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なぜ「僕が」ボードゲームジャムをするのか?

年末に「ボードゲームジャムをしたい」と思ってから、

いくつかその具体的内容や理由について書きました。

今回は、「理由」や「内容」と少し内容がかぶることもありますが、

どうして僕がやるのか、

他の人が実現するのを待つのではなく、

自分がやりたいと思っているかを書き、

伝えられるといいなと思います。


ゲームには力がある

僕には子どもの頃から思っていることがあります。

それは、「ゲームには力がある」ということです。

子どものときに思った当時のことを、

詳細に答えることは難しいのですが、

ただ、「ゲームは楽しい」だけではなくて、

それ以上があるのではないかと思っていました。

実際、TVゲームを通して色々なことを学びましたし、

世界が広がった思いがしました。

(このときはまだ「ボードゲーム」ではなかったです。)


きっかけは、「なきっつらにはち」。

今でも明確に覚えていて、

「がんばれゴエモン3」というスーパーファミコンのゲームを

していたときのことでした。

簡単なアナグラムを解かせる箇所があって、

解答が上記の「なきっつらにはち」になるのですが、

自分ではどうにも思いつかなくて(知らなくて)、

母に尋ねてみたら、あっけなく解決した、という体験です。

たったそれだけ。

それだけなんですが、

ゲームの世界を通して現実の世界のことを初めて知って、

ゲームの世界と現実の世界がつながった感じがして、

「ゲームってすごい(楽しいけど楽しいだけじゃない)!!」

と思ったのです。


そんな体験や思いがあったから、

自然と「自分もそういう体験を生み出したい」→

「ゲームを作る人になりたい」と考えたものでした。

それはまあ純粋に、今を生きる子どもたちと同じように。

ところが、親はそうではありません。

2020年現在の親子という枠組みとは違って、

当時の自分の親はTVゲームがなかった世代、

TVゲームを体験したことのない世代でした。

共有できる体験がないので、

そこに「力がある」とは感じられなかったのかなと思います。

「ゲームを作る人になりたい」という夢は応援されませんでした。


いやいや、それでも本当にそういう思いがあるなら、

親から応援されようが、反対されようがやったらいい、

と今の自分なら、昔の自分に言っているかもしれない。

でも、当時は鎖に繋がれたように不自由で、

親の「NO」は子どもの思いを削ぐのに十二分に機能したのです。


このようにして、「ゲームには力がある」、だから、

「ゲームを作ってそのことを伝えたい」という思いは、

長く僕の中に封印されることになりました。


「教え」「学ぶ」場を作りたい

もう1つ自分のルーツを探る上で大事なことがあります。

それは、「学校を作りたい」という夢です。

もっと正確にいうと「「教え」「学ぶ」場を作りたい」です。


学校という場所に行くようになって、

素朴に不思議に思ったことがありました。

「教科」というものがあって、

「時間割」が決められているということです。

「なぜ子どもの方が受ける授業を選べないのか?」

「なぜみんな同じことをしなければいけないのか?」

学校はとても窮屈で不自由だなと思っていました。


だからある日、妄想で「自分の理想の学校」を思い浮かべ、

それをノートの切れ端に書いた時、それはそれはワクワクしました。

自分で自分が学びたいことを自由に選べる、

いつかそんな場を作ってみたい、と考えました。


大学で教育学部に進み、

「教科」や「時間割」があることの意味や、

学校の成り立ちを知りました。

「教えること」と「学ぶこと」、

そういった人間のコアな営みについても知ることになり、

学ぶ立場であった子どもの立場から、

教える立場にある先生側の事情も知るに至り、

子どもの頃に思っていた疑問がいくつか解決しました。


それでもなお、「「教え」「学ぶ」場を作りたい」という

気持ちが強く残っているのは、

大人になって、いろいろな意味や意義を知った今でも

(理由は様々にありますが)「学校」という場がとても息苦しく、

不自由で窮屈な場所のように見えるからです。


シリアスゲームとの出会い

大学院に進んだ頃、

「本当は自分が何をしたかったのか?」と考える機会がありました。

そこで蘇ったのが、子どもの頃に封印しておいた、

「ゲームを作って、ゲームの力を伝えたい」ことでした。

そう思って、「TVゲームの会社に就職しよう!」

と考えたこともありました。

ところが、自分の中でその考えがしっくりこなかったのです。


それは、教育学・心理学にどっぷりと浸かっていた結果、

もう1つの「「教え・学ぶ」場を作りたい」という思いが

思ったより強くなっていたからでした。

そして、そんなときに「シリアスゲーム」という概念に

出会ったのでした。


藤本先生の著書、「シリアスゲーム」を読んだ時、

パッと未来がひらけた気がしました。

自分が考えていたこと、したかったのはコレだ、と。


「ゲームに力があることを伝えること」と、

「「教え・学ぶ」場を作ること」の2つを繋げられると思いました。

それまではなんとなく

「ゲームの力を学びに活かせないかな」と考えていたところに、

明確に「シリアスゲーム」という文脈でお墨付きが得られた

ように感じられたのでした。

(実は「エデュテイメント」や「ゲーミング&シミュレーション」などは、

それよりずっと前からあったことはあとで知ることになりましたが。)


そして、僕は「シリアスゲーム」という分野の研究者となり、

「ゲームに力がある」ことを証明するための研究を行いました。


博士課程での研究は残念ながら、

「教育分野」に貢献する研究ではありませんでしたが、

広く「ゲームの社会的活用」に関する研究ができたことは、

子どもの頃に思った、

「ゲームってすごい」を一定の文脈から証明できて、

嬉しく、報われた気持ちがしたものでした。


とはいえ、それは自己満足の世界の話で、

次はこれを多くの人に伝えたい、そういうフェイズに入っていきます。


「サイコロ塾」という場について

大学を出たあと、僕がしたことは

ゲームの力を使って教え・学ぶ場を作る」ことでした。

まさに「ゲームに力があることを伝えること」と、

「「教え・学ぶ」場を作ること」の2つを繋げる活動です。

それが、井尻サイコロ塾でした。

コンセプトは、

ゲームを使って、認知・非認知スキルを育てる習い事」。

子どもたちが「ゲーム」で楽しみながら、学ぶ場、

そういう場を作りたいと思って始めた事業でした。


「ゲームには力がある」ということを、

ゲームをプレイして、プレイを通して学んでもらうことを通して、

子どもたち、そして大人たちに伝える場所でした。


残念ながら、今は「サイコロ塾」は場として存在しておらず、

子どもたちにゲームを通して関わる場がありません。

未だ志が達成されてはいないと感じています。


そして、さらにここにきて、僕自身は「ゲームを作る」ということの

楽しさやその価値について知ってしまったのです。

(以前のnoteに書いていますので、よければ読んでみてください。)


だから「僕が」ボードゲームジャムをする!

他の誰でもなくて、僕がボードゲームジャムをやりたいという理由は、

以前書いたnoteより、本音で、根も葉もなく言ってしまえば

子どもたちに「ゲームってすごい!(楽しいけど楽しいだけじゃない)」

「ゲーム作るのって楽しい」を伝えたい。

だけど場がない、だから場を作りたい」なのです。

シリアスゲーム研究者として、教育を担うものとして、

いちボードゲームを作る人として、

そして、ゲームを通して子どもたちにこれまで関わってきた人として、

その価値や意味を強く感じているからというごくごく私的な思いです。


だから、

子どもたちに「ゲームってすごい!(楽しいけど楽しいだけじゃない)」

「ゲーム作るのって楽しい」を伝えたい

という方と一緒にボードゲームジャムを作っていきたいです。

そして、

「ゲーム遊ぶの楽しいよね」さらにもっと言えば、

「ゲーム作るのって楽しいんだぜ」と伝えたい

ボードゲームデザイナーの方に参加してもらいたいし、

もちろん、

子どもたちにゲームは好きで遊んでいるけれど、

それだけではなくて、「ゲームを遊んで、作って、学んで欲しい」

保護者の方に、

お子さんをボードゲームジャムに参加させて欲しいと思います。






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