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3月10日 朝。 3月9日はサンキューの日

 私には大切にしているお経が2つある。一つは般若心経でもう一つは仏教の経典ではないが書家紫舟さんの書である。写真。般若心経は「無」のリフレイン、紫舟さんの書は「ありがとう」のリフレインだ。私は「無」で私自身を律し、覚悟し、許し、奮い立つ。「ありがとう」で今生のお互い様の振る舞いに言葉があることを学ぶ。
2つのお経は、私にとって一生のことであり一日のことでもある。

 昨日の朝のニュースだったかで、3月9日はサンキューの日だと言っていた。紫舟さんの書が浮かんだが日記には書けなかった。

「振る舞いがあって、そこに紫舟さんの言葉が生まれたのだ」と思うと、言葉があって学び、振る舞いをなぞってありがとうが生まれるのはあざといのではないかと恥ずかしくなったのだ。

 けれども、起き抜けに気づきがあった。あざとい振る舞いは人にはばれなくても自分には既にばれているのだ。そこに生まれた「ありがとう」はいっときの満足を満たしても、一生は支え切れないことも気づいている。

 凡人の私は、あざとくても、あざとくなくても、どちらかかわからない時でも振る舞いながら(生きながら)「善き哉」を頂く方向へ進みたいと祈るしかない。
 今生出会う他者の振る舞いが、あざとくてもあざとくなくてもどちらかかわからない時でも、善き哉へ進む同士だと信じたい。

まどみちおの詩に「いわずにおれなくなる」という詩がある。

 「いわずにおれなくなる」 まど みちお

 いわずに おれなくなる
 ことばでしか いえないからだ

 いわずに おれなくなる
 ことばでは いいきれないからだ

 いわずに おれなくなる
 ひとりでは 生きられないからだ

 いわずに おれなくなる
 ひとりでしか 生きられないからだ

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