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【読書感想】傷を愛せるか:弱さを抱えたままの強さ
著者の宮地尚子さんは、精神科の医師として臨床を行いつつ、トラウマやジェンダーの研究をつづけている方で、一橋大学大学院社会学研究科教授でもあります。
始めて手に取ったのは大学1年生の頃。
大学生インスタグラマーさんがオススメしていたのと、
私が看護の中で精神科に興味を持っていたのもあり読むことに。
多分誰もが経験しているような何かしらの”傷”をどのように扱うのか。
それが柔らかく心地よい文章で書かれているのでぜひ。
読みやすいので、普段本を読まない方にもおすすめです。
さて、ここからは私の感想をまとめていきたいと思います。
感想1:閉じてていても大丈夫だよ、というメッセージ
人にしろ物にしろ、変化が起きるとき、閉じながら変わっていく場合と、開きながら変わっていく場合がある。細胞が減数分裂を起こすとき、いったん細胞膜は閉じて、内外の物質交換を停止するのだと、ずっと昔に教わった記憶がある。
変わるときというのは、変化にほとんどのエネルギーや注意を費やさなければならない。そのため、外からの攻撃にたいしては無防備になる。外敵が来ればたちどころにやられてしまう、ヴァルネラブル(脆弱)な状態である。だから、変わるときは閉じなければいけないのだ。さなぎが蝶になるとき、繭にこもらなければならないように。
なにも新しいものが生まれなくても、なにも変わらなくても、ぼうっとする時間を楽しめたらいいのだが、近代的な教育や競争の洗礼を受けてきた人間にとって、そこまでの境地にいたるのは難しい。
うぉぉぉぉぉぉぉぉぉ、めっちゃ分かる~!!
なにもしない日も全然あるんですけど、私は今日なにもしていない→世間との時間にズレを感じはじめる→最後に罪悪感。とりあえず明日は頑張るからと言い聞かせて寝る、笑
話を戻すと、
人が変化するときって、開きながら変わっていくことが挙げられやすいと思う。例えば、だれかに会う、どこかに出かける、異国に住むなど。
確かにこれも大事。
だけど閉じる変化もあると思うという言葉のおかげで、自分が引きこもり傾向になるとき、はぁこれは成長する前の静けさなのか、と思える文章。これはなにもしたくない私の言い訳かもしれないけれど、こんな日もあっていいね~てなりました、笑
感想2:宿命論と因果論のはなし
宿命論者は「あなたの未来はもう決まっている。もし爆弾で死ぬと決まっていれば、防御策をとっても死ぬ。」それに対して、因果論者は「防御策をとれば死なず、とらなければ死ぬ」という。
過去を受けいれて、未来への希望を紡ぐには、無力感=宿命論と、ほどほどの万能感=因果論の二つを同時に抱えながら使い分けるのが良い。
私の場合、昔は因果論者よりの考え方が強くて、というか多分ほぼ99%はそっちよりで、なにかがうまくいかないと、”自分のせいだ””自分があのときに怠けたからだ”と思ってました。
自分を追い込んで、沼にはまって、ときどき沼から脱出してくれる人と話して、なんとか日々を過ごす、ということを繰り返す。
だけど、あるいみ全て運である、ということを知ったときに、一旦心が落ち着いた、というか、私にコントロールできないものだったのか、と少しばかり運命のせいにできるようになりました、笑
感想3:”強く”いないといけない、なんて思う必要はない
嫌なことが続いたり、落ち込む日があると”あ、強くいないといけない”とか思い始めて、運動したりするときがある、笑
とりあえず弱い自分でいる時間を減らして、フィジカルでもメンタルでもどっちでもいいから強くならないとって思っちゃうんです。
だけどこの本は、”弱さを抱えた強さ”でいい、と書かれている。
結局一番強いタイプって自分の弱さを抱えながらの強さだと思います。
強くみせるために威勢を張ったり、はがねのメンタルだと思わせるような態度を取ったりするよりも
自分の弱さってここにあるけども、別にそれはそれでいい。
それ以上に自分が自分のことを理解し、自分にたいして素直でいる人の方があるいみで生存率は高そうだと思います。
私はこうでなきゃいけない、とか、優秀でないといけない、とか、成長しないといけない、とかいろいろそういうのが無意識の部分でずっとあって。優秀であること、心身が成長すること=強さって勝手に解釈していて。
だから留学したら何か成長しないと!って思っていたんですけど、それもまたプレッシャーに感じている自分もいて。
こないだ母に「留学行ったのになにも変化がなかったらどうしよう」って言ったら、「別にする必要ないよ~」って言われたり、
おじいちゃんにも「そんなことを考える必要はないよ。異国で生活するだけで十分すごいことだよ」って言われて、ちょっと安心。
こういうのを誰かが言ってくれるだけで肩の力が抜けるので、自分で自分にそう思えるときがきたらいいなぁって思いますね。
感想4:レジリエンスがとても求められている世界へ
最近よく聞く言葉、レジリエンス。レジリエンスには、回復する力、立ち直る力、と訳されることが多い。新入社員に求められるスキルの1つでもあります。
レジリエンス能力ってたしかにとっても必要で、例えば挑戦したことが上手くいかなかったとき、あぁもう自分はダメな人間だと思わずに、今回は無理だったけど次はいけるかもしれない、今回の反省を生かしてまた違うなにかに挑戦しようって思えることだと思うんです。
これはとてもとても生きていく上で必要な能力だと感じてます。
だけど最近そのレジリエンス能力って悪用されていないかっていうのを感じているんです。
例えば誰かになにかを言われても、やられても、傷つかないようにするといったようなかたちで。
だけどそれって単純に理不尽だったり、不当なこともあると思うんですよね。この例は人対人ですけど。
自分に対しても傷ついたときに
傷ついていないふりにする、
傷ついている自分に気付かないようにする、
あるいは傷つかないように心をがっちがちにする。
でも物理的な傷もはやく気づいてあげた方がはやく治るように、
心の傷も同時に早く気づいたほうがはやく修復すると思います。
傷がそこにあることを認め、受け入れ、傷のまわりをそっとなぞること。身体全体をいたわること。ひきつれや瘢痕を抱え、包むこと。さらなる傷を負わないよう、手当てをし、好奇の目からは隠し、それでも恥じないこと。傷とともにその後を生き続けること。
生きているなかですべてがいいことばかりではない。辛いことも悲しいことも起きる。わたしたちは傷つくし、もろいし、受けた傷を完全に回復して何もなかった頃には戻れないし、強くなれるわけでもない。だけど、その傷があることを自分で認めることはできるし、誰かが見守ってくれることもあるかもしれない。
トラウマの専門家として勉学を重ね、でもその限界を知っているからこその勉学では到底説明できない、著者の素直な願いと祈りがここに書かれています。
だから読み進めていくと、肩に固まっていた血流が流れ、息を吐くことができて、緊張がほぐれていく。傷があること、痛みがあること、悩みがあること。それはそっと包んであげましょう、と伝えてくれるメッセージがあるから、私はまたこの本を読むと思います。