劇場版ピングドラム後編を見て回り続ける頭の中

最初に誤解しないでほしいが、劇場版ピングドラムを見て具合を悪くなったというのは、作品自体に何か問題があるとかいうわけではなく完全に私自身の問題である。


やっと劇場版ピングドラムの後編を見に行くことができた。

前編のテーマが「運命」だったとしたら、後編は「愛」だろうか。

まず、私は人の考察を見たり聞いたりするのが好きではない。
自分で考えつかなかったことを他人が考えついているのに嫉妬するからだ。

今までずっと、ピングドラムに関する考察をほとんど見ないようにしていた。もちろんnoteでもtwitterでもただ自分が見たまんま感じたまんまが全てだと思っていたし、他人の思考に邪魔されたくなかった。
前編の時も、ああ、そうか運命か・・・とそれだけで私の中で完結した。
しかし、今回物語が消化しきれずに我慢できなくなってしまって色々な考察を読みあさってしまった。

どれが正解とか、そういうものは結局監督以外誰もわからないのだろうけど人の考察を読んで、いろいろ納得してしまっている自分がいたのだ。

そして、どれだけ今まで能天気にこの作品を見ていたかを思い知らされた。
自分の無知さだったり、思考の浅さだったり、そういうものがない交ぜになって、さらに考察の内容だったりというのがぐるぐる頭の中で回ってすごく気分が悪くなった。

1995年にまだ私は生まれていなかった。ちなみに親戚の中に、たまたまあの日いつもの電車に乗らなかったから今生きていると言っている人がいてゾッとしたのだけ覚えている。

もし1995年に物心がついた年齢で生きていたら、あの時何を感じたのだろうか。

私はただの人間だ

何者でもない私はいつか何者かになる日がくるのだろうか・・・

桃果のような人間になれたら、一番素敵なんだろうな


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