグたちは真っ白な拘束衣を想起させるコスチュームなのですが、彼らが溜まり場にしていたミルク・バーのインテリアであったり、後に殺害する老女の部屋のインテリアなどはごくサイケ的と言えるのではないかと思います。

その他映画的な参照としては『さらば青春の光』(1979)などが、事後的に製作された映画ではありますが挙げられるでしょうか。

Twiggy in 60s

次に女性ファッションですが、こちらは男性ファッションとは比べ物にならない程の大きな革命を迎えていました。そう、メアリー・クワントの登場です。
彼女が生み出した大胆で可愛らしいミニ・スカート・ルックは大流行し、シーンの中心となったキングス・ロードとカーナビー・ストリートを文字通り席巻していました。現代のシャープなラインで整えた構築的なデザインと言うよりかは生地の形をそのまま活かしたナチュラルなルックに仕上がっているのが特徴で、従来のドレス・スタイルから脱却し、女性が楽しむカジュアル/ストリート・スタイルの正に第一歩といった印象です。
現代でこそ多様なスタイルが浸透し、寧ろ男性ファッションよりも幅が広いのではと思わせる程に多様なレディース・ファッションですが、当時はまだまだハイ・ソサエティ的なスタイルが画一的だった時代であり、ストリートに於いて「女性の為の、女性らしい服」というアイデアに欠けていた時代でもありました。そこに颯爽と現れたミニ・スカートは文字通りストリート・レベルから大流行し、女性の身だしなみを根本から変えてしまったのです。

この辺りの背景は当時流行のテレビ番組や映画など多くの作品から確認することが出来ますが、1本選ぶとすれば『ポリー・マグーお前は誰だ』(1966)になるでしょうか。
前述のメアリー・クワントが衣装を手がけており、全編に於いて混沌とした、swingingな60年代の空気感が感じられる一本であると思います。

"Who Are You, Polly Maggoo?" (1966)

以上「スウィンギング・シクスティーズ」と呼ばれる文化運動の成り立ちと概要、そして中心となった具体的カルチャーについて確認して来ました。
最後に強調しておきたいのはこの文化が革命であった、という点であり、上に書いた通り旧世代的な文化、そして社会システムを破壊して全く新しい仕組みに置き換える運動であったのでした。従ってそれ以降のロンドン=イギリス文化、即ちそれは今日まで続くものですが、と「スウィンギング・シクスティーズ」は地続きの関係にあり、或いは60年代以前の文化とは断絶の関係にある、ということなのです。丁度ビートルズの登場がロック・ミュージックを変えたように、ですね。
ですから昔の文化運動として当時を理解するのではなく、1つのイギリス文化の土壌として当時を眺め、また映画の中に参照を探してみるという見方がされるべきだということを最後に言い添えて置きたいと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?