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中戸山 西光院 常敬寺のあゆみ【12】

当山常敬寺の歴史をまとめています。
(タグ: #常敬寺のあゆみ

●常敬寺中興の祖 了照
 大波乱の人生を送った第十二世了照は、常敬寺中興の祖として激動の時代を生き切り、慶長十年(1605)九月二十九日(旧暦)、頸城郡の「春山」(春日山か)※1にて、数えで五十三年の生涯を終え、お浄土に還られました。※2下総国・信濃国・越後国の三国を駆けたのです。
 了照の弟で顕照の次男※3という善西は、寛永元年(1624)に善光寺浜(現:上越市五智二丁目)※4に「中戸山 真行寺」を創建、当山末寺となりました。

※1……また、長野市東方に信濃井上氏の山城「春山城」があり、その山麓に「春山」集落がある。

※2……没年日は当山所蔵大系図による。この場合了照の得度は永禄六年頃。了照が得度したのは永禄六年(1563)頃となる。

※3…… 真行寺寺伝による。真行寺の木仏裏書には弟ではなく「右木仏者常敬寺門徒 越後国頸城郡下郷今町浜村 善西依望如此者也」とある。

◎真行寺縁起では、真行寺は当山の「分寺」、当山史料では真行寺は当山の「末寺」として記録。
 また了照に実弟がいた場合、当山の元々の創立地である下総国中戸の焼跡地管理に他寺が支配的にあたることもなかったとも思え、善西の詳細は不明だが、了照と親しい「弟分」とみるのが妥当ではないか。もしくは、了照に妹がいたとしたら、彼女と結婚した場合は了照の「義弟」になるだろう。

※4……善西の子・第二世裕西の代、寛文八年(1668)に現在地上越市中央五丁目に移転。

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