見出し画像

心が弱ってるかも。野菜とお肉と行動力不足と認定。八幡巻を作るの巻。

実は暮れからちょっと心が弱ってる。とはいえ、落ち込んでようが、元気でいようが、夜が明ければ目が覚めて、仕事の日は働いて、陽が落ちて眠くなればお布団に入る、その間の家事も交際も買い物も一人暮らしの気やすさで、全て自分のペースで過ごしているから直接的な『ストレス』があるというわけではない。

ふと気がつくと心のポッカリが大きくなっている、そんな感じだ。それは、一人暮らしの寂しさからなのか、歳を重ねると陥る感傷なのか、年齢に関係なく意味を見失うような虚しさなのか・・・

心のポッカリを埋めたいというわけでもない。言葉にするとしたら(ピッタリと言い当てるのは難しいけれど)「自分の手に負えるポッカリくらいにしとかなきゃ。」と言う感じだ。
そしてつぶやく。「ちゃんと引き受けるから安心して、私。ちょっと時間がかかるかもしれなけれど。」
「ちゃんと」というのは「正しく理解して」という意味かといえばそうでもない。正しいかどうかなんてわからないけれど、「ポッカリを全否定せず」というくらいの意味。

対策がはっきりわかっているわけでもない。「自分のペースで暮らさせてもらってるのだから、自分のペースで手に負えるポッカリにする。」。多分そのプロセス自体が大切なんだろうな、ともぼんやりと信じてる。

普段ならクイックルワイパーで床を撫でるところをきっちり拭き掃除して、手袋雑巾で桟を拭く。春を感じる陽の光が差し始めた窓の掃除。まずは網戸に水をかける。お風呂は贅沢にゆーっくり入る。まあ、手を抜かず頑張ったり、自分にヨシヨシしたりってことかな。

そして、お肉のおかずを作ろう。お肉でごぼうやにんじんや青物を巻いて炊く「八幡巻」。ごぼうの香りが鶏肉とよく合い滋味あふれるひと品だ。新牛蒡、地場のにんじんなどを買い台所に立って手順をさっとイメージする。

もしかしたら今回のポッカリが自分の手に負えるようになるまでには、少し時間がかかりそうな気もするな、と後ろ向きな自分がまだいる。

でも、包丁を手に取ると進むだけだ。
野菜の下拵えをして、鶏肉2枚を観音開きにして野菜を巻く。
煮切った日本酒、みりん、薄口醤油と砂糖少々を小さめのお鍋で温め、お肉を入れる。

湯気が立ち鍋の蓋がコトコトコトッと小刻みにリズムをつけ始めると元気も湧いてくる。ごぼうの炊き上がる香りが台所に広がると嬉しくなる。蓋付きのお椀に盛ろうかな。贅沢はできない暮らしではあるけれど「好き」を大切にして暮らすことが、ポッカリを受け止めるコツかもしれない。

八幡巻に便利なのが、「チャーシュー用ネット」。この名前でネットで売っている。私は洗って何度も使ってる。ほんとのこと言うと、最初はお肉屋さんで豚塊に巻いてあったものを、洗って使ってた。それがボロボロになったので買った次第。

今回は胸肉ともも肉で作った。なるべく汁気がなくなるまで炊く。当日残った分は水気がないようにしてチルドルームで保存。翌日は出汁を足して小松菜と焼き豆腐で炊き合わせ、翌々日は薄くスライスして天ぷら、さらに残ってたら少し濃いめに炊き直して、ざっくり刻んでご飯に混ぜたら「炊き込み風ご飯」。これはおにぎりにして冷凍しておくこともある。牛肉で巻いてもまた違った味わいで、これも好き。

ちなみに、「行動力不足」は野村監督の名言「不安は行動力不足」より。昔、新聞下欄の出版社の広告で見つけた。夫も目に留まったらしく、発注してた。

野村夫妻ってなんだかチャーミングだったな。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?